● 3 ●

 この世界には魔法を使う者がいます。
 それは、海の国も然り。人間の国も然り。
 そして、ここに、魔法使いがひとりおりました。
 ふたつの国を行き来する、魔法使いが。


「ヤマト王子は下の浜辺で眠っていたようだぞ、クルミ。父親と喧嘩して飛び出し、帰るタイミングを失って眠りこけるだなんて、まだまだ子供のようじゃないか。可愛いねぇ」
「白々しいぞ、トガワ」
「さて、何のことだやら」
「またアレを使って余計なことをしたのだろう」
「人聞きの悪い事を言わないでくれ」

 それでなくとも、何処で誰が聞き耳を立てているか分かったものじゃないのだからと言った王妃が、小さく肩を竦め壁に掛かった鏡に向き合いました。
 その後ろで、王妃の息子とされている男が深い溜息をつきます。まるで、聞かせるかのように大きく。ですが、王妃は気にもせずに鏡の表面をさっと指で撫でました。

「さて、鏡よ。昨日のエイジとヤマトの様子を見せておくれ」

 王妃の言葉に応えた鏡が、その表面に人魚と王子の姿を映し始めました。
 音はありません。ですが、浜辺で並んだ姿も、海で泳ぐ姿も、沈む太陽を見つめる姿も。どれもがその時を互いに楽しんでいるのがわかる雰囲気に包まれていました。

「さあ、クルミ。これでも、俺を疑うか? 昨日のアレは、彼らの自主的な行動だ。俺が何かをしたわけじゃない」
「だが、あの時、いつかこんなことが起こると予想していたんじゃないのか?」
「俺は魔法使いだ、こうして過去を見ることは出来る。だが、生憎神ではないんだ、未来などわかるはずがないだろう?」
「ならば、予期していなかったと?」
「さて、どれはどうだろうな」
「……やはり、わかっていたなお前は」

 男の言葉に、王妃は口元に笑みを浮かべたまま、それでも横に首を振りました。

「いいや、わかっていたわけじゃない。俺はだた、そうなるように少し手を加えているだけだ。あくまでも、選ぶのは彼らだ。違うか?」
「……そうだったな。お前はそう言う奴だ」
「だから、お前もここにいるのだろう? 忘れるなよ、クルミ」

 王妃の言葉に、息子とされる男は応えず、その部屋を後にしました。
 与えられている自室に戻る途中、何気に海を眺めれば。普通の人間ならば認めることが出来ないのであろう離れた海面に、件の人魚が顔を出しているのに気付きました。
 昨夜置き去りにした王子を気に掛けているのでしょう。
 だが、その行為がどれだけあの魔法使いを喜ばせているのかと思うと、男は自身には関係がないと思いながらも眉が寄るのを止められませんでした。


 二年前。
 魔法使いが気紛れのように思いついたのが、人間の世界での安寧で。それを手に入れる為に、王子を海へと誘い、あの人魚を嗾け、その隙にすんなりと城での居場所を魔法使いは確保しました。
 そんな魔法使いが真に求めるものはひとつであると、男はよく知っています。しかし、それはとても貪欲で尽きることのない望みであるということもまた、誰よりも知っています。
 魔法使いが欲するのは、楽しい自由。
 己の享楽を満たせる居場所をただ単純に求めている魔法使いは、けれどもそれを与えられることを善しとはしません。それを得る過程ですら、魔法使いにとっては楽しみのひとつだからです。
 どんなことであれ、自分に望んでくれさえすれば、全てを与えるというのに。あいつは俺にそれを許し与える気はないのだと、男は強い光に照らされ白くなった海を見ながら、別れたばかりの魔法使いのことを考えました。
 きっと今頃はまた、今後の算段をつけているはずです。
 頂点なんて面倒な事ばかりだ。その横が一番、美味しい汁を吸えるのだと。恥もなくそう語ったことがある魔法使いのことです。今回の、王子と人魚の接触を見過ごしはしないだろうことが男には簡単にわかりました。
 一国の王の妃という立場を得た魔法使いは、どうもその居心地のよさを気に入ったようで。今後もその恩恵を利用し続けたいと考えているようです。ですが、今の国王の時代がずっと続くわけではありません。
 自らこの国を乗っ取り動かしていくことに喜びを見出さない魔法使いが考えるのは、当然、次王を掌握すること。
 けれど、魔法使いの食指は王子に対しては動いていないのが現状です。
 父王との諍いを増長させる程度しかしない魔法使いに、男がどうするつもりだ?と訊ねたのは少し前のことです。

「どうするも何も、勝手にどうにかなるさ」
「あの王子が出て行くとは思えない」
「出て行けば、お前が次期王になれるかもしれないぞ?」

 それは、暗に追い出せと言っているのかと、一瞬男は穿ちましたが。軽く笑うだけの魔法使いの言葉に、そんな裏はなさそうでした。

「王になど興味はない。俺がここにいるのは、お前がいるからだトガワ」
「なら、まだ当分俺はここにいるのだから、お前のことももう少しどうにかしてやるかねぇ」
「どうにかしなければならないのは、お前自身だろう」
「それは、問題ない。心配するな」

 どこが問題ないのか。
 心配などしていない。
 男は上がってきたその言葉を飲み込み、ただそうかと話を打ち切りました。
 自分は、望まれた願いを叶えはするが、望まれないそれを汲み取り実行する者でも、立場でも、ましてやその関係にはいないからでした。


 父王に反発する王子。
 その王子を慕う、海の次王。
 あの魔法使いはきっと、王子をこの城から引き離す。人魚を使って、思うがままに。

 海を背にし、自室への歩みを再開した男は、その未来を頭に思い描き僅かに視線を落としました。
 コツコツと、床を打ち鳴らす足元を眺めながら思います。
 あの魔法使いは、他人の人生に自らの力を加えて動かすことを楽しんでいる。
 けれど、自分は。同じことをしても、一度として何らかの感情を得たことすらないように思う。
 いつか、このまま付き合えば。それを得ることがあるのだろうか。

 そんなことをふと思った男は、けれどもそれを一振りして払い落としました。
 答えどちらであるにしろ、自分には必要のないものだと言うかのように。


2009/07/18