# 141

「大阪なんだが、住む場所の心配はいらない。店の地下に、そう広くはないがバス・トイレ付きの部屋がある。給料などは要相談、とりあえずは試験期間としてバイトで働いてもらってからの話らしいが、人手不足のようだからね、多分保志くんなら直ぐに採用されるだろう」
 トランペット以外の楽器が吹ける定員を募集している店があると、和音さんがふと思い出したかのように話し始めたのは、偶然早川さんの店で一緒になり夕食を共にしている時だった。大阪だという事で、和音さん自身はちょっとした話題程度のものだったのだろう。だが、その時の僕には魅力的な話であり、飛びついた。
 大阪にあるレストランバーで、仕事はあくまでもそこの従業員との事。だが、店長の趣味により楽器が演奏出来るという絶対条件が付くので、あまり求職者は来ないらしい。トランペット以外というのは、現在既に3人のトランペット吹きがいるので毛色の違うものが欲しいと言う単なる我が儘なのだと、詳しく話してくれながら和音さんは笑う。
 そんな彼に、その店を紹介して欲しいと頭を下げたのは、酒の勢いが多少は影響していたのだろう。だが、それ以上に、東京から離れる事を僕は望んでいたのかもしれないと、後になって気付く。
 本気なのかと目を瞬かせた和音さんは、けれども、その場で直ぐに相手に連絡を入れてくれた。幸いにもまだ求人をしていたらしく、店長である男の『とりあえずそいつを寄越してくれ』との言葉に、僕の大阪行きはあっさりと決まった。通話にかかった時間は数分で、僕の紹介は「失声症のサックス吹きで、バーテンの経験有り」という一言だけであったので、本当にそれでいいのかと不安を覚えたのだが、そんな僕に和音さんは大丈夫だと言いきった。心配する必要はないと。
「人間、向き合って見なければ相手の事はわからないというのを知っている人だ。電話で何を言っても、意味がないからだろう。別にいい加減な人じゃない。見なければ判断つかないのだから、今はどうこう言う気はないだけだ。安心すればいい」
 その和音さんの言葉を支えに、僕は大阪に向かった。安心しろと言われても、そう出来る何かがある訳でもなかったが、それ以外に僕が出来る事などなかった。だが、駄目で元々だろうという気持ちがあったので、気負い込む事はせずに済んだ。自分らしくないバイタリティさに笑いを落とす余裕もあったぐらいだ。
 しかし、それでも。教えられた店の前に立った時は、流石に緊張したのだが。
 知らない街を歩き、辿り着いたその店は、なかなか落ち着いた雰囲気の店だった。だが、予感していた通りと言うのか、それ以上と言うのか、店長はかなりの人物であった。よろしくお願いしますと頭を下げた僕に、「吹けるか?」と楽譜を差し出してこられた時は、一体僕は何の仕事に就こうとしているのかと面食らった。
 和音さんは音楽は趣味だと言っていたが、店長のそれは、それ以上のものだった。そして、その音楽も、他の趣味の一部でしかなかった。
「吹けんのか? ほな、さっさと練習してくれ。うちでこれ吹けんのなら、客に馬鹿にされるぞ」
 まあ、頑張れや。
 その言葉と野球の応援歌の楽譜と共に、案内された部屋で数分間呆けてしまったのは、僕のせいだけではないだろう。あえて、この店の様子を、店長が熱狂的な野球ファンだと言う事を教えなかったのは、和音さんの悪戯らしいとそう思いあたったのは楽譜とにらめっこをしている時だった。だが、やられたと思いはしたが、問題など何処にもなかった。たった一曲を覚えればそれで済む事だと、僕はあっさりとその件は流した。かなり呑気な考えだと後になってそれを知ることになるのだが、先に知っていてもそのまま東京に帰る事はなかったのだろうで同じ事だ。
 そうして挑んだ新たな職場は、予想以上に働きやすい場所であった。
 レストランバーと聞いてはいたが、その実体は居酒屋だ。店内の作りは確かにシックなバーなのだが、集まる客と従業員が生み出すそれは、関西の飲み屋そのものだった。いや、それ以上だろう。
 テレビ中継がある間は、店は野球場さながらと化しているのだから、凄いの一言に尽きるというもので、始めのうちはただ戸惑った。そんな中での僕は、はっきり言って、場違い極まりない存在であったのだから、それも仕方がない。だが、それに徹する事を、誰も僕に許さなかった。店長も同僚もそして客までもが、一歩引いて眺める僕を引きずり込み、同じように騒ぐ事を強制するのだ。嫌だと伝える気力もわかなくなるほどの強引さは、逆にそこまでされれば気持ちが良いと言えるものなのかもしれないが、僕としては面食らうばかりだ。
 だが、それでも、上手くやれるのだから不思議なものだ。たかが野球と言えば八つ裂きにされそうだが、その試合に熱くなる大人達は、馬鹿みたいだが可愛げがあった。不思議な事に、野球に興味はないのは同じだが、気付けば僕も皆が応援するチームが試合に勝てば嬉しいと思うようになっていた。洗脳されたらしいとの思いつきに零れるのは、溜息ではなく笑だった。
 そんな風に大阪の水は自分でも驚くほどに僕の体に合い、ひと月もしない内にバイトから正式な店員へと雇われる事になった。
 引越し休暇をもらい東京に帰った時、僕は、大阪の街とは違うその空気に、自分の世界が新しく拓けた実感を漸く味わった。あの地に根を下ろすかどうかはまだわからないが、腰を据えるのも悪くはないと、新境地への興奮のためか引越しの用意を済ませると、僕は早々と再び新幹線に乗り込んだ。
 東京を離れる感慨は、特にはなかった。数時間で行き来出来る距離なのだからそれも当然であるのだろうが、今はただ前を見ていたいという思いが強かったのだろう。振り向く気さえおきなかった。
 だが、大阪の地に戻り、僕は離れたばかりのその地を思い出す事となった。

