# 62

 男は指先で、僕の指にはまったその指輪を軽く撫でた。
 見入ってしまいそうになったのを、僕はそこから視線をそらす事でその事態を避ける。軽く視線を泳がし、目を閉じる。
 …何だというのだろうか。
 取り出したのが指輪だとはわかっていた。だが、はめられるとは。
 はめられた事はわかった。だが、…プレゼント?
「少し、緩いか?」
 誰へのものかと問うことは、流石の僕でも出来はしない。だが、理解も出来ない。何の冗談なのか、全くわからない。
 回るほどでもないかと確かめた男は、僕を見て口元で軽く笑った。
 その笑いに、僕は軽く顔を顰めた。指にあるリングを眺め、男に向けて首を傾げる。一体これは、どう言う意味なのかと。
「こういうのは、嫌いか?」
 男も僅かに眉を寄せた。そして、軽い息を吐きながら肩をそびやかす。
「指輪が気に入らないのなら、鎖をつけて首からつるせばいい。身に付けていて欲しいんだ、駄目か?」
 そう言う男の言葉を片手で遮り、僕は首を振った。
 嫌いだとか駄目だとかの話ではない。確かに指輪などつけ慣れていないが、それ以前に、こんなものを貰う理由がないというものだ。
【僕に何故、あなたがこんなものをくれるんですか?】
 僕の質問に、男は数瞬の間考える様に口を閉ざし、頭を軽く振った。
「…それは、どう言う意味だ?」
 考えてもわからなかったのだろうか。難しい言葉ではないのに。
【言葉通りのままですが】
「俺がお前に指輪を贈るのがおかしい、と?」
 僕が大きく頷くと、男は軽く顔を顰めた。
「ガラじゃないっていうのか? ま、それはそうだろうが…」
【そうじゃない】
 男の言葉を軽く机を叩く事で遮り、僕は大きく首を振る。
【単なるクリスマスプレゼントにしてはおかしすぎるので、何故こんなものをと聞いているんです。女ならともかく、男相手に贈るものですか】
 物そのものよりも、まずその行動を僕は疑っているのだと、男に向かって大きな溜息を投げつける。そう、何処の世界に、同性の知り合いにこんなものを贈るのだ。まして、僕達はふざける間柄でもないし、そんな事が出来る年齢でもない。
 理解出来ないと、握っていたペンを置き、はめられたリングに指を伸ばす。
 指先で触れたそれは、予想とは違い冷たいものではなかった。その微かな温もりを指先で味わうよう、思わず先程男がしたように指輪を撫でる。しかし、こんな事をしたいのではないと、取り外そうと指に力を加えた時、男は言った。
「……恋人に贈る物としては、おかしくないだろう」
 指輪を摘んだそのままで、僕は思わず動きを止める。
 …何を言っているのだろうか。
 怪訝に顔を顰めた僕に、男は更に顔を顰めて言った。
「保志。お前は俺を何だと思っているんだ?」
 真っ直ぐと僕を見て、そんな言葉を紡ぐ男は、真剣そのもの。だが、何だと言われても、僕には特にこれといった知り得る事はない。
 ただ、ヤクザだというだけだ。この男がどんな仕事をして、どんなヤクザなのかなんてことは、僕は知らない。佐久間さんが言った事も、全てが正しいかどうかはわからないし、今は関係のないことだろう。
【ヤクザ、なんでしょう?】
 ヤクザにヤクザだと言うのはどうなのだろうかと一瞬考えたが、他には思いつかず、曖昧にそう訊き返す。そんな僕に、男は「そういう意味で訊いているんじゃない」と首を振った。
「俺の事を、どう思っているかと訊いているんだ」
 どう思う…?
 再び言われた質問は、けれども何故そんな事を訊いてくるのか、どう言う目的で言っているのか全くわからず、どのように答えるべきものなのか僕には全然見えない。言葉としてはわかっても、理解出来ない。
 この男との会話はよくこんな風になるなと思いながら、指輪をそのままに触れていた手を外し、ペンを握り直す。
【問われている意味が、よくわからない】
「…わざとはぐらかそうとしているのか?」
【何が?】
 その言葉に、男は大きな溜息を落とした。僕との会話が成立し難い事に男も気付いているのだろう、「変わった事は言っていないんだがな…」と小さく呟き少し情けない顔を作る。
「保志。頼むから、はぐらかさないでくれよ」
 ヤクザに頼み事をされるとは。
 何の事かはわからないし、そうしているつもりも全く無い僕には、切実に訴えてくる男の姿が滑稽で、思わず口元に笑いをのせる。
