# 50
鏡の中に映る僕を、青年は満足そうに見つめて笑った。
「いい感じじゃん。やっぱこういうのも似合うと思ったんだよ」
自分の手で作り出した作品といえるものを他の者にも見せたいがために、僕は今朝からこの場を訪れる事になった。彼とはじめに交わした約束は、夕方駅前で落ち合おうというものだったのに、それが変更されたのは一昨日の事だ。
「うん、いいね、藤代」
「ホントですか? ありがとうございます!」
雇い主に誉められ、藤代はあどけない笑いを零す。
「ま、元がいいからね。でも、保志くんのイメージとは少し違うな」
「そんなことないですよ、こいついつもはボケボケだけど、サックス持たせると元気になるんですから」
店の中に二人の声が響く。僕はその声を聞きながら、鏡の中の自分を眺めていた。感想は一言に尽きる。
派手な頭だ。
藤代は僕の演奏仲間で、同時に僕の髪切り屋でもある。だが、正確には、美容師である彼の実験材料となっているだけなので、僕が料金を払う事はない。だから、文句は言わないが…。
「いいだろう、保志」
制作者の藤代が、僕にニヤリと笑いかけてきた。僕はその顔を見、溜息を吐く。
「何、文句あるのか?」
文句はない。だが、問題はある。
【寒い】
焦げ茶といった感じの髪が、金髪に近い明るい色になっているのは、特に問題はない。髪の色などどうでもいい。職場で怒られる事もないだろう。だが、長さは少し、どうにかならなかったのだろうか。
耳が隠れるくらいに伸びた髪が揃えられたのは、まだ半月ばかり前のことだ。それが今では、長めだった頃の名残もない程に短く刈られ、その上ツンツンと無造作にあちこちを向けて立てられている。これで外に出れば、頭皮は凍るかもしれない。
本気で僕はそう思ったと言うのに、「冬だからな」と、空に描き伝えた僕の言葉を、青年はあっさりと流した。そして、楽しげに声をあげて笑う。
確かに、僕の頭が寒いからといって、彼には全く問題にはならないのだから、耳を傾ける必要などないのだろう。たとえ禿げても別に構わない。他の材料となる人間を探せばいいだけのことだ。
「それで、どこでやるの。演奏は」
僕の髪を触る藤代に、声がかかる。
「今のところ、S駅です。他の奴が居たら変更するかもしんないけど」
適当にその辺で、と応える彼に、この店の店主で人気美容師でもあるアキトさんは、「なら、藤代もキメてやろうか」と顎で椅子を示した。
「セットしてやるよ、聴きに行けない変わりにタダで」
「マジですか? やり〜っ!」
ガッツポーズを作った藤代は、「保志、ほら、退けよ」と僕を椅子から追いやった。現金な男だ。だが、その笑顔相手に抵抗する気にはなれず、僕は大人しくその場を離れる。
「保志くん、その辺で適当にしていてよ。コーヒーはあっち、勝手に淹れて飲んで。何なら、練習していてもいいよ」
アキヒトさんの言葉に、「それいいじゃん」と藤代が頷き、幾つかの曲名を適当に口にする。吹けという事だ。
リクエストされたのは、今日の演奏には全く関係のない、ジャズばかり。最近僕が練習し始めたものばかりということは、からかうためか、上達をみようというのか。藤代の性格ではどちらともとれるというもので、僕は眉を寄せ、鏡の中の青年を軽く睨んだ。
それでも、僕は他にする事もないので、律儀にその曲を吹いていく。そうしなければ、再び鏡の前に座らされるかもしれないからだ。可能ならば、藤代の機嫌はとっておくのがベターだ。
時々、僕達は都合が合えば街中で一緒に演奏をする。僕はサックスで、藤代はトランペット。出会いは、駅前で同じくトランペット吹きの友人と演奏していた彼に呼び止められたことで、僕が誘われるままにそれに加わわったのが、この関係のはじまりだ。
元気な性格にあった、弾ける様な演奏を藤代はする。それは聞くのはもちろんの事、セッションをするとこちらまでハイになる。それがなかなか気持ちがいい。だからだろう、僕は彼の都合に合わせ、少々無理な予定でも演奏の場を持ったりもする。
そんな藤代と、今日演奏をしようと決めたのは、かなり前の事だ。確か、暑い夏の事。汗を流しながらの街中での演奏に、冬が恋しいと彼が言い出したのをきっかけに、この話になったのだ。クリスマスがある週の月曜日にやろう、と。少し早い、僕達のクリスマスコンサート。
毎週月曜が休みの藤代に合わせ、僕もなるべくこの日に休みがもらえるように以前から頼んでいたので、あっさりと休日を貰えた。そして、夕方からの演奏の予定が、「折角なんだから、かっこよくしようぜ」と言う彼の一言により、早くから拘束される事になった。
クリスマスだからな、と騒ぐ藤代を少し面倒に思いつつも邪険に出来ないのは、少しあの友人に似ているからだろう。
元気な姿、僕に向ける笑顔。藤代のそれは、友人と共通する部分がある。
彼も、クリスマスが好きだと、この時季にはよくはしゃいでいた。
小さな子供のように。
駅前は夕方という時間帯もあるのだろうが、クリスマスが近いというせいでもあるのだろう。北風が吹く中だというのに、人通りが途絶える事はない。そして。
その中で幾人かの者は、丁寧にも寒空の下で足を止め、僕達を見ていた。座り込んでいる女子高生など、風邪を引くのではないだろうかとこちらが思ってしまうくらいの格好で、それでも演奏に耳を傾けてくれている。
街中での演奏は、こうした人の視線を意識していてはどうにもならず、それを自分のエネルギーに変えなければならない。初めはそれがわからなかったが、いつの間にか僕もその方法を身につけた。
先に駅前でギターを片手に歌っていた、二人組みの男子高校生を巻き込み、サックスにトランペットにギターに声楽にと、妙なアンサンブルを披露する。藤代にのせられるまま、知り合ったばかりの高校生は、声を嗄らすほど歌わされ続ける。
いい加減解放してやる気になったのか、藤代の選曲で僕が交代にソロで吹く。そしてまた、クリスマスソングに。
冬の陽は沈むのが早く、直ぐに辺りは電飾で彩られていく。
その中で演奏をする僕達に、それを眺める人々。曲に合わせて歌を口ずさむ人から、一瞥をするだけで直に去っていく人。
変わらない光景だ。
記憶の中のものと、変わらない空気。
時が経とうと、クリスマスはいつも、賑やかでいて、それでも冬らしい少しの喪失感が人々の間に落ちている。失ったものをこのイベントで埋めるかのような、どこか、人々が一体となっている気がする。
本来の意味に関心は無く、ただ騒ぐ人々。
あの頃と違うのは、ただひとつ。
――メリー・クリスマス、翔。
僕の隣に、友人はいない。
2003/04/23