 何気なく立ち寄った本屋で吸い込まれるように手にした本は、いつだっただろうか、ここではないあの街で文字を追った事があるものだった。あの時と同じよう、青い海の表紙に惹かれて眺めたそれは、間違いなくあの時と同じ言葉が並んでいた。

 『生きるために絶対に必要なものなど どれくらいあるのだろうか
  少なくとも 私にはそれが何なのか 思いつかない
  例えば 今私の回りにある全てのものが消えても 私は直ぐには死になどしない
  廃墟の中にただ一人残されようとも 私は生きるだろう
  生きるのなんて そう難しいことではないのだ
  何もしなくても 人は生きるのだ
  それが 限られた時間であるのは当たり前のこと
  その長さに 違いなどない

  人は一人では生きられない
  そう言ったのは一体誰なのか それは間違いだ
  人は一人でしか生きられない
  他人と同じ生の道を歩む事などどうして出来るというのか

  誰かが死んでも 同じように私が死ぬことはない
  私が死んでも 誰かが死ぬ事は絶対にない
  そんなことはありえないことなのだ
  同じ生を持っているものなどいないのだから
  人は自分一人で生きている
  周りに誰かがいても 一緒に生きているわけではない』

 やはり、共感は出来そうにないそれは、けれども以前のように不快感を持つものではなかった。あの時はわからなかったものが、少し見える気さえした。
 悲観的にさえ思えるそれは、前を向いて歩いている人間を思い浮かべもするものだ。言葉としては幼いそれだが、けれども誰もが一度は感じた事があるものではないのだろうか。文字に記せば色褪せてしまい、形にすれば真実と掛け離れているようにも見え滑稽だが、それでもわからないものではない。
 多感な思春期に思い描いたような空気が、その本には詰まっていた。今にしては気恥ずかしく、だが懐かしくもあるその初心さも。少年期特有の強がりも、世の中を見る眼差しも。表紙に使われた青とは違う、小さく笑ってしまうような青臭さが、一冊の本を包んでいた。
 作中の文字も、写真も、生死を語っているわけではなく、ただ自らの中にある生命力を知っているかのようなありのままの形であり、淡々とさえしている。だが、その奥に何があるのか。以前はわからなかったそれが、今は感じられそうな気がした。
 この作者も、こんな風に思う事で何かを乗り切った事があるのだろう。やって来た衝撃を、大した事ではないと、やり過ごそうとしたのだろうか。それとも、捕まってしまったそこから逃げ出す為に否定したのか。そこまではわからないが、感じられるのはそれでも消えない生命力だ。言葉は稚拙でも、表現が幼くとも、その足で歩き出そうとしている事が、前を向いている事が良くわかる。
 人間は、不器用だ。矛盾ばかりを胸に抱えて生きていく生き物だ。だが、それが出来るという強さも確かに存在する。
 いつか、この作者は、こんな言葉を並べた自分を幼かったと、若かったと笑うのかもしれない。逆に間違っていたと否定するのかもしれないし、何も思わないのかもしれない。だが、それでも、この言葉は嘘ではないのだろう。本心かどうかなど関係なく、確かにその者の中にある言葉なのだと、ひとつの感情なのだと見る事が出来る。
