# 136

 3月に入って直ぐに、早川さんから今月下旬に店をオープンする予定だとの連絡が届いた。既に内装もほぼ終わっているとの事で、働く気があるのなら見に来いよと僕を誘ってくれる。
 正直、僕はどうすればいいのか、わからなかった。
 職を見つけられない身としては、ありがたいと思うが、それ以上に申し訳ない気がして堪らない。確かに、職を探し難い身体ではあるが、もっと苦労している人は世の中には沢山いるのだ。調子が良すぎるのではないだろうか。
 気にかけてくれているのだろうが、果たしてそこまで心配される立場にいるのか、自分自身が一番わからず、どんな返事をすればいいのか僕は悩んだ。
 早川さんの事だ。気になるだとか、短くはない付き合いだからと言うだけではなく、僕のバーテンとしての経験を買ってくれているのだろう事もわかる。だが、気を使わせている感が否めないのだから、どうしようもない。
 一ヶ月近く社会から離れたせいで、今まで以上に卑屈になっているのだろうかと考えても、イエスだともノーだとも誰も指摘はしてくれず、僕は結論を出せないまま悩み続けるしかなかった。
 結局。そんな僕の葛藤と言うにはあまりにも情けない思考に気付いたのか、とりあえずは会って話しをしようと早川さんは提案してきた。出された助け舟に何処かで躊躇いながらも、僕は乗り込む道を選ぶ。
 面接ではないが、お前の都合もあるだろうし、俺にだって雇い主として色々とあるから、きちんと話し合ってみようとまで言ってくれた早川さんは、果たして何を考えているのか。僕を雇うメリットはどれほどあるのだろうか。開店前で忙しくしているのだろうに、僕を構う彼に、僕は何を思えばいいのかすら、良くわからなかった。
 悪い話ではないと言い切れる。僕にとっては、願ってもないものなのだろう。誰に聞こうと、よく知る者のところで働かせて貰うべきだと、僕に答えをくれるだろう。だが、僕はあっさりとそれを受け取るのは、少し間違っているように思えるのだ。早川さんの行為がではなく、ただ単純に、自分はもっと色々と考えるべきなのではないだろうかと、僕は思うのだ。
 それが何故なのかはわからない。早川さんを焦らしたいわけでも、自分を安売りしようとしているわけでも、まして嫌がっているわけでもない。ただ、何かもっと周りを見、自分を見て考える方がいいのではないかと、漠然と感じるのだ。今までが間違っていたわけでも、それにより何よりも正しい道が選べるわけでもないだろうが、そう思うのだから仕方がない。
 自ら進む為に踏み出す一歩は、慎重になりすぎても駄目なのだろうが、良く考えて足を運ぶべきなのかもしれない。たとえ、間違った思考であっても、そうであれば進んだ距離を後悔しなくていいような気がする。自信まではなくとも、納得出来る何かが得られそうな気がする。
 実際には、大層な事を言いはしても、自分にそれを実行できるだけの力があるのかは疑問なのだが。今は、感じたそれを手放しては駄目なのではないかと思う。流されるのは、楽だろう。失敗しても、仕方がなかったと楽な気持ちで諦められるのだろう。だが、もう少し、真剣にと言う訳ではないが、僕は自分の立つ位置には確りと立っていたいように思う。
 それを直ぐに実行出来る程、僕は器用ではないだろうが。
 今のこの機会を、少しは自分自身を知るチャンスなのだと思いたい。



 そんな風に珍しく、考え込むほどではないが頭を使い、神妙な面持ちになる僕を笑うかのように、藤代から突然の連絡を受けたのは、春の暖かな陽射しが降り注ぐ午後だった。まだ少し寒さの残る風にも、春の匂いが混じっている。
 髪を切りに来いとの少々強引な呼び出しに、藤代が勤める店へと向かうと、店主であるアキヒトさんに座っているだけでいいからと、店のモデルを頼まれた。
「雑誌の広告や、店に張るポスターに使う写真を撮らせて貰いたいんだが、イメージモデルと言うほど大げさなものじゃない。ま、顔は写るだろうが、メインは髪だから。残念ながらその辺のファッションモデルのように煌びやかなものとはいかないから、面白くないかも。だが、保志くんはそういうのは気にしないだろう? 逆に自意識過剰になって欲しいくらいだからなぁ。もっと僕を撮って、と言うのなら出来なくないだろうが、うちの専属になる覚悟はあるかい? なんて、冗談はさて置き。ひとつ、頼むよ。難しい事は言わない、本当に座っていてくれればいいから」
 休業日を利用しての撮影にはスタッフ全員が出てきているようで、彼らの目に晒されての頼みは、なかなか迫力があるものだった。どうやら、予定していたモデルが来られなかったようで、これ以上のロスは避けたいらしい。受けてくれよと、スタッフ達の視線の中には懇願さえ感じられ、僕は軽い溜息を吐くしかなかった。
 白羽の矢が僕にたったのは何故なのか、などと聞くのは愚問なのだろう。間違いなく気楽に僕を推しこの場に呼び寄せた張本人の藤代が、僕ににやりと笑いかける。
「いいよな、別に。どうせプータローなんだしさ、丁度よかったじゃないか。お前の場合これが刺激になるとは思えないが、別に悪くはないだろう。何より、店長に切って貰えるんだぜ、喜べ」
 何を迷う事があると、当然のように言い放つ彼には、肩を竦めるしかない。
 確かに、断るほどの理由があるわけではなく、散髪代の代わりに少しばかり椅子に座っていればいいだけの事だと、僕はモデルを了承した。モデルと言っても、素人の僕に誰も何も期待などしていないだろう。僕でいいとアキヒトさんが判断したのならば、それでいい。それ以上の事は、僕が考える必要はない。上手くいかない場合はその時だ。誰かがまた代わりを探すのであろう。
 受けたからには責任がついてくるのだろうが、自分は自分以上のものは出せないと、妙な自信を持って僕は促されるままに椅子に腰を下ろした。

