# 51

 藤代の尊敬するところは、僕より小柄なのにパワーは比べ物にならないくらいあるというところだろう。常にハイテンションな性格だが、それを演奏でも維持し続け、何時間もぶっ続けで演奏出来るのは本当に凄いことだ。
 体形に似合わず、ある意味、化物だ。フルで一日吹き続けることなど、朝飯前といったところなのかもしれない。
 だが、生憎と僕は、全く休憩をとらずの演奏となると、精々1時間が限界だろうといった程度のものだ。いや、それが普通だろう。
 チョコチョコと動き回りながら、有名歌手のクリスマスソングを演奏する藤代に、僕は感嘆の息を吐いた。座り込み、ペットボトルに口をつける僕に、藤代が笑いかけてくる。本当に、タフだ。
「保志、休憩は終わりだぞ」
 …まだ、10分もとっていないというのに、これだ。
 すっかり夜が帳を降ろし、足を止めている者達の顔も何度か変わった。引き入れた高校生達も帰ってしまった。なのに、この青年はまだまだやる気があるらしい。
 だが、そんな藤代を誡めるかのように、空からぽつりと水滴が落ちてきた。
「あ…。降り出すかな」
 明日雪だって言ってたよな、と藤代は空を見上げた。だが、ピストンにかけた指を細かく動かし音を刻むのは、まだまだやりたいという意思表示なのだろう。
「何時だ? …まだ、7時前じゃん。まだやれるのに」
 時刻を確認し肩を竦め、再び空を見上げる。8時に約束があるので、7時45分には僕は抜けると先に言っていたのを、藤代は覚えているようだ。
 僕は何だか、既にに祭りが終わってしまったような、名残惜しい顔をしている青年の肩を叩き、指を立てた。
 最後に一曲しよう。
 雨はポツポツと言った程度だが、楽器を濡らしたくはないというもので。
「ああ、そうだな」
 と、駄々をこねる事も、無理をいう事も無く、藤代はそれに頷いた。
 最後に選んだのは、アレンジを効かせすぎて原曲がわかりにくいほどの、「聖この夜」。ミサで聞くような厳粛なものもいいが、ポップス調にしたこの方が日本のクリスマスには合っている。
 トランペットの旋律に合わせながら、僕は賑やかな細かい音を刻んでいく。
 長時間演奏をしていると指は疲れを訴え始め、一番無理が出てくる小指は、悲鳴をあげる。そんな時にこの曲の指使いは、はっきり言ってかなり苦しい。非道というもの。それを知っている藤代が僕を見て目で笑う。
 ミスるなよ。
 パーンと響く金属楽器特有の音が、僕を挑発した。


 パチパチと幾つかの拍手を貰い、僕達の演奏会は終わった。
 いつもの癖で、顔にかかっているわけではないのに僕は髪をかき上げ、短くなった事を思い出す。頭にのせた手でガシガシと髪を乱すと、目敏くそれを見つけた藤代が、楽器を拭いていたタオルを投げてきた。丁度いいので、サックスの水滴を取る。
「何やってんだよ、傑作品を」
 文句を言いながら、倒れてしまったのだろう髪を引っ張り立たせる。
「人に会うんだろう。まだ、崩すなよ」
 それに肩を竦める僕に、藤代は呆れたように溜息を吐いた。その彼に、タオルを返す。

 ふと、視線に気付き、人通りを僕は振り返った。
 先程まで演奏を聞いていた人はもう居ない。だが、その場所に、一人の男が佇んでいた。歩道を行き交う者の邪魔になることなど気にした様子も無く、逆に歩く人々が彼を丁寧に避けている。
「どうした? …あの人、お前の知り合いか?」
 藤代の言葉に頷き、僕は手早く楽器を片付け、彼の肩をポンポンと二度叩く。
「ああ、じゃあまたな」
 その言葉に軽く頷き、僕はこちらを見て立っている男へと足を向けた。

 いつもと違い、周りを威圧するような空気を持っている男。
 筑波直純。

 …まだ僕を見張っていたのだろうか。


 僕が真っ直ぐと近付くのを待ち、目の前に立った僕を少し睨みつけるように見据え、それから筑波直純は溜息を吐いた。控える事もないそれは、僕に喧嘩を売っているのかと思えるもの。
 だが、僕はそれを買う気などさらさらなく、吐き出された息を見なかったようにさらりと流す。男の機嫌など、僕には余り関係ない。付き合う義理もない。
「…髪、切ったのか」
 再び、今度は小さく息を吐いた男は、僕の頭を見てそう言った。
 それ以外に何があるのだろうか。見ればわかる事を口にするのは、質問ではなく、自身への確認か何かだろう。そう、僕の答えを求めているわけではないのだ。だが、面と向かってのこの言葉に僕は少し呆れ、肩を竦める。
 ふと、雫が落ちてこないことに気付き、僕は空を見上げた。暫しそのままの姿勢で待つが、やはり、早くも雨はやんだようだ。
 これなら、まだ演奏を続けていられたのだろうと後ろを振り返るが、藤代の姿は既に消えていた。僕はそのまま首を回し、駅前の時計に目をやる。約束の時間までには、まだまだ余裕があった。
 僕は筑波直純に視線を戻し、指を一本立て、僅かに首を傾けた。
 一人ですか? その問いを示すよう、辺りを少し見回す。ライトが流れる道路には、幾つもの停車車輌があったが、男が乗っていそうな黒塗りの高級車はない。
「ああ、そうだ。俺が一人で居てはおかしいか?」
 僕はその問いに首を振りながら、少し笑った。
 どこか不機嫌そうな顔をしていた男も、僅かに表情を崩す。
「それにしても、感じが違うな。見落とす所だった」
 男の言葉に、僕はそんなに拘るほどなのかと、髪に手を伸ばした。多少そうであるだろうが、別に珍しい髪型でもない。
 そんな僕を、今度は喉を鳴らして、男は笑う。
「違う。確かに髪もだが、店で吹く時と感じが違うなと言いたかったんだ」
 僕は首を振りながら、楽器ケースを抱え上げた。止め具を外し、片脚にのせてケースを開ける。中から取り出した楽譜の裏に、いつものように文字を記した。
【独奏と重奏は全然違いますよ。
 いつから聞いていたんですか?】
「20分程前からだな。たまたま通りかかったら、人だかりの中にお前がいて驚いた。もっと静かに吹くのが好きなんだと思っていた」
【見つけたのは、たまたま、ですか】
「ああ、そうだ」
 男が口の端を上げて笑った。それ以外の言葉は口にはしない。信じるかどうかは僕次第という事か。いや、それが嘘だという証拠を僕は手に入れられないからといった、男の自信なのかもしれない。僕は軽く肩を竦める。
 要するに、疑がってもどうにもならないということだ。
 男はそれを悟る僕を見ながら、楽しそうに笑った。

 光が溢れる街で、その笑顔は、ごくありふれた光景だった。

2003/04/23
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