# 115

 馬鹿らしいにも程がある。
 恐怖よりも何よりも、僕の中ではあり得ない自体に嫌気がさした。一種の、現実逃避なのかもしれないが、今はそれも悪くない。
 何だってこう、銃刀法違反の犯罪者達に囲まれているのだろうか、僕は。そう言う問題ではないのだろうが、そう言う問題が気になるのだ、仕方がないだろう。僕はヤクザと付き合いがあると言えるのだろうが、極一般の部類に属す人間なのだ。拳銃など、ドラマの中だけのもの。昔それを間近にしていたとしても、あれは日常ではなかったのだから同じ事だ。
 そんな僕に共感したかのように、佐久間さんが言う。
「当たり前だ。僕は君達のようにヤクザじゃない、一般人なんだ。やり方なんて知らないよ」
「拳銃片手に、良く言う。どこが一般人なんだ」
「僕はただ、ゆっくりと話がしたいだけだ。はじめから撃つ気はないと言っている。だけど、撃ってしまう確率はゼロではない、わかっているのかなそれを。銃を下ろしてよ、筑波くん」
「……」
「さっきの発言からすると、君自身、簡単には打てないんだろう? 撃つ気があるのなら、四の五の言わずに撃つもんだ、か。かっこいいね、すっかりヤクザらしくなってさ」
 今でもそうなんだろうけど、昔はもっと純粋だったよね。可愛かったよ。
 あえて神経を逆撫でするように、にんまりと佐久間さんは笑いながら言った。その笑顔を近すぎる距離で見ながら、僕は小さく息を吐く。男の怒りを買い、天川の目の前で醜態を晒し、それで本当にこの人はいいのだろうか。何故、こんな終わりを得ようとする。
 そうだ。何故、こんな…?
 スマートではないと、佐久間さんらしくはないとふと僕は気付いた。そう、全くこの人らしくない。確かに、何があったのかは知らないが天川が離れかけたのならば、天川が全ての人なのだ、終わりを見たのかもしれない。だが、それで絶望する者でもないはずだ。それで、筑波直純を煽り終わりを得ようとするなど、らしくない。だが、邪魔者を消し天川と更に繋がりを増そうというような、そんな風に筑波直純を逆に打ち負かそうとしているようでもない。
 一体何なのだと、まだ何か考えがあるのだろうかと、僕は男と向き合う佐久間さんの横顔に視線を向けた。それに気付いたのか、掴まれた腕に一度力が加えられる。どういう意味なのか。佐久間さんの真意を汲み取れないまま、僕は傷みに顔を顰める。
「俺はお前と話をする気はない。佐久間、保志を放せ。銃を床に置いて手を頭の後ろで組め。今直ぐにしないのなら、撃つ」
「それより先に、僕が保志くんを撃つよ。いいのかい? 第一、ここで流血沙汰は拙いんじゃないのかな。天川のホテルだという認識はあるの?」
「問題ない。お前の方こそ、天川が俺についてここに来た意味を考えろ」
 筑波直純にそう言われた佐久間さんは、暫しの沈黙後、小さな笑いを零した。
「そうか。なんだ、そうなのか。司は僕を捨てるんだね」
「…秀」
 今状況を知ったかというように納得を示し、そして自嘲するように少し笑いを含ませた彼の言葉に、天川が顔を歪める。
「そんな顔をする必要はない。別に、いいんだよ、僕は。それが君の選んだ事ならば」
「違う、俺は…」
「何が違うんだい、司」
 わざと天川の言葉を区切るように口を開き、佐久間さんは淡々と語りかけた。
「筑波くんから何を聞いたか知らないけれど、それを信じるんだろう? 僕の話を聞く事もせず、僕を切った。だからこんな状況になっている。そうなんだろう? 一体、何を違うというのかな?」
「それは…」
「これは君の意思じゃないとでも?」
「秀…」
 静かに、けれどもまるで追い詰めるように、佐久間さんは天川の言葉を制する。
「言っただろう。別に、君を責める気はないよ。だから、そんな顔をするなよ、司。僕ではなく筑波くんを選んだと言うのは、ただ僕がそれだけの男だったって事なんだろう。僕よりも君は彼を必要としたんだろう」
「違う!」
「そうかい? なら、僕をこの状況から助けてくれるの?」
「……」