「実は、前から保志くんのセットを一度してみたかったんだよな」
 藤代には勿体無いと常々思っていたと告白したアキヒトさんは、僕の髪をいじりまわし、あれやこれやと遊んだ。実に楽しそうに。
 毛先は金髪、根元は黒という、トラのようであった僕の髪は、黒に近いがなんと言えばいいのかわからない微妙な色に変わった。光沢部分はアッシュと言う感じの色なので、深緑とでも言うべきなのだろうが、ぱっと見は何か物足りない黒色だ。染めた本人は満足げなので失敗ではないのだろうが、僕にははっきりしない色だと言う認識しかもてない。
 だが、だからと言って問題があるわけでもなく。正直、先程までのトラ頭は勿論、前回の金髪よりもマシなものであった。どうもがこうと日本人なのだから、たとえ鏡を見ない限り視界に入らなくとも、やはり髪は黒の方が落ち着く気がする。
 染められた髪をカットされている時、何度かカメラのフラッシュが光った。僕以外に女性モデルがおり、先にそちらの撮影が行われていたらしい事を交わされる会話から知る。どうやら女性の方は、全面的に副店長が任されているらしく、アキヒトさんはノータッチのようだ。
「感性なんて人それぞれだろう。店のイメージもひとつにする事もないから、いつも二、三種類作るんだ」
 僕の疑問にそう答えた店主だが、僕にはそう言うものなのだろうかと言うぐらいにしかわからなかった。イメージというのは、店全体で作り上げるものではないのだろうか。それが普通だろう。だが、それこそ、訊けば人それぞれだと言われそうなのものなので、口にはしない。
 結局、染められはしたが殆ど切られる事はなく、直ぐにセットを終え、僕は別室でカメラの前に立った。アキヒトさんの言うとおり、顔の向きを指示される程度で他には要求されず、あっさりと解放される。顔を覆うように流れを作られた髪がこそばゆく、終了と同時にセットを崩した僕は失笑をかった。
「折角腕をふるったと言うのに、何て奴だよ」
 そう言いながらも、お疲れ様と労いの言葉をかけてくれたアキヒトさんは、少ないけれどとバイト代を渡してきた。そんなつもりはなかったのだと僕は断ったのだが、強引に受け取らされてしまう。
「いいじゃないか。貰っておけば」
 無職じゃん。
 あっさりと言う藤代のように、物事を簡単に考えられれば楽なのだろうが、僕は彼ではないので、そうもいかない。
 以前はもっと器用に感情を処理し、自分も彼のように簡単に考えられていたように思うが、どこで変わってしまったのだろうか。過去の自分を思い出そうとしてみるが、全くわからない。適当な人間だと自身に評価を下すが、それさえも当たっているのかどうなのか、微妙なものだ。

 果たして自分のこれは、成長なのか、それとも後退なのか。

 家路に着きながら考えてみるが、それさえもわからないのだから、僕にはもうお手上げだ。
 だが、これは僕自身でしか解決出来ないものでもある。
 結局怠けているのだろうと、そんな考えが浮かぶ。何もしない日常に、甘えているのだろうと。
 何もしなければ、何かが起きる確率は低く、その楽さに僕は浸かりきっているのかもしれない。
 果たしてこれは、僕に必要な休息なのか。それとも、単なる怠けなのか。
 見上げた空に月も星もないので、一体何に問えばいいのかわからず、結局、僕は自分の中に沈殿させる。
 胃液で解けくれないだろうかと願うが、頑固なそれはそう脆くはなく、腹の中で存在を示し続ける。
 厄介なものだ。

2003/11/21
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