# 135
「勿論、佐久間さんはそれには反対を示しました。あなたに何かあれば、余計に司さんは気にすると、逆効果だと訴えましたが、天川はききませんでした。そもそも、二人は望むものが違うんですから、佐久間さんの意見が正しかったとしても天川には関係がなかったんです。佐久間さんは常に司さんの事を一番に考えていた、彼の幸せを。それとは違い、天川は後継者としての司さんを何より必要としていた。たとえ、あなたをどうにかする事で司さんの執着が大きくなったとしても、居なくなれば問題はなかったんです。司さんは、絶対に自ら天川のもとを去る事はしませんからね」
男はそう言い、軽い笑みを落とした。それは一体何に向けてのものなのか。僕が考えようとするより早くに、言葉が続けられる。
「司さんは父親である天川を慕っています。それは、誰の目にも明らかでしょう。彼は、最近では取り繕う事を覚えましたが、それでも人に心を見せすぎる。あれがなければ、彼を取り巻く環境はまた違ったものになったのでしょうが、ま、それは言っても仕方がな事ですね。司さんは父親を盲目的に敬愛している。それは、唯一の真実であるかのように彼の頭には刷り込まされているのですから、どうにもならない。力はまだ充分とは言えませんが、彼もまた父親の後を継ぐためだけに、彼に認めてもらうために努力している。私の目から見れば、健気なほどに。
しかし、佐久間さんはその司さんの望みを叶える為に協力する事は厭わないとしていても、それがベストだとは考えていなかった。それの違いが、天川と相容れない部分でした。天川は、自分を求めるからこそ、司さんを選んだのですからね。
佐久間さんは、今の場所は司さんには似合わないと常々思っていたのでしょう。彼が望むのなら立たせてやりたいと思うのと同じく、そこに立てないのなら立てなくてもいいではないかと、司さんに別の道も示していた。立てる別の場所を、自分が用意すると。それが佐久間さんの司さんに対する想いだったのでしょう。必ずその場所だと言う天川とは、違いすぎたんです」
父親に必要とされようと、認めてもらおうと必死な天川に、佐久間さんが手を貸したくなったとしても不思議ではないのだろう。僕にはよくわからないが、あの友人も彼を守りたいと思ったように、天川という男は側のものをそんな気にさせるのかもしれない。
しかしそれを、そんな風に息子を支える者達を、実の父親が排除するとは何たる事なのだろうか。
「誠さんの事に関しても、佐久間さんは決していい顔をしてはいませんでした。あの頃は立場も弱かったですし、何よりまだ子供でしたから、天川に口を出しはしませんでしたが、彼は多分もっと違う結果を望んでいたのでしょう。私も直接聞いたわけではありませんが、わかります。佐久間さんも、誠さんを気に入っていましたからね」
精神的に不安定なあの少年に銃を渡すよう、佐久間さんにそれを握らせたのは自分だと言った陣野氏は、一体その時何を考えていたのだろうか。自分の事は何ひとつ言わないのは、感情を殺して仕事をしてきたからか、それとも何も感じていないのか。
意見する立場にはいないと、僕に語る言葉を持ち合わせていないと言うのならば、今ここでこんな話はしていないだろう。天川が内情を話して来いなどと言うはずが絶対にない。
ならば何故、こんな話を僕にするのか。
自分に頼みがあると言っていたその言葉を思い出し、懐柔なのだろうかと、僕はぼんやりと頭の隅で考えた。紡がれる言葉があまりにも強烈で、他の事にまで考えが回らない。だが、話に引きずり込まれるわけにもいかない。のみ込まれては、理不尽さに狂ってしまいそうな内容なのだから。
僕は何故、こんなところでこんな話をこの男から訊いているのか。全てが朧で、噛み砕いて飲み込むには、まだまだ時間は足りはしない。
「そんな過去があったからでしょう。今回の佐久間さんは私の行動に何かと意見をしてきました。彼は司さんにはあなたが必要だと言い張った。独断で司さんとあなたを会わせた。それこそ食って掛かるように、天川に何度も忠告していましたよ。だが、天川はききはしなかった。
私は、たとえそれが間違っていたとしても、天川の命令を聞く立場にあります。ですが、今回の事に関して言わせて頂ければ、佐久間さんの意見もまた間違ってはいなかったのでしょう。結局、私どもの計画は上手くはいかず、その間に彼は行動を起こした。そして、彼が言っていたように、こちらとしては悪くはない結果になった」
あなたは、変わらずここにいる。司さんは、過去を吹っ切った。
そう言い、初めて男は、自嘲するかのような笑みを落とした。
