# 60

「っで。上手くいったのかな?」
 佐久間さんは、僕にそう言って笑いかけてきた。その笑顔は、やはり優しい穏やかなもの。
 だが、内容はあまり可愛くはない。
 クリスマスイヴというのは、世間ではやはり、独りでは居たくない日と言うものになってしまっているのだろうか。普段はビジネスマンが多いこの店も、今夜は男女のカップルが目立つ。仲間同士それ以上の人数でやって来た人達もいるが、一人の者はあまりない。
 しかし、そんな事を気にすることはなく、目の前で笑う佐久間さんは実に楽しそうだ。他人の事などどうでもいいのだろう。
 そんな彼の話を、僕程度の人間がはぐらかせられるわけがない。たとえ、聖なる夜に奇跡が起きようとも、有り得はしない。
 顔を染めるほど初心でも、詳しく説明するほど厚顔でもない僕は、ただ軽く肩を竦め、それを返事とした。答えはこれで充分だ。僕自身、よくわかっていないのだから。
「そう、良かったね」
 僕の反応を、どんな意味かはわからないが、良い事だととらえたのだろう。佐久間さんは嬉しそうに笑い、喉を鳴らした。今夜の彼は、珍しくカクテルではなく、甘い紅茶のビールを傾けている。
「なら…、今度あの男をからかってみよう。ダメかな?」
 その問いにも僕は肩を軽くそびやかし、口の端で笑う。
 異国産らしい変わった柄のラベルが貼られた小さなビール瓶に手を伸ばし、空になった佐久間さんのグラスに注ぐ。
「ああ、ありがとう。
 それにしても、筑波も大変だ」
 それは、どう言う意味なのか。
 訳知り顔で微笑む佐久間さんに首を傾げて見せると、「色々とだよ」と言葉を続けた。
「もしかして、聞いていないのかい?
 …ま、それも筑波らしいか。あいつはヤクザが嫌いなヤクザだからね、今の自分を恥じている。だから、君には教えていないのかな。保志くんとは、ヤクザとしては付き合いたくないんだろうね」
 一人納得しながらグラスを口に運ぶ佐久間さんに、僕は今度は軽く眉を寄せる。話が全く見えないのだが。
 そんな僕を気にせず、彼は同じように言葉を続けた。
「どんな事があっても、君を組には関わらせたくはないってね。健気と言うより、馬鹿だね。知る方が危険を回避出来る事もあるというのに。
 恋愛をしていると、その判断を見失うのかな? …同じ失敗を繰り返すつもりはないのだろうに」
 ホント、馬鹿だよ、と佐久間さんは小さな息を吐き、視線を手元のグラスに落とした。
 恋愛? 失敗? …何のことだ。 「ヤクザが嫌いなのに、そこから抜け出せない。彼らしいと言えばそれまでだが…、不器用すぎて呆れるね」
 落とした自らの呟きに肩を揺らせ、「別に貶しているんじゃないんだよ」と何故か僕に言い訳をし、佐久間さんは残っていたビールを一気に呷った。
 僕が会話を理解していると思っているのか、その必要がないと考えているのか、佐久間さんはメニューを手に取り、次の飲み物を選ぶ。青い紙を持つ手はとても白く、まるで病人のようだと見入ってしまう。人間を救う手としては、少し頼りなげに思える細さだ。
 次に彼が注文したのはラムベースのカクテルで、マスターがシェーカーを振った。それを見ながら、佐久間さんは僕にカクテルを作れないのかどうかと訊いてきた。得意ではないと答えると、今度一度飲ませてよと笑った。
 マスターが一言二言会話に加わり、佐久間さんに綺麗な空色のカクテルを出すと、他の客に呼ばれてカウンターの隅へと行った。
 それを機に、佐久間さんが話を戻す。
「僕も詳しくは知らないし、彼が言わない事を言うのも何なんだけどね。
 筑波の組はね、今ちょっと揉めているようだ。相手は中国マフィアで、既に何度か痛い目に合わされているらしい。そろそろ反撃に出るみたいだよ。あそこは最近ピリピリとしている」
