# 120
僕は彼らが苦しむように、その道を、無意識の内に指し示したのかもしれないと気付き愕然とした。そんなつもりはなかったと否定するが、絶対とは言えないのだろう。そんな事はしないと常に考えていたわけでもなく、自分の行動全てを説明出来るわけでもないのだから。
僕を突き動かした衝動に、そんな醜さが混じっていたとしても、何ら不思議ではない。望んでいないのに、説明のつかない行動を起こしてしまうのが人間というものだ。
本当ならば、佐久間さんの計画では、先程の場面で幕を引いていたのかもしれないのだ。自分の負けだと言ったあの時点では、天川に対してこんな態度をとるつもりは無かったのかもしれないのだ。
そう。誰よりも天川が大切で、この男を傷つけたくはない佐久間さんがこんな事をしようとしているのは、僕のせいに他ならないのではないか。僕がかきまわしたからこそ、佐久間さんはこんな事をしなくてはならなくなってしまったのだ。他の終わりを選ばなくてはならなくなったのだ。
裏切りの言葉を自ら天川に紡ぐ佐久間さんが、痛くて痛くて仕方がない。天川にではなく、僕にそれを向けるべきなのではないか。余計な事をしてくれたと、何故怒らない。
思わず握り締めた手が、強弱をつけて握り返された。視線を向けると、佐久間さんが小さく頷く。気にするなと言うのか、小さく笑う。それが余計に、僕には堪らない。
「嘘、だよな…? 秀…」
掠れた声で、天川が問う。彼にはどんなに近くにいようと、佐久間さんの心は見えない。そう、あの弟の事もそう。この男は、言葉を言葉としてしかとらない。それが大切な者であっても、言葉の向こうに何があるのか汲み取れないのだ。
「嘘じゃない。最後くらいは、真実を教えてあげるよ、司」
全てをわかっていて、それでも佐久間さんは言葉を止めない。天川に、傷をつける。
「…最後」
「そう、最後だ。残念ながら、僕もここまでのようだ。そうなんだろう?
僕はね、司。君が何よりも大切で、他の事なんてどうでもよかったんだ。そして、君に同じくらい僕を欲して欲しかった。だから、誠くんが邪魔だった。当然だろう。
戸籍は義理でも、血の繋がった兄弟だと誰もが知っている。そんな君達が乳繰り合っているんだよ、知った時は吐き気がした。しかも、君のように後ろめたく思っているのなら可愛げもあるけれど、彼は居直っていた。確かに、アバズレ女の血を引いているだけあるというもので、なかなか大したものだったね。司は自分のものだと僕に噛み付いた。折角手に入れたものを、易々と人に譲る気はないとね。とんだ弟クンだよ、全く。
だから。この件に関しては、僕は感謝こそされれば、恨まれる筋合いはないと思うよ。どうせ、あのまま関係を続けていたって、不毛な限りだし、司も彼の本性を知ったら――」
「――黙れっ!!」
天川が拳を壁に叩きつけ、叫んだ。
「そんな事…聞きたくはない!」
「そう。なら今までのようにご機嫌を取れって? 最後の最後まで? 馬鹿らしい。何故メリットもないのにそこまでしなきゃいけないんだ。僕は天川の後継者である君以外には、興味はない。尽くした分だけ見返りをくれるから、僕は君の傍にいたんだ。そんな事にも気付いていなかったのかい、司。無条件で、君と言う人間を大切にしていると思っていたのかい? そんな趣味、僕にはないよ。君も馬鹿ではないし、僕はまた、知っていて親友を演じているんだと思っていたんだけれど。本当にめでたいというか何というか、無防備すぎるね。だから、実の弟にまでつけ込まれるんだよ。いいように扱われて、情けない。