「結局、私達は佐久間さんに救われたのでしょう。天川も私も思っていなかったところで、司さんは入れ知恵をされていたんです。佐久間さんが自分を犠牲にして去らなければ、司さんがそれを信じ、天川から去ったのかもしれなかったのですからね。勿論、あなたが司さんに今私が話した事を全て言ったのなら、まだそうなる可能性は充分にあるのですが」
真っ直ぐと投げかけてくる視線に、僕は首を横に振った。そんなつもりは全くない。今の話を聞いてわかるのは、やはり僕は完全な部外者だと言う事だ。天川との間を清算した身としてはもう、そこに口を挟む気もない。
それに。友人も、それを望んではいないような気がする。
たとえいいように扱われていようと、そこだけが進める道なのだと制限されていようと、周りから見れば哀れであっても。天川自身が少しでも望んでいる事ならば、あの友人はそれを守ろうとするだろう。佐久間さんと同じように。自分達が近くにいれば別なのかもしれないが、彼らはもう天川の傍にはいない。
あの友人も佐久間さんも、多分、同じ事を望んでいたのだろう。天川司を何よりも大切にしたい、と。だが、自分一人でそれを貫き通すのは難しかった。天川は、それに応えられるほど、強くはなかった。
友人が死を選んだのも、佐久間さんが姿を消したのも、全ては天川司という男の為なのだ。自分を疎む家に居続けたのも、父親を心底憎む事がなかったのも。天川氏と直接繋がりを持ったのも、裏の社会に足を踏み入れたのも。彼らの全てが天川司を軸に回っていたのだろう。
そんな思いを知らなかったのは、本人だけだ。周りはそれに気付き、彼らを利用した。
気付けない天川を、今も腹立たしく思う。やはり僕は、あの男は好きではない。だが、友人も佐久間さんも、天川に全てを教える事など望んでいなかった。彼らが納得している事に、それを貫き通そうとした事に対し、口を挟める立場に僕はいない。
たとえ、天川が全てを知りたいと頭を下げてきたとしても、僕は何も語りはしないだろう。天川が、父親の下から離れたとしても、僕には話せる言葉はない。
天川が真実を知る必要があるのかどうかは別にしても、それを僕から聞くというのは絶対に間違った事だと思える。だから、今聞いた事をどうにかしようなどとは、ひとつも思わなかった。自分の中で処理する為のものでしかないと、それを外に出す気にもなれない。
首を振った僕に、男は頭を下げた。
「そうですか。ならば、礼を申し上げるべきなのでしょう。ありがとうございます」
感謝のそれは、謝罪のそれと全く変わらない色を持つもので、僕の耳をただ流れていく。
「すっかり長く話してしまいましたね、失礼しました。本題は直ぐに済む事だったのですが、つい喋りすぎたようです」
ふと、右手にはめた腕時計に視線を落とし、男は時刻を確認したのかそう言うと、スーツの内ポケットに手を入れた。
「先に申し上げたように、あなたにお願いがありこちらに来させて頂きました。
そう、硬い顔をされずとも、大丈夫です。難しい事ではありません。佐久間さんから連絡が来ましたら、お教えして頂きたいと言うだけの事です」
眉を寄せた僕に軽い苦笑を落とした後、現れた時と同じように固い雰囲気を作った男は、そう言って取り出した名刺を僕に差し出す。
「彼からはもう二度と、私どもに接触をする事はないでしょう。探していますが、見つからないのがその証拠です。職場の者達も、行方は知りませんでした。ですが、保志さんとは連絡をとりそうな気がします。彼はあなたを気に入っていましたから」
お願いしますと念を押すよう強く言った男が手に持つ名刺を眺め、僕は紙に文字を記した。陣野氏は、受け取られなかった名刺を、さり気なく机に置く。
【彼とはいい別れ方をしてはいません。気に入っていると言うのは、あなたの勘違いでしょう。僕に連絡がくるとは思えない】
「私はそうは思いません。必ず来ます。その時は、よろしくお願いします」
【ナゼ、くると?】
そう記した僕に、男は表情を緩めて苦笑を漏らした。
「勘としかしか言えません。ですが、まだ子供だった頃から彼と付き合ってきた自分のそれには、少々自信があります。必ずあなたには連絡が来るでしょう」
【それで? 連絡先を知ってどうするんですか】
「私もそうですが、天川も彼を心配しています。今は連絡をとりたいという事だけで、彼をどうこうするつもりは全くありません。あなたが不満に思うような事には絶対にならないとお約束します」
きっぱりとそう言った男の真意など僕に見えるはずもなく、用件はわかったが、もし万が一、佐久間さんから連絡が来たとしても絶対に教えるとまでは言い切れないと伝え、一応名刺は受け取っておく事にした。いつまで持っているのか非常に怪しいものだが、男とて全て真実を語っているわけではないのだ、僕もそこまで手の内を明かす義務はない。
ふと、佐久間さんが言っていた言葉を思い出す。自分には出来ないが、天川の傍には居続けた方が良いのだろうというその事実を。
