# 96

「抱きたい。嫌か?」
 ストレートなその言葉に、僕は背中を振るわせた。
 言葉を返す前に降りてきた筑波直純の唇ははとても熱く、先のキスとは違い情熱的で扇情的なくちづけをされ、僕は返答を考える前にそれに溺れてしまう。進入してきた舌は我が物顔で僕の口腔で暴れ、けれども僕を傷つける事はなく、ただ力強く僕の舌を刺激した。絡みつくそれに煽られると、それを察知し笑うかのように熱が去って行く。迷う余裕もなく追いかけた先でも逃げられ、焦れた頃に漸く捉えた男の舌は、ただ愛しかった。だが、相手はそう優しくもなく、きつく吸われ、絡み捕られ、噛み付いてくる。
 まるで、喰うか喰われるかの選択を迫られているかのようだ。命をかけるかのようなキスに、僕は夢中になる。
 唇を離した時は、すっかり息は上がりきってしまっていた。二人の間に伸びた銀の糸が切れるのをぼんやりと眺め、僕は男の肩に額を押し付ける。胸の中で心臓が躍っていた。勢いよく繰り返される呼吸が、自分の中に竜巻を作ったかのように、凄い音がする。ぜいぜいと息をする自分を客観的に想像し、その馬鹿さ加減が妙に面白かった。
 思わず笑いを漏らした僕に、男は一足早く調えた息で聞いてきた。
「答えは?」
 決まっている。今の僕に、拒む選択肢はない。
「保志…」
 甘い呼び声に顔をあげ、僕は三度目のキスを求めた。
 僕のシャツを脱がした筑波直純が、胸に手を置き、一瞬動きを止める。肩に唇を落としながら、少し不安げに大丈夫なのかと耳に囁いた。掠れたそれは、けれども真剣な色を持っている。
「痛みは?」
 その問いに、問題はないと首を振りながら、僕は自ら胸の包帯を解いた。直ぐに男がそれを奪い、小さく笑う。次に同じように巻ける自信はない、と。
「不器用なんだ」
 そう苦笑いをしながらコルセットを外す男の髪に、僕は鼻先を埋めた。整えていない髪はいつもの整髪料の香りはせず、男の匂いがする。外気に触れた胸がすっとし、なんだか不思議な気がした。しかし、直ぐにそこキスを落とされ、羞恥が走る。
 今更だが、真昼の明るい部屋の中での行為に、とてつもない恥しさを覚えた。カーテンのない窓からは、冬の陽射しだけではなく街の時間が流れ込んでくるのだから、堪らない。
「寒いのか? それとも痛いのか? ――震えている」
 羞恥のためのそれを、真顔でそう尋ねてくる男が心底憎らしく、僕は胸を滑る手を掴んだ。大人しくしていろと言うように、ソファの上にそれを降ろす。そして、自分だけでは耐えられないと、僕は男のシャツのボタンを外しに掛かった。ひとつひとつゆっくりと外すそれを笑うように、男は手は大人しく横に降ろしたままだが、からかうようなキスを僕の顎に、首に胸にと落とす。シャツを脱がせようとする僕の腕をぺろりと舐める。
 子供のような仕草は、けれども今の僕にとっては微笑ましいものではなく、余計に憎らしいものだった。余裕を見せ付ける男が、それが全くない自分が、腹立たしい。
 けれど。
 それ以上に僕は興奮していた。

