# 65

 年末年始の休みは今回も、例年通り、30日から3日までの5日間になっていた。
 29日の深夜、店が終わり後片付けをしている僕に、マスターが訊いてきた。
「去年と同じように、大晦日に丹下達が来るんだけど。保志くんはどうする、来るかい?」
 その言葉に、話題にあがった人物を思い出しながら、僕は大きく頷いた。お邪魔でなければ、是非にと。
 最近、気付けば筑波直純との関係の重さに心が沈んでいるので、気分転換になるものなら何でも歓迎だ、という藁にも縋る心境だ。だが、実際は何をしようとも気分が晴れる事はない。だが、あの集まりならば話は別だろう。
 単純に、楽しみで心が躍る。
「それじゃあ、夕方からだから。用が入ったら、一応連絡はいれてよ」
 マスターはそう言い、残りの仕事の指示を出すと、奥へと引き上げていった。モップでフロアーを掃除していたバイトの少年が、「何かあるんですか?」と興味深げに訊いてくる。
「マスターの知り合いに、ピアノの調律をしてもらうんだよ。ま、その後、年越しパーティーってわけだ」
 僕の変わりに応えたのは、一番の古株従業員である早川さんだった。僕がこの店に勤めだしたころに働いていた従業員で残っているのは、彼だけだ。それくらいに、僕も長い間ここで働いているということになるのだろう。
 早川さんは今でこそキッチンを担当しているが、僕にバーテンの技術を教えたのは彼だ。酒もいいが料理の方が面白いと、前料理担当者が店を辞めたのをきっかけに、キッチンを受け持つようになった。
 歳は彼の方が7歳上なので、そう近いというわけでもないのだが、早川さんは何かと僕を構ってくれる。
「小林、お前も来るか?」
「残念ながら、デートなので」
「それは、何か。未だに独り身の俺と保志に喧嘩を売っているのか? 寂しく年を越す男を笑っているのか?」
 軽く顎を突き出し腕を組みながら、早川さんは少し声を作ってそう言った。人をからかうのが好きな男なのだ。だが、長年付き合っている僕ならともかく、バイトで入ってまだ半年も経たない少年には、それは例え演技だとわかっていても、笑い返せるものではないのだろう。
「あ、いや。そんなこと、言っていませんよっ!」
 勢い良く頭を振り慌てる少年に、「ふ〜ん、そうか?」と疑いの視線を早川さんは向ける。
 そんな二人の様子を眺めながら、僕はカウンターの片付けを終え、フロアーに移った。
 基本的に、キッチンは店が閉店する前に片付け終わっているのが通常なので、従業員は店内の清掃が終われば帰れる事になっている。逆に、お喋りを続けていればいつまで経っても帰れないということだ。
「あ、すみません」
 僕の動きを確認した少年が、慌てて手の動きを再開し始めた。
 今年最後の営業は、けれども特に何かがある訳ではなく、いつもと同じように終わった。
 だが、例年とはひとつだけ違うところもある。
 来年、この店は一体どうなるのだろうか。
 そんな不安を抱えたまま、この年はもう、終わりを迎える。




 外は寒いのだろうが、陽射しは強い。
 指が直ぐに悴むかもしれないが、公園にサックスを吹きに行こうと考えていた時、チャイムが部屋に響いた。一度だけ鳴らされたそれに、僕は玄関へと足を向ける。
 休みに入り二日目にして、僕は暇を弄んでいた。昨日は部屋の片付けや雑用で時間を潰したのだが、一人暮らしのマンション住まいでは、そう時間がかかるものでもない。
 誰かと遊びに出かけたり、旅行に行ったりということを僕はしない。精々サックスを吹くことで他人とのコミュニケーションをとっているといった人間なので、こんな長期休暇は、逆にかえって疲れてしまう。特に、今回は。
 ぼんやりと過ごしていると、色々と勝手に頭が考えてしまうのだ。あの男の事を。
 その思考から逃げ出そうにも、思いつくのはサックスを吹く事だけ。だからといって別に問題はないのだが、それでもその事実に、自分は面白みのない人間だと思い知らされもする。
 楽譜の上に置いた自分の指先が微かに動いているのを見止め、無意識にリズムを取っていたことに気付いた僕は、一人部屋で苦笑する。音楽が、サックスがすべてだと言うような生き方はしていないが、そんな風に言えるほど溺れてみたいと思った時もあったのだと思い出し、息が切れるまでサックスを吹きたくなった。
 大晦日の人込みの街に出るのも、寒い外に出るのも気は進まないが、公園に行こう。今直ぐに。
 そう考えていた時に響いたチャイムは、無粋な雑音でしかなかった。
 無視してやろうかと思ったが、今直ぐ出かけようと考えているのだからそれも難しく、仕方がないと腰を上げる。
 ここを訪れる者は、殆どいない。知り合いとも外で会うので、藤代でさえ僕の住処は知らないだろう。チャイムが鳴らされるのは、訪問販売や新聞の勧誘ぐらいだ。
 だが、こんな日にそんな者達が仕事などしているだろうか。休みとなれば、宗教活動だろうか。何にしろ面倒だ、とそう思いながら、僕はドアを開く。

 外には、ロングコートのポケットに両手を突っ込んだ姿勢で、筑波直純が立っていた。
 人目を気にせず立てたコートの襟が、今日の寒さを物語っていた。

 タイミングが良いのか悪いのか。
 この場合はどっちなんだろうかと、僕はどうでもいい事を考えた。

2003/05/21
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