佐久間さんにとっても天川にとってもそれは酷な事だ。だが、彼らを手の上で扱っているような男達は、それを望んでいるのではないか。だからこそ、佐久間さんの居場所を突き止めようとしているのではないか…? 天川氏が心配だからと言って佐久間さんを探すなど、ありえない事だ。天川をコントロールするためか、鍛えるためかはわからないが、そう言う点で彼は佐久間さんを必要としているのだろう。
本心を隠しながら、丁寧に頭を下げ出て行った陣野氏に、僕は溜息を落とす。僕のところに来たのは、僕ならば佐久間さんの居場所がわかるのではないかと考えたのは、一体誰なのか。その思いに、背筋が震えた。自分の知らぬところで、自分に関係するものが動いているというのを突きつけられるのは、あまり気味のよいものではない。
机に置かれたままの、シンプルな名刺に並ぶ文字を暫く眺め、僕は携帯を手にとった。
陣野と言う男が、佐久間さんから連絡がきたら教えて欲しいとやって来た事を記し、送信ボタンを押す。仕事をしてはいないのだろうか、直ぐに佐久間さんから返事がきた。
『迷惑をかけて悪かったね。黙っていてくれると嬉しいが、対応が面倒ならば今直ぐに教えてくれてもいいよ。ま、多分そうしつこくはしてこないと思うけど。保志くんの好きなようにするといいよ』
あっさりとしたその返答に、僕は男が言ったように佐久間さんには彼らと連絡を取る気が全くない事を悟る。どちらでもいいのであれば、言わないでくれと僕に必死で頼むだろう。佐久間さんは、そうしたからかいの種を無駄に捨てる性格ではない。ならば、黙っていて欲しいと切実に願う心を隠しているか、それとも見つかっても仕方がないと既に諦めているかのどちらかだ。
素直じゃないと言うのか、素直すぎると言うのか。知っていれば可愛げさえ窺える言葉に苦笑を溢し、けれども直ぐに僕はひとつの疑問を浮かべた。
佐久間さんは僕とだけこうして連絡をとりあっているのだろうか。
男は職場にも顔を出したと言ったが、そこではどうだったのだろう。僕のところにまで来たという事は、見込みはなかったのだろうか。
そんな考えに入り込もうとした時、新たなメールが送られてきた。
『追伸。陣野さんが何か言ったかもしれないけれど、あまり気にしないように。あの人は悪い人ではないが、食わせ者だからね。君には関係のない事だし、話を信じては駄目だよ。いつものように、適当に流しておけばいいから。君はそれが得意だろう?』
気を使っての事か、先のメールでからかい損ねたの気付いたのか、どちらとも取れそうな微妙なそれに、僕は再び笑いを落とす。本当にこの人には適わない。
そう、佐久間さんの言うとおり、関係ないのだ。
今の僕達の間に、天川も何も関係ない。
ふと、今になってあの男が本当は何をしに来たのか、漸くわかった気がした。あえて僕の前に現れ、探していると告げた陣野氏は、今以上に天川氏の手が届かないところでいてくれと、そうでないと危ないと、そんな事を佐久間さんに教えたかったのかもしれない。僕に言えば、佐久間さんに伝わると、本当は既に連絡をとりあっている事に気付いていたのかもしれない。
真実は、ひとつではないのだ。目に見えるものだけが、全てではないのだと、僕は思い知る。僕の知らないところで進んだ思惑に対し、今更悩むのは、悔やむのは無意味な事なのだろうが、それでも考えずにはいられない。そして、まだ僕の知らない何かが隠れているのだろうと、感じてしまう。
佐久間さんは、僕に自分の真実など語りはしないだろう。今後、今の関係が長く続こうとも、彼ならば絶対に言いはしないだろう。少しその出来事に首を突っ込んだ立場である僕は、知りたいと思う。だが、知らなくとも、佐久間さんとの関係は続けていける。
ならば、僕は。今をとる。友人の真実はもう聞けはしないのと同じ事のように、あの時何も聞かずに一度は別れを選んだ僕が、佐久間さんのそれを引きずり出すのは間違っている気がする。
あなたも食わせ者だが、僕はあなたのそれを気に入っている。流すのは確かに得意だが、今回はよく考えて、佐久間さんの事は話しはしないと決めた。だが、僕が出来るのはそこまでだ。他はあなた自身が気を付けてください。頻繁なやり取りは、見つかるかもしれませんよ。
からかいに対する反撃となるのかどうかは疑問だが、そんな佐久間さんへのメールを作成しながら、僕は別の男の事を考えた。筑波直純の事を。
彼にも、佐久間さんのように複雑ではないしても、僕には見えない部分があったのだろう。組の立場だとか、彼が望む人生のあり方だとかそう言うものが。
あの時僕は、佐久間さんや天川とのやり取りの中でしかあの男を見る事が出来なかったが、もっと早くにそれに気付けていたのなら、少しはましな別れ方が出来たのかもしれない。
2003/11/14