「違わなくはないだろう、そう言う事だよ。そして、それだけの事なんだ。気にする必要はないよ、司。筑波くんに協力するのなら、僕を抑えてごらん。君の好きにすればいい。君がいないのなら、僕の負けは絶対だ。残念だけれどね」
 佐久間さんはそう言い肩を竦めると、僕の胸から銃を下ろし、腕を離した。拳銃を床に置き、両手を挙げる。
「福島」
 筑波直純が名前を呼び顎で示すと、福島氏が佐久間さんに銃口を向けながら近付いた。天川が腕を伸ばしそれを制す。
「おい。やめろ」
「殺しはしない。落ち着け、天川」
「だが、秀は…」
「話は後だ」
 僕に近付きながら筑波直純は天川を嗜めた。天川とこの男の立場はどちらが上なのだろうか。ふと、そんな事を僕は考える。
「大丈夫か、保志」
 僕の視線に手の中の拳銃を少し気まずげに上着の中にしまった男は、その手を差し出してきた。迷う事なく僕に向けるのは、何故なのか。僕が恋人だからか、危険ではないとの判断に自信があるからか。
 伸ばされた手も、それをする男も、今の僕には理解出来ないものだった。あまりにも、変化した状況が馬鹿馬鹿し過ぎて。簡単なこの結末に、納得出来ない。
 今のは、なんだったと言うのだろうか。拳銃を手にしてまで佐久間さんが得ようとしたのは、こんな事なのか。銃口を向けられてまで、天川を慰めるのか。あっさりと、本当にこれで天川と切れるつもりなのか。
 僕は――。
 ――そう、僕は、この状況を何ひとつ受け入れてはいない。受け入れたくもない。
 僕が佐久間さんを好きだと知っている男が、彼に銃口を向けたのを、何故冷静に見る事が出来る。当然の行動だと納得出来るはずがない。今なお、部下に向けさせているそれを、どうして無視出来るというのか。そもそも、この男の発言がなければ、佐久間さんはこんな目に合いはしなかったのだろう。
 あの時は。ほんの数時間前に佐久間さんと並んで歩道を歩いていた時は、こんな状況が訪れるなど、頭の隅にもなかった。僕はただ、穏やかな一日の終わりを信じていたのだ。それが、こんな事になるなど、誰が想像出来ただろう。
 全ての元凶が、この男だとは言わない。だが、加担しているのも紛れのない事実。
 僕は筑波直純の手を避け、無意識に近い行動で、床に向かって手を伸ばした。
 不可思議なものを見たかのような、どこか頼りない声が僕の名を呼ぶ。
「保志…?」
 固い金属は予想よりも冷たくはなかった。佐久間さんが今まで握っていたからだろうか。指先で触れ、その温もりに安心し、僕は手の中にそれを収めた。
 何故かとても落ち着いている。もう少し、僕は拳銃というものに対して拒絶反応を持っていると思っていたのだが、全くそんな事はない。友人があの時手にしていたものと同じタイプのものだからだろうか、手に馴染む気さえする。そう、僕は何処かでずっと、これを手にする事を望んでいたのかもしれない。
 あの時残された二発の銃弾がこの銃に詰まっている、そんな気がした。
 どうしてこうも嫌悪を感じないのかは不思議であったが、そんな事は今は関係ない。あの日は手を伸ばすことも出来なかった拳銃を、僕は確りと握り、銃口を驚く筑波直純に向ける。
「っ…!?」
 空いた方の手で彼には止まる事を要求し、僕は続いて佐久間さんと福島氏の間に体を置き、天川に銃を向けた。今はいちいち言葉を伝えている時間はない。そのまま、佐久間さんを押す形で数歩後ろに下がり、僕は彼らと気休め程度でしかないが距離をとる。本当に意味などないのだろうが、それでも、それが出来る程度には落ち着いている自分を認識出来た。
「保志っ!」
 予想していなかったのだろう。一瞬呆けかけた筑波直純が我に返る様に僕の名を呼び動こうとする。だが、意外にもそれを止めたのは福島氏だった。
「駄目です、筑波さん。彼は本当に撃つ」
「何を…」
 馬鹿な事をと言いかけ、一体僕に何を見たのか、男は信じられないと言った風に目を見開き、次の瞬間には睨むように細めながら口を閉じる。
「どういうつもりだ、お前…」
 天川が眉間に皺を寄せ、僕を睨んだ。先程佐久間さんに見せた表情とは全く違う。多分これが銃器密売をしている男の顔なのだろう。鋭い視線が僕を射る。
