# 61

 店がとても忙しかったクリスマスの次の日。仕事は休みなので、僕は部屋でぼんやりと過ごしていた。
 お昼が過ぎて暫く経った時、携帯がなった。確認すると、筑波直純からのメールが届いていた。
 午後の3時前後、1時間ほどでいいから時間を作ってくれないかと言う内容のメールに、いいですよ、と短い返事を返すと、2時半頃に迎えに行くと、少し時間をおいて返事が来た。時計を確認すると、その時刻まではもう1時間もなかった。
 了解をしたのは自分自身だというのに、眺めた時計に、僕は重い溜息を吐きかけた。正直、嫌ではないが、以前のように何の気負いもなく会えるものでもない。
 先日彼の部屋で別れて以来、筑波直純とは顔を合わせてはいない。佐久間さんが言ったように忙しいのか、彼もまた僕と同じようになんとなく気まずいのだろうか、この数日は店にも顔を出さなかった。
 だが、たった数日のことなのだから、特別な理由などないと考える方が自然なのかもしれないと、僕は何故かいちいち何でも考え込んでしまいそうになる頭を振り、ベッドに寝転がった。低い天井を眺め、大きく息を吐く。
 人と付き合うというのは、とても難しいことなのかもしれない。
 決まっていたポジションを少しでも移動し変えてしまえば、積み木のようにあっさりと崩れてしまう、そんな脆いものなのかもしれない。関係を続けていく上で一番大切なのは、変化をもたらさない事なのだろう。
 何も考えず、小さな変化は確かにいくつもあったが流れるままに人間関係を築いてきた僕は、突然のこの変動に、今更ながらにそんな事を思い知る。
 ただの客とはいえないが、雇い主というわけでも何でもなく、単なる知り合いに過ぎない男が、こうして僕を呼び出すのに先日の事が影響していないとは言えないのだろう。店以外で何度も会った事はあるが、偶然程度のものでしかなかった。こんな風にはっきりと、僕を目的に呼び出す事など、今まではなかった。
 あの男は、一体何を考えているのだろうか。
 ただの知り合いだとはもう言えそうにない関係を目の前に突きつけられ、僕は重い息を吐く。そう深く考える理由などないのだろうが、訪れた現状を何故か戸惑う。
 慣れない事をしたからというだけではない。
 先の見えない、予想の付かない変化がまた訪れそうで、気が重くなるのだ。

 往生際が悪いなと自分で思いながらも、何だかんだと考え、それでも結局最後にはわからないと匙を投げる。そんな事を何度も繰り返せば、もう精神的に疲れ果ててしまい、どうでもいいと楽な方へ逃げる。
 考えても仕方がないと、僕はベッドから起き上がり出掛ける用意をした。気付けば、もうそろそろ男が来そうな時間になっていた。
 無気力に生きている人間ではないので、頭を使い何かを考える事は日常的にしてきた。だが、こう悩むというようなことを今までした事があっただろうかと、僕は記憶を辿る。多分、こんなにも悩んだ事などないだろう。
 それだけ平穏に、周りに関心を示さず生きてきたということなのか、恵まれていたと言う事なのだろうか。たぶん、その両方だろう。
 悩む事に免疫のない僕は、いくら考えても出そうにない答えを、普通はどう処理するものなのかさえ見つけられない。だから、やはり、わからないと打ち切るしかないのだ。
 いい加減にしろよと、僕は冬の冷たい水で顔を洗い、深い息を吐いた。その時、部屋にチャイムが響いた。ピンポン、ピンポンと立て続けに2回音が鳴り、トントンとドアまで叩く。
 騒がしいその行動に、僕は軽く眉を寄せた。あの男ではなさそうだ。
 チェーンをつけたまま玄関のドアを開けると、そこには岡山が立っていた。
「よっ。用意は出来ているのか?」
 ドアを引こうとし、チェーンがかかっていることに気付き「何だよ、おい」と肩を竦める。僕がそれを外すと、岡山は玄関に入ってきて僕の姿を眺め、その格好でいいのかと軽く眉を上げた。
「車だけど、そこまでは寒いぞ」
 僕はそれに頷き、部屋へと戻りコートに袖を通した。財布と携帯をポケットに入れ、電気を消して玄関に戻る。
「筑波さんとは店で会うことになっているので、そこまで俺が送らせて頂きます」
 戻った僕に、少し真面目な声で岡山はそう言い頭を下げた。だが、「ってことで、よろしく」と顔をあげた時には、ニヤリとした笑いを浮かべる。遊んでいるようだ。
 僕はその姿に軽く笑いながら靴を履き、岡山を先に促して外に出た。
 彼が言ったように、確かに外はとても寒かった。顔を洗った際に濡れた髪が凍るのではないかと思うほどに。



 老舗の料亭と言ったような広い屋敷に連れて来られた僕は、女将らしき和服姿の女性に、丁寧に誰もいない部屋へと案内された。コートにジーンズ姿の僕には似合わなさ過ぎる空間に、少し戸惑う。
 一体何事かと呆れながらも、居心地の悪さに、段々とこんなところを選んだ男を腹立たしく思いはじめる。少し狭いが優雅な日本庭園も、僕の心を和ませはせず、苛立ちの後には疲労感だけが残る。
 何度目かの溜息を吐いた時、先程の女性の声に続いて襖が開き、筑波直純が姿を現した。
「遅くなって悪かったな」
 机を挟んだ僕の前に腰を降ろしながら、ふと短い息を吐く。どこか疲れている様子だ。
 失礼しますと頭を下げて出て行く女将の姿に、男は片手で応えただけだった。その仕草では、常連なのかどうかまではわからないが、初めて来たわけでもないのだろう。
「突然呼び出してすまない。他に時間がとれなくてな」
 僕の顔を見ながら、男が苦笑した。不機嫌さを顔に表していた事に気付き、今度は僕が息を吐く。
「そう怒るな。仕事には遅刻させない、心配するな。俺もあまり時間はないんだ」
 そうではない。会うのは僕が了承したのだ、気まずさはあっても、不満はない。ただ、もう少し一般的な場所が良かった。男の生活水準は知らないが、僕はどこをどうしようと庶民なのだから。
 何をそんなに忙しくしているのかはわからないが、この近くの場所がいいのなら、こんな店ではなく道端の方が良かった。雰囲気に圧倒され、空気が合わない。居心地が悪い。
 だが、今更嫌だと提案をしてもどうにもならないのだと、悪態は言葉にはしないでおく。それくらいには、大人であるつもりだ。
【仕事は、休みです】
「ああ、そうなのか」
【それで、用は?】
 多分、この部屋をとるときに男が頼んでいたのだろう。筆ペンと和紙の便箋に、僕はそれには似合わない癖のある字で言葉を記す。雪景色が淡く描かれた便箋に僕の上手くない字が重なるのは、何となく滑稽だ。まるで、この部屋と僕のよう。場違いでしかない。
 そんな僕の内心など知らず、男は「これを渡したかったんだ」と、小さな箱をどこからか取り出した。
「遅れてしまったが、クリスマスプレゼントだ」
 手を出せと促され、言われるままに差し出した僕の右手を、男は机の上で優しく掴んだ。
 そして。

 箱から取り出した、細い銀色の指輪が、僕のその手の薬指に差し込まれた。

 小さな飾りが増えただけだというのに、視線の先の手は、もう自分のものではないような気持ちになった。
 ただ、指輪をはめたというだけなのに。

2003/05/15
Novel  Title  Back  Next