もしかしたら、誠くんはそんな君に愛想をつかしたのかもしれないね。限界を見たのかもしれない。彼は天川氏には嫌われていたから、君しか居なかった。だが利用しようとしたその君も、能力のない馬鹿だとなれば、自分の未来は真っ暗だ。それに気付いて悲観し、自ら命を絶ったのかもしれないね。そう、彼が死んだのは、僕のせいではなく君のせいなのかもしれないよ。思い当たる節があるんじゃないのかい、司。君達、どんな睦言をかわしていたんだい」
「……くっ…」
佐久間さんの言葉に反応し、奇妙な音を天川がたてた。呼吸が上手く出来ないかのように、赤から青へと顔色を変えながら、胸を押さえる。佐久間さんはそれをじっと見ていた。無意識にだろう、僕の手を強く握る。その手が震えるのを、僕は力を入れて押さえた。
今ここで、自分の罪に嘆いている場合ではないのだと、他に出来る事があるだろうと僕は気付く。佐久間さんが少しでも僕を頼っているのなら、それに応えるべきなのだと。僕が支えとなるのならいくらでも利用すればいいのだと、僕は握り合った手にもう一方の手を重ね、佐久間さんの手を包み込んだ。
ズルズルと壁をつたい床に座り込んだ天川が、肩で大きな息を繰り返す。その両手は強く握り締められており、関節が白くうきだっていた。
「それで、司。他に何が聞きたい?」
「……」
「もうないのかな。君の頭にも、事の全容がわかったかな。それとも、誠くんと交わした会話を覚えている限りあげようか?」
「…必要、ない。それよりも…親父との関係は…?」
「何、それ。君の父親と僕にどんな関係があるというんだい」
嘆くように肩を竦めながら、佐久間さんは軽く頭を振る。
「何かあるわけがないだろう」
「だが、お前と親父は…」
「まさか、君と誠くんみたいなものだと吹き込まれたのかい? 止めてくれよ。悪いが、僕は男と寝る趣味はない。それとも、他の事かな?」
「……」
「まあ、何であってもいいよ、もう、そんな事はどうでもいい。
天川氏とは、残念ながらと言うべきなのかな、何もない。君では頼りないから彼に気にかけてもらいたいと思った事も確かにあったが、全く相手にされなかった。彼にとって、僕は君の友人でしかないんだろう。こういう時のために、僕としては是非とも関係を作りたかったんだけどね。本当に、残念だよ」
「……お前は――」
天川は苦しげにそう言い、口を閉ざした。溢れ出る感情のせいか、それとも言葉をなくしたのか、ただ無言で床に拳を叩きつける。
「さて。じゃ、質問はもういいのかな。20年近く友人をやってきて、問われるのはそんな事ばかりというのも情けないが、仕方がないか。君にとっては、父親と死んだ弟が全てなんだから。三十にもなって寂しいが、ま、僕も人の事は言えないね。
さて、ならば今度は僕の番だ、司」
「……」
寂しいとは、その人生がか。それとも、その性格がか。
天川をそう表現する佐久間さんに僕は少し頭を捻るが、言われた本人は気にもかけなかったようだ。痛い言葉だという認識しかないのだろう。天川なら、責められる自分が可哀相だと嘆いているのかもしれない。十分考えられる事だ。
チラリと僕は、傍に立つ男を見上げた。直ぐに視線に気付き、筑波直純も僕を見る。相変わらずの表情を僕は確認し、視線を元に戻した。この男にも、佐久間さんの言葉は天川と同じように聞こえているのだろうか。もしかすれば、少しはおかしいと思っているのかもしれない。だが、そんな事は佐久間さんを終わらせようと言う男には関係ないのだろう。彼にとってはこの展開に、異論はないのだ。
「君は僕にどうして欲しい? 今まで通りか、縁を切るか。それとも、殺したい?」
拳銃は持っているんだろう?