 だが、それは直ぐに、男の言葉によって僕の顔から消えてしまった。
「……俺の事を、嫌いなのか、好きなのかと、聞いている」
 嫌いか、好きか…? 筑波直純の事を、僕が?
 僕はその言葉に少し目を見開きながら、自分をさしその指で男をさした。男はそのさした僕の指を握り、深く頷いた。指を折り畳むようにして、僕の手を包み込む。
「そうだ。どうなんだ…?」
 どうと言われても…この展開に僕はついていけない。やはり、何故そんな事を訊くのかわからない。何を訊きたいのか、言わせたいのか。男の意図が見えない。
 どう思うと訊いた先の質問は、男の仕事についてのものではなく、筑波直純自身の事だったのだと、今更気付く。
 だが、気付いたとしても、答えまでは見つけ出せれはしない。
【何て答えればいい?】
 思わず、僕は男にそう問いかける。
「…こっちが、聞いているんだ」
 それはそうだ。だけど、僕の中にも答えがない。いや、あるのだろうが、急には発掘出来ない。
 眉を寄せた僕に、男は溜息を吐いた。
「何故…俺と寝たんだ」
 今更、何を聞いてくるのか。
【そうしたかったから】
 他に何がある。
 だが、筑波直純は「何故?」と、再び問う。質問ばかりだ。
 僕の手を握る男の手に、少し力が入った。返答を急かしているのだろう、僕は思いつく言葉を記す。
【そんな気分になったから】
 そう、それ以外に何があるだろうか。
 しかし。僕としては当たり前だろうと思う言葉も、男は気に入らなかったのか顔を顰めた。
「お前は…気分次第で誰とでも寝るのか?」
 その言葉に、僕は軽く口元を上げて笑い肩を竦めた。それこそ、聞かれてもわからない。そう言う気分になったのは先日が初めてだ。次があるのかどうかすら、今の僕にはわからない。
 だが、今の僕の考えとしては、その問いの答えはYESだろう。気分がなければ他人と肌を合わせられないと思う。そんなこと、当たり前の事だ。嫌々誰かと寝る趣味など僕にはないし、狂っているわけでもないのだから。
「…遊びだったというわけか」
 僕の笑みに何を見たのか、男はそう言い僕の手から手を離した。そして、その手で顔の半分を覆い、深い長い溜息を吐く。
 大きな片手で覆われた男の顔を見、薄く開かれた唇から零れる息に、僕は同じように息を重ねて溜息を吐いた。そんな僕を、男が手を下ろし見据えてきた。冷めた灰色の目は、少し羨ましくなるくらいに綺麗だ。
「俺をからかうのは、面白いか?」
 僕はその言葉の意味がわからず首を傾げた。
「勝手に惚れた奴の感情なんて、気にしていられない…。ま、確かにそうだろうだろうな。俺もそうだ。人に説教出来る程、善人ではない。
 …だが、遊ばれたのが自分となれば、はい、そうでしたか、とはいかない」
 真剣な目で真っ直ぐと僕を見据える男に返す言葉はなく、僕は視線を落として息を吐いた。何の話をしているのだろうか、一体…。
「俺には全く望みはないのか? なあ、保志」
 どこか悲しげなその声に、けれども僕は顔を上げなかった。落とした視線が捉えた先には、僕の指で光る銀色の指輪。白い輝きはどこか白々しげで、僕はそれを指から抜き取り、テーブルに置いた。
 けれども、そうして外した次の瞬間には、もう一度指にはめたくなった。温もりを手放した事に、何故か少し後悔をする。
 蛍光灯の光の下で輝く細い指輪は、黒に近い茶色の机に映えていた。
 僕はその指輪を指先でなぞり、ふとそれを見つめるもう一つの視線を見上げた。
「…それが、答えか」
 男は淡々とそう言った。
 その声に、表情に、僕は一瞬飲まれてしまい、反応を返すのが遅れた。膝を立て、そのこに手を置き力を加え、すっと立ち上がる男をただ見上げた。
「わかった」
 短くそう言い、男が背中を向ける。

 わかったとは何がわかったのだろうか。
 僕の方は何一つわからないと言うのに…。

 男が一人で会話を成立させた事への憤りはないが、少しは呆れていたのだろう。僕はただ男を振り向かせようと思っただけなのに、気付けば勢いよく手を振り下ろしていた。
 バンッと上がった大きな音に、思った以上に強くテーブルを叩いてしまった事に、自身で驚く。

 机の上では指輪とペンが踊り、張り詰めた空気の中、カチカチと乾いた音を響かせた。

2003/05/15
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