 人間は、決してひとつの感情だけを持っている訳ではない。否定と肯定を繰り返し、その間に疑問と答えを己なりに導き見極め、そうしてまたひとつひとつ何かを得て失っていく。歩いている道を疑う事も、立ち止まる事も振り返る事もあるだろう。だが、進むべき道はわからずとも、人の前には足を踏み出す事が出来る地面が存在する。自分という生き物を認めている限りは、そこを歩かねばならないのだと体が知っている。
 時に心がそれに追いつかない時もあるだろう。だが、たとえ時間はかかろうとも、苦しみを受け入れられるのが人間だ。痛みをそのまま胸に抱えるのではなく、形を変えて自分の一部に出来るだけの力を持っているはずだ。そうでなければ、この世で生きていけるはずがない。今生きている自分までも否定するのは、間違っている事だろう。
 辛い事があっても、人間は生きていく術を本能で知っている。少しずつ噛み砕いて飲み込む為に、一気に全てを受け入れはしない。認める力が今はまだ足りないからと、自分を支えてくれる何かを探す。そんな風な、器用さを持ってもいるのだろう。そして、それは、僕とて同じ。
 忙しさに男の訃報を紛らわせたのも、流れる時間に癒しを求めたのも、無意識の行動だ。考え込んでそれを選んだ訳ではなく、心がそれを要求したのだろう。そうして、僕はその通りに、慌しさの中に立つ事によって、苦痛を遠ざけた。気付けばいつの間にか、辛さは変えられないただの悲しみになっている。
 四谷クロウも、こんな風に筑波直純の死を乗り切ったのかもしれないと不意に思いつく。僕の前に現れたあの男は、僕に喋ると同時に自分にも言い聞かせていたのではないだろうかと。同じ言葉を何度も何度も、自らに。
 あれで良かったのではないかと思わねば、あの男は乗り切れなかったのかもしれないと、今更に僕は気付く。彼がそんな軟な神経をしているのかどうか怪しいものだが、それでも、亡くなった男を思っていたのは事実で、表面的には窺い知れない事が四谷クロウにもあると考えるべきなのだろう。彼とて、人間なのだから。
 ならば、僕は。僕はどうだろうか。想いを寄せる男をあのような形で亡くした僕は、どうしたら乗り切れるのだろうか。
 確かに、頭では納得も理解も出来る。もう、この世に男はいないのだと。だが、未だに心は痛みを訴えている。この傷が、いつか疼かなくなる事はあるのだろうか。考えてもわからないそれは、けれども痛いままでもいいのかもしれないと思えるものでもある。
 あの友人に静かに話し掛け笑いかける事が出来るように、筑波直純ともそんな風に再び繋がる事が出来るのかもしれない。
 だが、生憎、今直ぐは無理そうだ。彼の存在は、まだ遠い。だがそれは、決して忘れたいのではなく、身近に感じる為の努力をしているからだと、僕自身は思う。誰かに言わせれば、都合のよい解釈だというものなのだろうが、僕自身の問題だからこれでも良いだろう。

 僕はここで、新たな生活を始める。
 そして、生きていく。
 いつか、胸の痛みを自ら治し、その姿で男と向き合えるようになるために。

2003/11/30
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