君を呼ぶ世界 2


 どうやら、オレは異世界に飛ばされたらしい。

 現われた爺さんは、こんなところで何をしているんだと不思議顔で近付いてきた後、直ぐに顔を強張らせオレを「イカイジン」と呼んだ。
 そうして何かを噛み砕くよう暫く押し黙ったあと、搾り出すような声で「…付いて来い」と言い踵を返す。
「いや、あの、ちょっと…」
 イカイジンってなんだ。胃怪人? いや、異界人…?
 異界人なのか!?
 いきなり理解不能な分類に位置付けされたオレとしては、だったらそんな荒業をかます見ず知らずな爺さんに素直について行って良いのか疑問も疑問。大丈夫かよというもので。
「来いって言われても…」
 相手が驚いたように振り返る。落ち着いた容貌だが、意外に忙しない爺さんだ。
「…そなた、言葉がわかるのか」
「言葉?」
「……そうか」
「えっ?」
 ひとりで納得しないでくれよ。
「わ、わかるって、なに? それ、オレの方が言いたいって…」
 外国人だろ?な顔の作りの爺さんが日本語を喋っているのだから、そのツッコミは絶対オレのものだよと苦笑すると、相手は顔を少し顰め頭を振った。
「その格好ならもしやと思ったが。そなた、やはりこちらに飛んできたばかりだな」
 こちらってどちらだ。
 しかも、何だって?
「飛ぶ…? いやいや、オレ飛べないから」
 高いところは余り得意じゃない。寧ろ、嫌いだ。自慢じゃないが、遊園地はオレにとっては恐怖の帝国。ミッキーは悪魔の使いだとオレは信じているんだけど、爺さんどう思う?
 っていうか。
「爺さんは飛べるの?」
 この問いにイエスと答えるようならば、危ない奴だと判断して付いていかないことにしよう。
 首を傾けながら、オレはそう心で決めたのだけど。
「その衣装は目立つ。異界人だと知れると厄介だ」
 半日近く放置されていたせいか。無意味に良く回るオレの口を完璧に無視た爺さんが、自分の上着を脱ぎオレへと渡してきた。
 着ろと言う事だろう。だが、これはちょっとご辞退だ。
「ありがとう。でも、オレ何故か気付いたら川の中に居てさ。服、乾かそうとしたんだけど、先に日が暮れて。途中で断念したから、実はさ、まだ湿っているんだ。だから、濡らしちゃうから、いいよ」
 両掌を見せ、頭と一緒にブンブン振りつつ説明したのだが、問答無用で肩を包まれる。
 着せられて初めて気付くが、ポンチョのように見えたこれは、所謂マントってやつじゃないの?ってなデザインで。自分の姿をマジマジ見下ろし、コスプレだと確信する。アレだアレ。ナウシカのユパサマだ。
 いや、ユパのマントはフードがついていたっけ?
「爺さん、洒落たもの着てるじゃん」
 そう笑いかけたところで、オレは瞠目し顔を引きつらせた。
 更にアナタ、本格的なんですけど…?
「行くぞ」
「…あ、はい」
 衝撃に立ち直れずに、促されるまま足を踏み出してしまう。
 数歩前を行く爺さんの格好は、昔の西洋人が着ているようなこのマントに似合ったものだった。まるで、映画から出てきたような格好だ。
 インディージョーンズ。いや、西部劇も、こんな感じだっただろうか。
 記憶はあれど知識はないので、一体どの時代かはわからないが。体のラインがわかりにくいデザインのシャツに、ストレートすぎるだろうズボン。シャツを上に出し、腰の辺りを縛るのは、ベルトじゃなく布。帯と言えばいいようなそれの先が解れているのを見ると、古い服の再利用だろうか。
 セピア系で纏まっているのが、なんとも本格的。ゲームキャラではありえない質素感だ。
「……しかも、短剣」
 その剣も、服装も、偽物ではない気がする。
 コスプレにしては、色がない。
 言われた「異界人」なんていう、聞き慣れていない言葉が頭を回る。
 短剣が本物なら、日本では銃刀法違反だ。
 爺さんは、法を犯すようには見えない。
 結果、ここは日本じゃない、てか?
 だったらどこだ? 答えは、「異界」。なんちゃって。
「いや、でも、日本語通じているし…」
 訳わかんねえとぼやく内に歩みが遅くなったのか、膝下までのロングブーツが視界から消えているのに気付き慌てて顔を上げる。
「……アレ?」
「こっちだ」
 前を歩いていた筈の爺さんが消えたと、薄闇の中で首を傾げたオレに、どこかから笑いを含んだ声が掛かる。ぐるりと頭を回せば、木々の中におぼろげな影があった。
 追いかけるようにして踏み込んだ森は、思った以上に暗い。
「…オレ、暗いのは苦手かも」
 二十三で始めて知る事実に、思わず弱音を吐くと。
 今度ははっきりと声に出されて笑われた。
 だけどさ。
 小さくとも、淡くとも。いつでも必ず何らかの明かりがある生活をしてきた者にとって、こんなに深い闇は怖くて当然だろう。オレが意気地なしなんじゃない。これはただの生活環境の違いだと思う。
 だから。
 爺さん笑うな。落ち込むぞ…?
「ここを抜ければ、空が見える」
「空が、ナニ?」
 星があるだろうと返され、だからなんだと若干剥れ面で首を傾げたオレだが。
 爺さんの言う通り暫く歩いて森を抜け出し見上げた空には、無数の明かりが点在していた。
 都会の空に慣れているオレは、こんなにも星は明るいのだなんて知らなくて。
「凄ぇ…」
 そう感動しながらも、オレはそれによって再度、己がどこかへ来てしまったのを改めて確信する。

 月より断然小さいが、一等星なんかとは比べ物にもならない大きな星が、そこには幾つもあった。


2008/07/07
1 君を呼ぶ世界 3