 ま、ここ数日にどうこうって程の話じゃないから、まだわからないんだけどね。
 何せ僕は部外者だから、と佐久間さんが笑う。彼が言うと、ヤクザの抗争など凄い事なのだろうに、危ないようには聞こえない。どこか飄々としたその口調は、昨夜見た面白くなかったテレビドラマを語っているかのようなものだ。聞いた内容そのものよりも、現実味がない。
「ま、筑波も、危なくなってまで君と会うような男じゃないし、会えるうちは大丈夫だという事だから、心配することはないよ。
 会うんだろう、この後で」
 ニヤリと笑う佐久間さんに、僕は首を横に振る。何を根拠に思ったのだろうか、そんな予定はどこにもない。
「何故? 折角のクリスマスイヴだろう」
 そう言われても、あの男とクリスマスを過ごすなどという考えは僕には全くなく、不思議そうに訊ねられても答えなどない。何故、僕と筑波直純が、クリスマスイヴだから会うものだと思っていたのか、その理由の方が知りたいというもの。
「なんだ、寂しいね」
 肩を竦めながら佐久間さんは言い、カクテルに口をつける直前に小さく笑いを落とす。
 寂しい? そんなものは全然ない。
 馬鹿な事をしてしまったという気まずさがあるので、顔を合せたくないと言うのはあるが、寂しいなど心をひっくり返して探しても出てきそうにはない。
 何を言っているのかと思った僕に、佐久間さんは言った。
「独り身の僕はもう気にもしないけれど、恋人がいるのに会えないのは、寂しくないかい? 別に信者でもないんだけどね、その風潮にはどっぷり浸かっているだろう、日本人ってさ。クリスマスは恋人と過ごす。これ常識、ってね。
 どうなの、保志くんは?」
 そう言われ、漸く、あの男の事を僕の恋人としているのだと気付いた。僕は呆気にとられ、思わずまじまじと佐久間さんの顔を見つめる。本気だろうか? わかっていて、惚けているのだろうか…?
「何? どうしたの?」
 首を傾げる佐久間さんに、僕はただ、情けない顔をして頭を振るしかない。
 書くのも馬鹿らしいというか、空しいが、けれどもこれは訂正しなければならないことだとペンを持つ。
【恋人なんかじゃないですよ】
「上手くいったんだろう?」
 最初に交わした会話を思い出し、微妙に噛合っていなかった事に気付く。
【ケンカみたいになっていたのが、元に戻っただけです】
 溜息を吐く僕に、「ふ〜ん、それだけなのか」と佐久間さんは少し口を尖らせた。何故か残念そうな表情をする彼に、僕の中で悪戯心が芽生える。
【仲直りの方法は、秘密ですよ】
 態々そう伝える僕の思惑を、この男ならば違えることなく掴み取るだろう。
 案の定、一瞬きょとんとした顔をした佐久間さんだが、直ぐに何かを企んでいそうな笑みを浮かべた。
 そして。

「君はホント、大したものだよ」
 筑波はまだまだ、君に振り回される運命にあるのだろうね。

 好意的に僕が与えた情報に対するお返しは、僕には謎の言葉だった。
 だが、佐久間さんらしいと僕は笑う。

 筑波直純との事ばかりを考え少し疲れを覚えていたが、佐久間さんと過ごせたおかげで、僕にも聖なる夜がやって来た。
 サンタのプレゼントはないけれど、それに劣らない楽しい時間を手に入れる。
 佐久間さんからのリクエスト曲を吹いた僕は、彼から「ありがとう、良かったよ」と言葉を貰う。

 特別なものではない、今までと変わらないこんなひと時が、実はとても大切な時間なのだと僕は知っている。

2003/05/11
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