君を呼ぶ世界 6
オレは、神子なのか。
それとも、オマケなのか。
神の子と言っても、この世界に来るまでは、神子は自分が生まれた世界で普通に暮らしているらしい。
そう、神子は異世界から無作為に選ばれるわけではなく、最初から決まっているのだ。故に、神子はこの世界に来た瞬間、この世界の記憶を得る。だが、それでも、それまでは本当に何ひとつとして知りはしない。
ごくごく普通に、自分が異世界の神子などとは知らずに、日常を過ごしていると言うわけだ。
ならば。オレが感じた驚愕を、それ以上のものを、今までここに飛ばされて来た皆が味わっているという事だ。召喚時の状況によっては神子だけでなく、他の者も連れて来てしまう事もあるらしいので、その者にとっては理不尽も甚だしく、唐突に記憶を埋め込まれる神子とはまた違う戸惑いを味わうのだろう。
そう。この世界に関わりのある神子は、記憶を得る。だが、何の関係もない、ただその力に引き摺られて来てしまった者は、何も得ない。この世界の情報は勿論、言葉もそう。
巻き込まれた者は、まず言葉を憶えるところから始めねばならないのだ。逆に、神子は記憶を得るからこそ、神の子だと周囲も力はなくとも一目置くのだろう。
ならば、つまり。
「だったら、喋れるオレはその神子サマである可能性があるってこと?」
「私にはわからない。そなたを見る限り、どちらとも言えない」
軽口な冗談として発した質問に、正直な感想をくれる爺さんを、それもそうだよなとオレは笑い肩を竦める。だが、その反面、否定しろよとも思ってしまう。ここは思いっきり突っ込んで欲しい。
改めて、爺さんの話を整理すると。
ここは、日本でも、まして地球でもなく。フィリーという世界の大半を占める大陸の中の、中堅国ハギの田舎らしい。それは、まあ認めよう。今更、日本のどこどこですと言われるよりは、信じられる話だ。
っで。どうしてオレがそんな異世界に居るのかというと、神子の召喚によって引っ張られたという事になる。
つまり、召喚が行なわれたという事は、誰かが神子を必要としたというわけだ。だが、オレ自身がその神子であるか、ただ巻き込まれただけのオマケであるのかは、今のところわからない。
そう、わからないのだ。だが、推測する材料はある。
神子には特徴があるのだ。召喚されると同時に、この世界の知識が備わるという大きなものが。
「でも、オレ自身は何も変わっていないし、オマケの方が正解だと思うけど」
「言葉を操れる事は大きい」
「もしかしたら、一緒にその神子って奴が召喚されていてさ、オレはその影響を少し受けただけなのかもよ?」
何でもありそうな世界なんだから、そういう可能性もない事はないんじゃないかと首を傾げると、爺さんは神妙な顔を作るがそうだなと頷く。どうやら納得しきれないようだ。だが、違うと言える材料も知識もないらしい。
神子を召喚するという事実はこの世界の中で当然のように認識されていても、その実態までは詳しく広がっていないのだろう。元来、ただの庶民には関わる事がないらしいものなのだから、それも当然だろう。
田舎だからと言うのを差し引いても。爺さんの暮らしの様子を伺う限り、この世界の文明は余り発達していないように思う。神子だ聖獣だと言っても、実際には見た事がない奴の方が多いのではないだろうか。
この生活水準で、テレビがあればあるで驚くけれど。写真すらないのだろうなと一人で決めつけ、オレは自分のそれに胸中で嘆く。
せめて、電気がある異世界に来たかった。
と、いうか。
オマケならば、俺は帰れるんじゃないのか?
この世界には、必要ないのだから。
「なあ、神子ならば、こっちに来た途端この世界の事が蘇るんだよな?」
「蘇るというと語弊がある。正確には記憶が作られるのだ」
過去の思い出の引き出しに、気付けばそれが入っているのだと爺さんは言う。思い出そうとしても忘れているものや、言われて思い出すものといった、本当にただの記憶なので知識とはまた少し違うらしい。
だが、オレは確かにそのひとつなのかもしれない言葉が使えるが、他は皆無だ。言葉も、オレ自身は日本語と使い分けている意識はない。俺の耳と口に、自動翻訳機がついている感じだ。
思いがけずも、オレは翻訳コンニャクを食べたノビ太の気分を味わっていたりするのだが。有り難味はあまりない。確かに、神子のお零れを貰った感謝はある。こうして爺さんと喋れているのだから。だけど、驚く事があまりに多くて、意識している余裕はない。
会話が出来る、ラッキー!で終わりだ。感動しないオレは、きっとドラえもんとは友達になれまい。
「オレの頭の引き出しには、確かにこの世界の言葉は詰まっているのだろうけど。でも、普通は召喚されたらその儀式の場所に落ちるんだろう? けれど、オレはここだった」
「ああ」
「って言う事はやっぱり、オレは呼ばれた神子にくっついて来ちゃっただけなんだよ」
だから途中で振り落とされた。もしかしなくとも間抜けじゃんと、オレは乾いた笑いを落としたが。
そうではなく、何て傍迷惑なんだと怒るべきなのかと思い直し、「召喚師のヘタクソめ」と毒づく。
だけど、それよりも。一番重要なのは。
オマケだからこそ、用はないという事で。
その召喚師って奴に、無用な自分は帰して貰えるんじゃないかと口を開きかけたオレは、じっと見つめてきている爺さんに気付き首を傾ける。
何だ?と仕草で問うと、爺さんは「だが、良かったのかもしれん」と小さな声で呟いた。
「良かった?」
