君を呼ぶ世界 8


 夜明けは、オレにこの現実を教える。
 異世界での一日が、また始まる。

 翌日も、爺さんの体調は余り優れなかったが。その次の日には復活した。
 それでも、病み上がりだからと、オレも少しは生活感を出さねばならないからと、爺さんの日常に付き合い山を歩いたり、近くの村へ行ったりしてみた。
 実際には、いざとなったら心細くもあって、出発を延ばしていただけなのだろうが。森の中の一軒家で住む爺さん以外の人間と触れ合えたのは、良かったと思う。この世界の人々の生活を垣間見れたのも良かった。
 現代日本からは掛け離れてはいるが。オレの想像が及ぶ範囲である彼らのごく普通の暮らし振りに、オレは安心した。
 いや、だって。アマゾン奥地の裸族みたいな生活が主流なんて状況なら、流石のオレとて困り尽すというもので。この世界でやっていく意欲なんてものは跡形もなく吹き飛び、そのまま行方不明になるしかないだろう。前向き思考全開のオレでも、裸には太刀打ちできない。
 なので、爺さん同様、どこかの少数民族のような質素な暮らしをする村人達の様子は、好感さえ持ってしまうほどのものだった。スローライフ万歳!だ。
 というわけで。
 異世界滞在七日目の朝になって漸く、オレは爺さんに旅立ちを告げた。
「爺さん、オレ行くよ」
 固いパンを千切りながら、気負わないよう少し意識して出した声に、爺さんは短い沈黙を作り頷いた。
「そなたが決めたのなら、それが正しいのだろう」
 爺さんらしい言葉に力を抜かれ、思わず笑いが零れる。
「正しいかどうかは、まだわからない。でも、オレは行く」
 王都へ行ってみたいと言ったオレに、爺さんは賛成しなかった。もしもオレが神子だった場合の心配をしたからだ。
 確かに、爺さんの不安もわかる。オレ自身は、自分が神子だなんて全然思えないが。それでも、異世界から来たと知られれば、召喚を行った者達に何らかの利用をされるのかもしれない。ならば、それがばれないように、せめてもっとこの世界を知って、自分を守る術を身につけてからで良いのだろう。
 沢山話を聞かせてもらったが、まだ教わる事は山のようにあるのだ。早いと懸念する爺さんの言葉は、それこそ正しい。
 だけど、どうしてか。
 今、行かねばならない気がする。ここで休憩すれば、ズルズルとこのままで居そうな気がする。焦っているわけではなく、今が適切なのだと、そう思う。
 自慢じゃないが、オレは結構怠惰な性格だ。思い立った時にやっておかないと、その後は気が向かない事が多い。のった時に動き出さないと、もう遅いのだ。
 それに。
 爺さんは、この世界を知っているから、神子召喚に警戒するのだろうが。俺にとっては、初めて知ったそれが、今であろうと何百年昔の事であろうと違いはなく、敢えて今の時代にといった危機は余り実感出来ない。胡散臭さに変わりはないが、何よりも話は話でしかなく、現実味がどうしても薄い。そこを重視できない。それよりも、経過や結果が気になる。
 そう、所詮は他人事だと、オレは思っている。自分は神子ではないと、確信している。だから、大儀など全くなく、ただ単純に知りたいからこそ出発するのだ。この世界を知って、この世界に来た理由や意味を知って、この世界と自分はどうあるべきなのか見定めたい。
 数日だが爺さんと共に生活し、村人の幾人かと言葉を交わしてみたが。やはり、世界は違えども、同じ人間。同じような暮らし。
 例えば、RPG好きならば。旅に出たら、モンスターに会うのかもと思うのかもしれないけれど、オレは思えないし。ファンタジー好きならば、自分は神子で世界を救うなんて夢見るのかもしれないけれど、オレは見ないし。違う世界から来たのだとしても、今こうしてここに居る限りは、オレは普通の人間だ。爺さんとも、村人とも変わらない。だから、思うようにしてもいいのだと思う。
 オレが普通に想像出来る範囲の中に、この世界は成り立っていて。その中で異質なのが、俺がここに飛んできただけの事で。
 神などと言った象徴があるのも、権力者が力を求めるのも、召喚術なんてものが存在するのも。よく考えれば可笑しな事でもなく、寧ろ当然で。日本にだって神頼みはあった、世界にだって似たようなものはあった。その感覚の中で、それでもオレは誰かによって導かれて来たのだと、きちんと確認してみたくもなるわけで。
 この身に降りかかった状況もそうだが、自分自身を整理する為にと。そんな諸々の理由から旅を決めたのであって、正しい行いかどうかであるかは疑問だ。間違っていないのだとは、オレ自身言い切れない。
 王都へ行ったところで、何もわからずに終わってしまう可能性の方が大きいのはわかっている。それは、そうだろう。いきなり王城を訪ね、誰か召喚の儀式をしましたか?なんて聞けないし、聞けたとしても相手にされるわけがない。
 だけど、この国の一番の都に行けば。権力者が神子を望んだ理由が少しはわかるかもしれない。多くの民に触れれば、神や神子といったものがもっと理解出来るのかもしれない。何かが見えるのかもしれない可能性が、そこにはあるはずだ。
 爺さんが知る限り、今、聖獣を持つ者は数人しかいない。その中で一番近いのがこの国の王であるが、王都へ行って何もわからなければ、また別の国へ行ってみるのも悪くはない。だからオレは、爺さんが心配する程も、思いつめているわけではないのだ。
 生きる目的なんてものとは少し違うけど。
 あえて言うならば、世界を変えられた理不尽さを納得する為に、だろうか。
 降り掛かかったこの境遇だけではなく、この世界そのものを受け入れるために、オレは行く。行ってみる。ここで留まり続けては、飛んできた意味がない。
 知らない世界が目の前にあるのだ。見なけりゃ損だろう。食べて美味しくなかったその時に、隠居生活でもなんでもすればいいのだ。神サマを恨むのも、後からでも出来ること。
「実を言えばさ。オレは多分、自分が感じている以上に、ここに飛ばされた事を処理出来ていないんだ。爺さんは落ち着いていると言ってくれたけど、ホントは全然納得なんてしていない。だから、ここに居るだけじゃ駄目だと思うんだ。世話になったのに、言う事を聞かなくてゴメン」
「謝るなメイ。行っておいで」
「爺さん」
「そなたなら、私には見えなかったものが見えるかもしれない。私が知らなかったものを、知ることが出来るかもしれない。私の方こそ、教えられる事が少なくて済まなかった」
 こんな森の奥の生活なら、世界の情報は疎い。もしかしたら、私が思う以上に、世の中は変わっているのかもしれないと。気を付けるんだと、最後まで心配をしてくれる爺さんに、オレは抱きつき背中に腕を回す。
 済まないことなんて、何ひとつないのに。この人はどこまでオレなんかに優しいのか。
「ありがとう爺さん。オレ、この世界で一番最初に会えたのがあんたで良かった」

 飛ばされて、七日。
 服や食べ物、そしてお金。旅に必要な物を貰い、オレは王都を目指す。
 世話になった爺さんに、別れを告げて。
 いつか、また会う約束をして。


2008/07/22
7 君を呼ぶ世界 9