佐久間さんの静かな言葉に、天川が顔を歪める。
「殺したいのなら、どうぞ。どうせ、君が僕に答えをくれなければ、僕は筑波くんにどうかされてしまうだろうしね。もし、君が僕を許すと言えば、筑波くんは手だし出来ないんだろうけど、それはさすがにないのかな」
「天川が許しても、俺は許さない。今ここで殺してやろうか」
「それは無理だよ、君には出来ない。確かに、僕を殺した理由などいくらでもそれらしいものを並べる事が出来るだろう。だけど、ここは天川氏のホテルだ。いくら司が居るとはいえ、勝手な事は出来ない。違うかい?」
慌てる事なく、落ち着きはらった佐久間さんのその態度に、筑波直純は舌打ちを落としたがそれ以上の事はしなかった。気に入らなくとも、佐久間さんの言葉は事実だと言う事なのだろう。
「さあ、司。どうするのか、早く決めてよ」
応えを促す佐久間さんの声に、天川が顔を上げる。全ての表情を落としたかのようなその目が僕の隣の佐久間さんを射抜く。だが、佐久間さんはそれさえも愛しげに、天川を見つめ返した。それに気付いたのだろう、天川の顔に、悲しみが浮かぶ。
辛そうに顰めた顔を伏せ、天川は掠れた声で言った。
「……二度と、俺の前に顔を見せるな。……東京から、消えろ」
「天川っ!」
筑波直純が信じられないと言うような声を上げるが、天川はその決定を変えずに言葉を紡ぐ。
「お前の事は、もう…知らない。俺の前から消えろ、秀。もし、その姿を見せたなら、その時は…俺がお前を、殺す」
残酷なその言葉は、けれども口にする本人が一番堪えているようだった。
「甘いね、君は。そんな風だから、まだまだだと言われるんだよ。ま、僕としては願ったり叶ったりだけど」
「俺は、お前を…殺したくはない。だから…」
「わかっている。二度とこの姿を君の目には晒さないよ。僕もまだ死にたくはないからね」
深刻な天川の変わりだというかのように、佐久間さんは明るく笑う。零れる声はどこか弾んだもので、頭に響いた。僕はそれを痛々しく思うが、天川にとっては自分を傷つける凶器なのだろう。低い呻き声が漏れてくる。
譲歩なのか、それとも、ただ逃げているだけなのか。天川の選択がどこから来たのかはわからないが、全てを知っていて佐久間さんに次の道を与えている訳ではないだろう。彼の行動が自分を思うこそのものなのだと、この男が気付くはずもない。
弟を殺したという友人を、恨む心はあるだろう。だが、その理由が自分を欲してのものだと言われれば、原因は自分であったのかと弟に対して引け目を感じ、その心は形を変える。今、天川はあの少年に対して懺悔でもしているのか。それともただ自分の不幸を嘆いているのか。
何にしろ、天川は心の底から佐久間さんを憎み続けるだけの力を持ってはいない。僕に何もしなかったのと同じく、彼にも何も出来ないだろう。目の前から消えてくれと言うだけで、精一杯なのだ。それを佐久間さんも充分わかっているのだろう。
だからこそ、なのか。
「……親友だと、思っていた。俺にはお前だけだったのに――」
天川がまだ縋るかのように呟いたその言葉を、彼はばっさりと切り捨てた。
「嘘ばっかり。そう言うのなら、何があっても何を知っても、僕を切らないで欲しかったね。僕が変わったんじゃない。僕は出会った時からずっと同じだ。君が、今になって僕を捨てるんだ。被害者なのは、僕だ。変わったのは、今までの関係を変えるのは、君なんだよ、司」
何を悲劇の主人公のように嘆いているのか。泣きたいのはこっちだよ。
裏切られたのは自分の方だと、佐久間さんは気だるげに言い髪をかきあげる。
「って、もう、どうでもいい事か。あんまり言って、やっぱり殺してやるなんて事になったら洒落にならないからね、止めておこう。
さて、筑波くん。僕は消えるよ、騒がせたね。まあ、それも、保志くんとは本当に食事をするはずだったのに、勝手に君が騒いだのが原因なんだけどね。とんだ災難だよ、全く。それにしても。やっぱり、君は面白いね。放っておけばいい事に首を突っ込むなんて、苦労性だ。色々と忙しいようだと訊いているけど、実は暇なのかい?」
「俺の気も変わらないうちに、さっさと消えろ」
一瞬、きょとんと佐久間さんは目を瞬かせた。そして、納得がいったのか軽く肩を竦め、「君の前にも顔を出さないようにしないと駄目なのかな」と苦笑する。
「当然だ」
筑波直純の返答に再び肩を竦め、佐久間さんは僕に向き直り、いつものように優しく笑った。ゆっくりと、握り合っていた手を解き、その手を僕の顔に伸ばしてくる。
そして。
何が起こったのかわからなかった。
あっと思った時には、僕は佐久間さんにキスをされていた。
2003/10/23