# 147

 それらしく取り繕われても、意味などない。その本心をさらけ出された方が、どんなに辛くとも、納得出来るというものだ。それが男の考えであったのなら、何だって良かった。それなのに。今になって、済まないと謝るなど、誰が受け入れられる。
【今更、僕にいい顔をする必要などない。知らせる義理などなかったと、そうはっきりと言えばいいんだ】
 書きなぐった醜い字を判別した筑波直純が、「それは、違うっ」と口を開く。だが、僕はその言葉に首を振り、聞きたくはないと男を遮る。
 その言葉を、嘘だとは言わない。そんな事が簡単に出来る器用な男など、僕は知らない。だから、確かに、男の言葉ではあるのだろう。だが、決して本心ではないはずだ。
 どんな風に生きていようと、どんな生活をしていようと、男に僕の何がわかると言うのだ。自分の生存を告げるよりも今の方が幸せだと、何をどう判断しそんな結論を出したと言うのだ。
 訊いたところで、更なる言い訳を重ねられるだけのような気がして、僕は頑なに首を振る。言い訳など、もう沢山だ。
 僕とて人間なのだ。笑いもすれば、日々の穏やかさに浸かり込む事もある。それを楽しみもする。大阪での生活に満足している事は確かだ。自分の日常に、目の前の幸せといえるそれを選んで当然だろう。態々、好んで不幸を選ぶ趣味はない。泣き暮らすなど不健全であり、自分をそんなところに貶める気にもならない。それは僕だけではなく、生きている事を自覚している人間ならば、当たり前な事だろう。何より、幸せになれと言ったのは、この男自身ではないか。それを、誤解を訂正しなかった理由にされるなど、堪らない。
 表面的なものばかりを見て、新たな道を歩き始めているからと、自分と過ごした時に決別を告げているのだと決めるなど、勝手もいいところだ。傲慢としか言えない。
 僕の心は、どうなると言うのだ。
 本気でこんな言い訳が通ると、そう思っているのか。
 ならば。  自分は軽く見られたものだと、怒りの中に小さな笑いが生まれ、僕は僅かに口元を上げた。僕を見た筑波直純が、少し動揺するかのように視線を揺らす。
「お前にはこのままの方がいいと、知らせない方がいいと、俺は本気で思った。それは、間違いだったと、お前は自信を持って言えるか? 保志。
 こんな風に偶然会って、お前は嫌な気分になっただろう。死んだ時かされていたのに、のうのうと俺は生きていたんだからな、怒って当然だ。俺も、誤解を訂正しない事自体を、正しいと言っているわけじゃない。それは確かに、冗談でもしてはならない事だろう。
 だが、俺がお前の元に行って、どうなる? お前は、俺の生存を知っていたら、どうしたというんだ? 何も変わりはしないだろう。逆に、お前の新しい生活には邪魔になるだけじゃないのか。もう俺は居ないと、お前の中にはその事実が出来上がっていたんだろう?」
 今更そんな質問をするのかと、これ以上高まりはしないだろうと思った怒りが、男の言葉により更に上昇する。勝手な自分を正当化しようと言うのか。それを僕に認めさせようと言うのか。やはり、全てが僕のせいだというのか。
 こうして会ったのが、現実だ。それが全てだ。偏った憶測ではかるそれに何の意味があるというのだ。
 どんなに笑っていようと、その生活を楽しんでいようと、確かに僕の中ではひとりの人間を失っていたのだ。その痛みが胸にあるのだと、何故考えない。人の死など、僕にとっては簡単に忘れてしまえるものだと考えたのか。本気で、僕をそんな冷たい人間だと思ったのか。この僕を。友人を失い喋れなくなった僕を、何もなく前に進んで新たな生活を始めたと、何を根拠にそう思う。一体、僕をどんな目で見ていたというのか。
 ふざけた言葉を繋げた筑波直純に、情けなさも込み上げ、涙が出てきそうだった。
 何よりも、怒りを覚えるのは。この男は、自分自身の命がそんなものだと、本気で思っているのかと言う事だ。同じ命を持つ者が消えるのだ。誰であってもそれは重いものだろう。それが何故、わからないのか。悔しさまでもが込み上げてくる。
 自らを軽く扱うように、僕自身も自分の事をそう扱っていると、男は感じていたと言うのか。僕にとってはその存在は必要ないものだと、本気でそんな言い訳を通す気なのか。それを決めるのは僕だというのに。
 冗談じゃないっ!