 シャツを脱がされた男は、自らアンダーシャツを脱ぎ、床に落とす。そして、僕のスウェットに指をかけてきた。引き降ろそうとする男の手を僕は押さえ、一度床に足を下ろし、躊躇いなく下着ごと全てを脱ぎさる。
 全裸になると同時に、羞恥による後悔を覚えた。僕を見る男の視線を痛い程感じ、自分だけが焦るようにこんな格好になっているのが、堪らない。だが、だからと言って再び衣を纏えるわけもなく、どうにかして欲しいと頼むように僕は男の脚を跨ぐようにそこに座った。
 筑波直純はそんな僕の腰に手を回し、逆の手で大きく背中を撫でる。
「…真っ赤だぞ」
 何がと伝えるより早く、男は僕の頬にキスを落とした。
「照れているのか、保志」
 この状況で照れもしない奴がいたら、不感症だろう。愛しい者が目の前にいて、今からセックスしようというのだ。相手にその気はなくとも、自分は充分に煽られ、それを自覚させられまくっているのだ。馬鹿みたいに興奮して、顔も染めるというもの。
 男の言葉にカッとさらに血が上る。自分が餓鬼だというのも、男が大人だというのも十二分にわかっているが、何もこんな時に教え込んでくれなくていい。
「可愛いな」
 ククッと喉を鳴らした男にか、その言葉にか。僕は眩暈を覚えた。
 もう、限界だ。
 男の肩に手を置くと、そこは僕の掌以上に湿っていた。腕へと掌を滑らせた僕は、鎖骨に唇を押し当て、軽く歯を立てる。すぐ上から男が喉を鳴らす声が聞こえた。舐めるように舌を這わせ吸い上げると、塩辛い味が口に広がる。
 唇を離すと、そこには薄っすらと鬱血が出来ていた。それに興奮を覚え、僕は今度は男には見えないだろう、背中に近い首と肩の付け根に同じ記しをつける。
「楽しいか?」
 笑いを含んだその声に、僕は素直に頷きで答えた。
 俺にもさせろと、男の唇が僕の体を這う。胸の突起を甘噛みされ、僕は意識せず、まるで強請るように男の頭を腕に抱え込んだ。反り返る背中を、逞しい腕が支える。
「……硬くなってきたな、ほら」
 僕に教えるように、男は僕の顔を見ながら立ち上がったものを指先で摘んだ。痛いくらいのそれは、けれども僕の身体に甘い痺れを起こす。
 気付けば夢中で互いの身体にキスを落としていた。ゆっくりと、まるで焦らすように僕の体を支配していく男の瞳に、僕は目を閉ざす。全てが、僕を煽る仕草のようで、堪らない。いつもはガラスめいたその瞳に浮かぶ情欲に、狂ってしまいそうだ。
 後腔に触れられた時にはもう、僕の体は静かな熱で高ぶりきっていた。直接与えられた刺激からくるものではなく、精神的な攻めにより体の奥底から沸きあがらせたようなその熱は、自分でももうどうする事も出来ないものだった。今の僕の体は僕のものではなく、完全に筑波直純のものだった。
 周りを刺激するだけで進入してこないそれに、僕は貪欲に刺激を求める。堪らなく恥ずかしいが、熱には勝てず、欲望のまま腰を振った。ソファの上で膝立ちになり男の肩に頭を乗せるよう俯くその姿勢では、昂ぶった自身のそれが細めた視界でも良く見えた。多分、男よりも見えているのかもしれない。
 天を向き先走りの雫を滴らせるそれは、自分のものだとわかっているが、客観的な映像でしかなかった。自らの浅ましい体よりも、ただただこの猛り狂う熱をどうにかしたかった。それを男がしてくれる事を僕は待ち望んでいた。
「挿れても、いいか…?」
 耳朶を噛まれながら囁かれたその言葉に、一も二もなく、僕は何度も頷く。男が笑った気がしたが、その意味を考える余裕はない。差し込まれた指に小さな痛みを感じながらも、僕は安堵からくるような熱い溜息を吐いた。
 体が広げられていくのを感じながら、僕は待てずに男のベルトに手を伸ばす。両手を使うために預けていた体を起こすと、男の指を深咥ええ込んでしまい、僕以上に男が焦って動きを止めた。そして、何て奴だというように呆れて笑う。
 俺はお前を傷つけたくはない、お前も気をつけろ。
 男はそう言ったが、逆はあっても、僕が男に傷つけられる事など絶対にあり得はしない事のように思った。たとえ僕の体から血が流れるような事があっても、傷付きはしないだろう。
 バックルを外し、ジッパーを降ろし、下着の中から自分と同じように昂ぶった男の性器を引き出す。握り締めると、僕の手の中でビクリと震え固さを増した。伝わる脈打ちを自身の鼓動と重ね、一時の安らぎを僕は覚える。
 漸く、待ち望んだそれが後腔に押し付けられた時はもう僕は正気ではなく、熱が欲しいがために自ら腰を押し進めた。無理はするなと囁く男の声も遠く、口から臓腑が飛び出しそうな圧迫感に耐えながら、強引に楔を咥え込んだ。切り裂くような痛みはあったが、それも欲望の前では取るに足らないもので、ただただ筑波直純が自分の中にいるという事実に酔いしれる。
 他人をこんな風に自分の内に受け入れるなど、考えた事もなかった。自分には関係のないものなのだと、男の性器が入り込むその瞬間まで、妙な自身を持っていた。いや、初めて他人を受け入れてからもなお、何処かで今もそんな考えを僕は持っている。本当に繋がったこの一瞬だけが、例外なのだろう。
 だから。だから、こんなにも、貪欲になってしまうのだろうか。
 初めてではないと言うのに、まるでそうであるかのように、何もかもが新鮮な気がした。男を受け入れる痛みも、中の熱も、感じるその形も、それに合わせて変化する自分の身体も。全てが初めて経験する事のように、僕の胸は高鳴り続ける。
 ゆっくりと、慣らすように動かしていた腰は、いつの間にか激しくなっていた。僕の動きに合わせ、男も腰を振る。
「…くっ、ああ……」
 眉間に皺を寄せ、額に汗を浮かべる筑波直純は、僕の征服欲をかきたてた。このままこの男を食い尽くしてしまいたい、とそう思う。それが出来たなら、どんなにいいだろう。僕の血となり肉となり、ひとつの物として生きられるのなら、全てを忘れ僕は男を食い殺すのかもしれない。
 熱い息を掛け合い、その合い間に噛み付くようなキスを交わしながら、僕はほんの一握り残った思考でそんな事を考えた。唇を離し、けれども舌を絡ませながら、落ちていく唾液を受けとめた男の胸から視線を外せられない。大きく上下するその胸から伝わる鼓動。温かい男の心臓をこの手に出来たなら、僕はそれに齧り付くだろう。
 だが、しかし。
「――保志っ」
 昂ぶった僕の性器を握り締めた男が、その先端に爪を立てる。気付けば、中の男は達したようで、ビクビクと震えていた。じんわりと温かいかのような腹と、強烈な前の刺激に、僕は男に遅れて精を放つ。飛び散った僕の精液が、男の胸から腹を汚した。
 指先でふれ、そこに擦りつけるかのように掌を押し付ける。ベッタリと濡れた手に、窓から差し込む光りが落ち、卑猥な輝きを放った。
 欲望は、ある。
 だが、それを実行できるかどうかは、また別の問題だ。
 僕には、男を食べ殺す権利はない。
 こちらの方が自分には似合いだと、僕は自分の精液で塗れた手に口をつける。少し、吐き気が込み上げた。青臭いというよりも、生理的に受け付けない味だ。だが、僕には男の血や肉よりも、この方が合っているのだろう。
「不味いのなら、俺にくれ」
 楽しげに喉を鳴らしながら男はそう言い、僕の手をペロリと舐めた。覗いた赤い舌が口内に消え、再び手を舐めるために顔を見せる。
 咥えこまれた指を動かすと、男の口腔内で舌が踊った。

2003/09/08
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