「ああ。神子召喚が行なわれたという事は、王宮や神殿が何らかの事態を抱えているのだろう」
一般人には召喚は無理であるのだから、それはそうなのだろうし、こっちだってそうでなくては納得出来ないしなと、オレは爺さんの言葉に深く考えもせずに頷き続きを促す。
神子召喚。呼ぶ方はいいが、呼ばれる方は最悪なイベントだ。いきなり世界を変えられるのだから、興味本位だけでやられては堪らない。だが、爺さんの説明ではどうやらそういった軽いレベルの儀式でもないらしい。
ならば。確かに、お偉いさん方は問題を抱えているのは本当なのだろう。時代に逆行して、神頼みをするほどなのだから、それなりの事があるのだ。
しかし。その問題が、国の存続なのか、一個人の私腹のためなのかはわからないが。何であれ、そこに同情の余地はやはりない。
何より、オレは関係ないし。
「突然、何の説明もなく別世界に飛ばされ、それまでの全てを失い関係のない争いに巻き込まれるのは、哀れとしか言いようがない」
神子と共にこちらに来たのならば兎も角、もし召喚師の不手際で一人だけでこの世界に来たのだとしたら。
降臨したのが、それぞれの思惑が行き交う儀式の真っ只中であったならば。
神子でなくともこの世界での運命は過酷なものとなっていたのかもしれないと、爺さんは重い声でオレに告げる。
「……」
神子であっても、そうでなくても。異世界に放り込まれるというのは、つまりはそう言う事なのだ。
オレは、問答無用でこの世界の異物になったのだと、楽観視したがる頭に改めて苦境を叩き込まれる。
だが。
俺は確かに、愕然となるほど驚いたけれど。絶望までは行っていない。別に、痛いだとか気持ち悪いだとかはなく、至って元気だし。不安はあれど、親切な爺さんと巡り合えて良かったし。
神子ならば、おかしな事に巻き込まれ、もしかしたら虐げられたり奉られたりするのだろうけど。オレは神子じゃないし。
帰れるのならば、問題はないのだと思う。
奇妙な経験をした、で終わりだ。
「ま、それも確かにそうだけどさ。実際には、オレはここに落ちたんだから、良かったって事でイイじゃん? って、もしかしたら神子サマは予定通り、儀式をしているとこまで行っているのかもしれないから、気の毒でもあるけど。でも、それもさ。神子ならば記憶が出来るんだから、状況を納得するだろうし、対処も出来るのだろうし、問題なしだよ多分」
そうだろう? だから、深刻になる理由なんてないさと、何故かオレが爺さんを励ます。
爺さんにとっては、オレも、そして居るかも知れない神子も。結局は他人事だろうし、爺さんは元々この世界の住人なのだし、全く思い悩む事はないはずなのに。オレより考え込む必要はないのに。何て真摯でイイ人なのだろうか。
災難に出くわしはしたが、爺さんと会えた事で帳消しだ。…って、それは言いすぎだけど、今のオレはまさにそんな気分。
爺さんの真剣さに嬉しくなってしまい顔を緩めると、ゆっくりと爺さんの顔からも強張りが解けた。
「…この世界を知ったからといって、神子は元居た世界を忘れるわけではない。だから、納得出来るかどうかは、呼ばれた理由にもよるだろう。それは、人それぞれで、私にはわからない」
「うん、そうだ。確かに、オレにもわからないな。向こうでの生活が最悪なものだったら、神子サマになるのは悪くはないだろうけど。逆に、向こうでの生活が充実していたら、どんな理由を並べられても、理不尽しか覚えないのかもしれない。だけど、そんな憶測、ここでしても意味がない。そうだろう?」
「ああ、そうだな。だが…」
「だが、なに?」
「そなたは、どうだ? メイ」
「オレ? オレは、そうだね。こっちに飛ばされたことは、腹立たしいさ。本当にムカツク。だけど、それは、明日しようと思っていた事が出来なくなっただとか、両親や友人を心配させているからとかそう言ったもので、この世界を恨むほどのものじゃない。まだ、嫌うほど知らないし。だから、さ。神子じゃないから何もわからないけど、運良く途中で落っこちたから、わからないまま難しい事に巻き込まれたりもしなかったし。この半日の状況だけなら、まあ、良かったんじゃないかと思うよ。でも、何だかんだ言っても、正直まだまだ実感が沸いていない状態だから、よくわからないというのがホントのところ。明日にはオレ、呪いの言葉を吐いているかもしれないなぁ」
そう言いニヤリと笑うと、爺さんはオレを見て優しく目を細める。
爺さんの話は、オレには驚くばかりのものであるが。異世界に飛ばされた己の身を思えば、突飛な話も信じるしかないように思う。
神になんて馴染みはない。何度いわれようが、親しみは湧かない。だが、宗教は知っている。ブッタでも、キリストでも、アッラーでも、全て同じようなものだ。聖書はオレにとっては歴史書なんかじゃなく御伽噺だけど、信仰者にとっては真実であり、信じてないからと言ってそれをあえて真正面から否定する気はない。
だから、同じように。この世界の神も、それを信じる人々も、全身で拒絶する気はないのだ。
受けた理不尽を悔しく思う心はあるが。向けるべき刃は、この世界へではないのだろう。そういうレベルの問題でないのは、わかる。神が居ようが何だろうが、実際には構わないのだ。
だから、嘘じゃない。いま言ったのは、今のオレの本心だ。
この世界に来たばかりで、この気持ちがいつまで続くかどうかわからないけれど。
今は、誰かを恨むような感情はない。
2008/07/17