【いい加減にしてくれ。僕になんて答えさせたいんだ。あなたが言う言葉が本心なら、僕は何度だって間違っているという。自分勝手な判断だと、あなたは僕の事を考えたのではなく、勝手に自分が満足する方法をとっただけだろうと、いくらでもいってやる。だが、本当はそうじゃないだろう】
 僕の為ではなく、僕のせいだと言っているのと同じだ、これは。言葉はそれらしくとも、適当ないい訳でしかない。だから、こうも勝手な言い分を通そうと出来るのだろう。人が死ぬと言う事は、自分に関係した人間がいなくなると言う事は、そんな簡単なものじゃないだろう。それを、大事な人間を失った事もあるこの男なら、わかっているはずだ。その胸の痛みを覚えているのなら、こんな言葉は出せないはずだ。
 ならば。もっと単純な、別の場所に、僕に言わなかった理由がる。そういう事ではないか、やはり。
 何だかんだと言おうが、そこにしか答えはない。
【僕に死んだと思わせておく方が、都合が良かった。楽だった。態々教えるのも馬鹿らしかった。意味がなかった。本当は、そんなところだろう。そうだと、認めろ】
 面倒だったと言う事はないだろう、別に直接会いに来なくとも良いのだから。僕が誤解しているとわかっていてもなお放っておけたのは、何か行動を起こすほどの関心もなかったからではないのか。僕が胸に抱える痛みなど、どうでも良かったからそんな事が出来たんじゃないのか。
 それとも、本気で僕が全てを忘れたとでも信じきっていたのか。僕の記憶力は、感情はその程度のものだと思っていたと言うのか。それこそ、ありえない事だ。僕がそんな人間ではないと、今の僕自身が証明しているだろう。それなのに、まだ言うのか。僕にとって良い事だと思ったなどと。
 ふざけきっている。
【何が、いいことなんだ。僕には、感情がある。それをあなたは知らないのか。自分が僕の立場だとして考えてみろ。それでもあなたは、僕の死を誤解したままでいたいと思うのか?】
 騙し騙される世の中だ。知らなかった自分が馬鹿だと、僕が愚かだったのだと良くわかっている。だが、だからと言って、こんな言い訳をされて黙っていられはしないだろう。僕が同じ事をしたら、この男とて怒るのではないか。
 それとも納得するとでもいうのか。またふざけた答えを返すのか。
 そう思い、何かに追い立てられるように、僕は休める事無くペンを動かし続ける。
 だが、怒りに任せ文字を記しても、虚しさが膨らんでいくばかりだった。勢いのまま書きつける言葉は、けれどもその速度には限界があり、全く感情についていけない。溢れ出る言葉は、紙の上に載せた時にはもう、古くなっている。
 心とズレたそれは、更に僕に苛立ちを与えた。何故、僕は喋れないのかと、今思っても無駄な事まで頭を過ぎる。

「少し落ち着け」
 言葉と同時に、ペンを握る右手を押さえられた。男の腕の下になった紙は、インクで黒く染まっており、今記した文字もどれなのかわからない。
 この状況で落ち着いてなどいられるかと、噛み付く為に上げた視線の先には、静かな表情があった。
「お前が怒るのもわかる。勝手だな、俺は。だが、だからと言って、お前が自棄になる事はない。大丈夫だ。俺は逃げたりしない。ゆっくりでいいから、焦らずに書けばいいんだ、保志」
 それを待つぐらい、何て事はない。それが、お前の言葉なんだからなと、筑波直純は穏やかに言った。その言葉に、その声に、ふと心が軽くなる。苛立ちが嘘のように、何処かへと消える。
 僕が怒るのも、実は自分勝手な事でしかなく、男とそう変わらないのかも知れないと気付く。ただ、言われた言葉が、示された現実が悲しくて、八つ当たりをしただけなのかもしれないと。
