君を呼ぶ世界 5
想像ではなく、実際に。
神が居て良いことなどあるのだろうか。
スープのお代わりはと聞かれ、丁寧に辞退する。
時計はないのでわからないが、もう深夜だろう。夜中の食事は肥満の原因だ。と、言っても。この栄養素などなさそうなスープならば、がぶ飲みしたとしても大丈夫なのだろうけど。
しかし、それ以前の問題で。
いくら適応力が高かろうとも、異世界に飛ばされて早々に空腹間など起こるはずがないというもの。
これだけで、充分すぎるくらいに充分だ。
それよりも。
「爺さん眠い? オレもっと色々知りたいんだけど…?」
寝ないでオレの相手をしてよと匂わせた御伺いに、爺さんは真面目な顔で深く頷いた。
「ああ、そうだな。この世界の事は、ゆっくり知っていけばいいのだろうが」
何故自分がこうしてここに来たのか、もっと知らなければ眠れもしないだろう。
そう言い話を続けてくれる爺さんの言葉に耳を傾けながら、ゆっくりと言える程の時間がオレにはあるらしい事を不思議に思う。
異世界だとわかっているけれど。未だどこかで夢だともオレは思っているようだ。
まあ、それは当然だろう。夢であって欲しいなと願っているのだから、当たり前だ。だが、これが夢であるのも問題だと感じているのも事実で、認識が定まらない。
本当に夢であって、目覚めた時にこれを憶えていたならば。オレは安心するよりも、真っ先に己の精神状態は正常なのかと疑うだろう。余りにもリアルな、それでいて奇妙奇天烈な空想に飛んだ夢に、自分の未来を不安に思って何かの予兆なのかと、朝イチで夢占い師を探し相談するだろうというものだ。
異世界だなんて。夢のセンスとしては、最悪に入る。なので、これがオレだけが見ているそれであるというのも、それはそれでかなりヤバイのだ。
そう思えば、本気で異世界であるのも悪くはないのかもしれないけど。
だけど、やっぱり、神だの神子だの聖獣だのというのはなぁ……出来たら拒絶したい類であるのに変わりはない。同じ異世界だとしても、そういうのがないところの方が良かった。
このままだと、相容れないのに、いつか受け入れざるを得ないようになってしまいそうだ。危ない、危ない。オレのアイディンティティさえも崩れそう。
「今も、聖獣は確かに居る」
聖獣だってさと、本来ならば呆れるその言葉を、いま大人しく聞いている自分が信じられない。人の話は静かに聞くものだろうけど、それを差し引いても己が滑稽に思える。
異世界の雰囲気に、爺さんの語りに、完璧飲まれているオレ。気を抜けば、さっき星空を見上げた時のように笑ってしまいそうだ。
だが、流石に爺さんの話を聞く今は笑えない。現実味が増す今は、どちらかと言えば泣き出したいくらいだ。
神ってなんだよ、神子ってなんだよ、聖獣ってなんだよ、胡散くさい。ありえない。
そう突き放したいのに、現に知らない場所でこんな話を聞いている自分を思えば否定すら難しくて。爺さんの声に耳を傾け真剣に考え言葉をはさんで理解を示していくかのような己が、情けない。
ホント。何なのだろうかこれは。
ゲームでも小説でも漫画でも。何でもいいからもっとファンタジーに馴染んでおくべきだったかと、羽の生えた馬を頭に浮かべながら爺さんの言葉に瞬きで頷く。
「敬い奉るというのは薄れてはいるが、神は居ると皆が信じている。だが、それが国に影響を与える実感はない。民にとっては、その間に王が居る。栄えるのも衰えるのも、王の腕によるものだ。そなたが言うように、聖獣が居ると言う事も、神子が実在したとしても、それは直接民の生活には余り関係ない」
「だから、崇拝はしなくなったんだろ?」
それでも今なお信仰を持ち続けているのは、そこには害がないからだ。思うだけなら、別に悪にはならない。
爺さんの言葉を引き継ぐように声を発し、オレはそのまま言葉を続ける。
「だが、だからってそれは悪い事じゃない。だって、王が賢ければいいだけの話だ。王はただ、神子なんてアイテムで神や民の気を引かずに、己の力だけで勝負すればいいだけの事。民も、神に頼らなければ、祈った望みを叶えて貰えなかったという虚しさを味わわなくて済むしね。信仰心なんて、適度なのが一番なんだ。ちょっとは寂しいのかもしれないけどさ、今が一番いい状態じゃないのか?」
「そうかもしれない。いや、そうなのだろう。だからこそ、神子は必要とされなくなったのだ」
「それもいい事だよ。実際に飛ばされてきた身としては、特にそう思うけど」
「だが、それでも神は確かにいる。象徴じゃなく、実在する。それは絶対なのだ」
「……」
はっきりとした爺さんの声音に、一瞬言葉が詰まる。
神が存在するなんていう言葉を、オレは素直に信じることは出来ない。だが。
オレの常識ではありえない、異世界へのトリップをこうして体感させられては、絶対居ないともいえない。何より。