 だが、それはただの視線でしかなく、武器を手にした者にはあまり効き目はない。いや、僕自身には、か。
 僕は銃口を天川にあてたまま、福島氏が持つ拳銃に手を伸ばし、佐久間さんに向けた銃口を降ろさせた。僕が示したように動かない筑波直純もこの男も、僕の意図を汲み取っているのだろう。
 そう。今ここで銃口を向けて彼らが躊躇うのは、天川なのだ。筑波直純に向けても、彼の部下である福島氏に向けても、彼らのどちらかは動くだろう。僕が僕自身に向けても、意味がない。この中で彼らが殺されたり怪我をさせられたりして困るのは、天川だけだ。天川司本人よりも、天川氏に一目置いているらしい彼らは、何よりもそれを避けたいだろう。
 佐久間さんの言葉が、それを僕に教えた。ここは天川氏のホテルなのだ、どんな理由にしろ、この中で男達が主導権を握れるとは思えない。
 だからこそ、僕は天川に銃口を向けた。そう、効果があるからであって、本気で撃つ気などない。僕は、好きではないからといって天川を殺したいわけではない。しかし、佐久間さんの時と同様、そんな事は誰にもわからないのだろう。見慣れぬ拳銃をいまいち現実として受け止めきれない僕とは違い、それがあるのが日常である彼らは、持っているだけでもそれが脅威となる事をきちんと認識しているのだろう。
 そして。ヤクザ相手にはったりをかまして銃口を向ける訳がなく、たとえそれが虚勢であっても素人だからこそ撃ってしまう可能性があると判断したのかもしれない。この僕だからこそ撃たないなど、誰も思っていないのだ。
 いや、それは彼らだけではなく、僕とて同じ。今は撃つ気はないが、一瞬後にはわからないだろう。僕自身、自分の考えを信じ切る事など出来ない。迷い続け、その都度適当な答えを出すのが僕と言う人間なのだと、一番知っているのは誰でもない、この僕なのだから。
 そう考えれば、彼らの判断は賢明だと思うべきなのだろう。僕以上に、僕という人間を知っているのかもしれない。
 その思いつきに、僕は小さく口元を歪めて笑った。馬鹿馬鹿しい。ひとりの人間を熟知するなど、誰にも出来る事ではない。当人さえも、簡単に出来ないのが当たり前なのだ。簡単に判断されるなど面白くはないと、僕は直ぐに笑いを引っ込める。
 そう、面白くない。
 何もかも……。
 何故、こんなにも。僕の望まない方向に事態は進んでいるのだろうか。
「やめろ、保志。…山口、動くな」
 佐久間さんが銃を手にしていた時とは違い、緊迫した空気が部屋に張り巡らされている。だがそれよりも、逆に撃たれても文句は言えない自分の状況よりも、僕はただ佐久間さんの事を考えた。
 彼は何故こんな事をするのか。最終的に辿り着く答えは見えていたが、それさえもやはり信じられない。今更佐久間さんが天川から離れるなど、信じたくはなかった。
 茶番だと言った彼は、一体何処までシナリオを考えていたのだろうか。天川に向けた言葉は、用意されていたものだろう。ならば、その後は…?
 僕がこんな風に動く事まで、佐久間さんは計算していたのだろうか。
「…保志くん」
 上げたままの佐久間さんの腕を取り、引き寄せる。
 今この場で対立しているのは、男達と佐久間さんではない。彼らの目指す先は一緒だ。対立しているのは、僕と佐久間さんなのだ。僕と他の者達なのだ。絶対に、佐久間さんに終わりを与えたくない僕は、けれども彼のシナリオ通りに進んでいるかのようなこの状況が耐えられない。
 自分の非力さが、堪らない。いいように動かされている事に気付かない男達が、腹立たしい。自ら幕を引こうとする佐久間さんが、許せられない。それを僕はなんとしてでも阻止したい。絶対に。
 こんな終わりなど、誰が認められるというのだ。僕は、感情のない人間ではない。僕にだって、譲れないものはある。
 喩え、全ての人間に恨まれようとも、譲れないものが。

 そう、誰になんと思われようが、僕は譲れない。
 ここで退く事は、絶対に出来ない。

2003/10/20
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