 落ち着いた心で見た自分は、何とも子供だった。気に入らないと、男の言葉を頑なに拒絶していただけなのだろう、意地を張って。
 握られた手を逆の手で外し、男の右手を広げる。
 僕はその手の平に、人差し指でゆっくりと一文字一文字、字を記した。
【あいしている】
 指先で書いたそれを包み込むように、男の右手に自分の左手を重ね、指を絡める。右手で膝に乗せた紙を一枚捲ると、真っ白なページに僕はペンを下ろした。男が言ってくれたように、今度はゆっくりと、彼に伝える為の僕の言葉を記す。
【あなたはもう違っても、過去だとしても、僕はそうではない。今も、あなたを想っている。だから、必死になってしまうんだ。そこに意味はなくとも。もう、遅くとも。僕の心はまだそれはあるから】
 そう、好きだからこそ、僕は意地になるのだ。まるで、しがみ付くように。必要ないと切り捨てた男とは逆の思いが、僕の中には今もあるのだ。そうでなければ、こんなに必死になりはしない。どんな言葉でも、そうかと聞き流すぐらいの余裕を見せられるはずだ。
【勝手だというのは、僕とてわかっている。別に、あなたを困らせたい訳ではない。だが、僕は自分が願うもの以外は認めたくないわがままな子供だ。あなたの言葉を受け止める余裕は、悪いがない】
「保志……」
【今更だというのは、よくわかっている。でも、僕の気持ちはそうなんだ。大人気がなくて悪いが、とりつくろうのは無理です。こうしていれば、自分が欲しい言葉をあなたに求めて、ケンカを売り続けるでしょう。もう、ここで降ろしてくれてかまわない。僕の方こそ、自分勝手にすみませんでした。だが、あなたに会えてよかったと、僕はたしかに言える。間違いはない。生きていてくれて嬉しいし、これからも、無事に暮らしていって欲しい】
 指を絡めた僕の手を、男は強く握り締めた。その手から力が抜け、放される事を予感した通りに、その次の瞬間には僕の手から温もりが消える。
 前を見た男は、岡山に車を停めるように指示をするのだろうと想った僕の予想を裏切り、再び僕の手元に手を伸ばしてきた。ペンをとり、足の上からレポート用紙も取り上げる。
【臆病者だと笑ってくれて構わない。俺は未だに自信を持てない。自分自身にも、選んだこの人生にも。だが、確かなものも持っている。お前が好きだよ、保志。以前と変わらずに、いや、それ以上に一緒に居たいと思っている。死にかけて、しぶとく繋いだ命をどうするかと考えた時、俺は迷った。結局は逃げ出す勇気もなくまたこの世界に戻ったが、お前を選びたいと何度も思った。それが出来るだけの、守れる力が自分にない事が辛かった。だからこの機会に、もうお前の事はそっとしておこうと思った。身体に染み付いた死を考えれば、お前の迷惑など顧みずに会いに行きたかったが、それが出来なかったのは単なる俺の弱さだな。情けない男だ。だが、その弱さが間違っているとは思わない。今も、お前の言葉を嬉しく思うが、自分がそれに応えていいのか、同じように思っていいのか、正直に言えば迷っている。
 保志。本当に、こんな俺でお前はいいのか? 出来る限りの事はする。だが、俺のそれは役に立つかどうかもわからないちっぽけなものだぞ。本当に、こんな俺と居たいのか?】
 僕の字とは違い、揺れる車内でも綺麗に記されたその文字を見つめ、僕はゆっくりと頷いた。
 いいのかと訊くなど、間違っている。
 だが、それがこの男らしく、僕は口元を緩める。
 前の二人を気にしてだろう、再び記された言葉は、耳で受け止めるよりも温かいように感じた。

【俺もお前を愛している】

2003/11/30
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