召喚には聖獣と召喚師が必要らしいが。オレとしては人間と動物に引っ張られたと考えるよりも、神様に選択されたと思う方がまだ少しはマシなような、諦めがつくような気がする。理解出来ない事態は、理解出来ない存在のせいにするのが楽だ。
召喚師といえども、普通の人間だ。もしも、私が君を呼びましたなんていう奴が目の前に現れたら、絶対にオレは罵倒する。殴るかもしれない。だから、そう言う意味でも、神のせいである方がいいと思う。オレにとっては馴染みのない神なので、恨むのに心苦しさはない。むしろ、適任だ。
「神さまねぇ…。神さまかぁ…」
だけど、やぱり。二十三年生きてきたが、宗教心はゼロに近いからピンと来ないなと唸るオレの頭に、ふと疑問が浮かぶ。
神は、それぞれの国の王を評価するらしいけど。
「もしかして、王に神子がいないと、神はその国を邪険に扱ったりするとか?」
嘗ては神子が奉られたが、今は居ない。だったら、神子の存在がどう影響したのか。昔と今を比べればいいのであって、既に答えは出ているよなと、今のこの世界の現状にオレは意識を向けたのだが。
爺さんは、「それはない。だからこその今だ」と、オレの発想を直ぐに否定した。
どうやら、世界危機だとか何かがあって、今になって再び神子熱が上がり始めたとかいうわけでもないらしい。
しかも。爺さんが神の存在を信じるのも、別にそこに理由があるわけではないようだ。神が居る、だが神子は居ない、聖獣は少ない、世界が終わりに近付いている――そんな風に思っているわけでもないのか、言葉は熱いくらいなのに、どこか淡々としている。
それ程に、自然なのか。それ程に、薄れているのか。
う〜ん……わかんねェ。
「聖獣が現われなくなり、短い代替わりを繰り返した国もあるが、多くの王がそなたのように考え国を維持させた。聖獣がなくともと言う自尊からだろうが、それが浸透したのは民と同じ。神の近くにあった彼らでさえ、その存在を遠くしたからだ。だからだろう、聖獣を持った者も、神子を呼び出す事をしなくなった」
唸ったオレはけれども爺さんに与えられた言葉により、何となくだが理解する。
つまり、神は受け入れているけれど、実際生きていく上では目前のものを見ていると言う訳だ。わかり易くいえば、現実主義者が多いということになるのだろう。
だけど、そうならば。
「だったら、ますますもって、今回の召喚は不可思議じゃないか」
本来必要とした権力者には疎まれ、民には忘れられたはずの神子を召喚する意味はどこにあるのか。
眉を寄せるオレに、爺さんはやはり平坦な声で言う。
「今の世では、極めて稀だと言えよう。だが、聖獣と召喚師が居れば可能なことで、ありえない話ではない」
「驚きはするが、異常事態と言うほど大袈裟でもないってこと?」
そうだと頷く爺さんに、オレは小さく頭を振りながら勘弁してくれと胸中で毒づく。
例えるならば。自分は妙な宗教団体の、神様降臨みたいなものに巻き込まれたようにしか思えない。しかも、皆に望まれたわけではなく、ごく一部の阿呆が暴走した結果だ。殆どの人には、別段必要とはされていないのだ。
どうして、今はそんな時代ではないと思って断念してくれなかったのか。そうであれば、オレはこんなところに来なくて済んだのに。
本当に、迷惑極まりない話。
聖獣を持っていたが神子に頼らなかった過去の面々を褒めちぎりたいくらい、今回の召喚を行なった人物が腹立たしい。そこに何があったかなんて、考えてやりたくもない。
「でもさ、オレの事を抜きにしても。やぱり、周りの誰もが神子を呼んでいないのだから、呼ぶべきじゃなかった筈だ。フェアじゃない」
「フェア?」
「己の技量だけで真剣勝負しろってことだよ」
「そうだな。だが、神子を召喚したからといって上手く行くわけではない」
「そうみたいだけど。世界に唯一の神子ならば変わってくるかもしれないぜ?」
神子自身に力はなくとも。影響力は失われていても。それが武器の一種である事に変わりはない。
喰らいつくように続けるオレに、爺さんは先程も言っていた同じ言葉を繰り返す。
「神子は望まれなくなった存在だ。多くの王が神子を必要としなくなったのは、神子が神の子だからだ」
「…どう言う意味?」
「神子は王に尽くす。だが、王の意に賛同するわけではない」
それは、つまり。
閃いた考えに、オレは知らずに唾を飲みこむ。
「当然、都合の悪い事態が生じることもあるよな? じゃあ、さ。そんな時は、神子とてただの邪魔者というわけだ…?」
影響力だけで力がないとは、そういう意味なのだ。
役立たずではなく、時として、害になる。そして、その時は。
呼んだ時と同様に、その都合で処分するのだろう。
言外に臭わされたその内容に顔を顰めたオレを見た爺さんは、けれどもどこか遠くを見ているような深い眼をしていた。その表情に、オレは思わず救いを求めるよう胸に手を当て、片割れの名前を心で呼ぶ。
サツキ。
オレはなんて世界に来たのだろう。
理不尽な力に呑まれる絶望を、オレは今になって身近に感じた。
2008/07/14