君を呼ぶ世界 10
一日目の夜は、幸運にも旅の一団と共にする事が出来た。
旅といっても、旅行ではないのだと。オレが二十三年間思っていたそれと大きく異なっているのは、爺さんに色々教わりわかったつもりだったが。
実際に知らない道を歩き続けて思うのは、想像よりも過酷なのかもしれないというもので。
確かに癒される大自然も、果てしなく広がれば不安材料にしかならない。
とりあえず歩いて、適当に寝て。通り過ぎる宿や街で食料を確保して。
どうにかなるさと思った自分がいかに楽観視していたのかがよくわかる。
この世界の者ならば、歩いて十日の旅なんて慣れたものかもしれないが。二十一世紀の文明に頼りきっていたオレには、精神的にも肉体的にもキツイ。
あとどれくらい歩けば、この森を抜けるだとか。宿屋に着くとか。そういうのがわからないのは、なんとも心許ない。この道が本当に王都へと続くものなのか、間違っていないか、直ぐにそんな事を考えてしまうくらいだ。
出発して半日で、覚悟がなっていなかったんじゃないかとオレはオレに呆れるのだけど。
だからと言って、ひき返すことも出来ないし。流石にそれはしたくもないと、足を進めるが。
進むだけでは、旅にはならない。
今夜は寝場所を確保出来るのだろうかと本気で心配になってきた頃、野宿の準備をする一団を見付けたオレは、天にも縋る思いで声を掛けた。いや、悪魔だったとしても縋ったかもしれない。それくらいに、オレの方は安心したわけで。
けれど、当然、相手方は警戒心を隠さずに見せてくれた。それでも、不信がられようとも漸く掴んだそれを離す意気地もオレにはなく。恥もなく旅が不慣れで不安なのだと正直に話し、近くで休む事くらいは許してくれないかと頼み込み了承を得る。泣き落としに近いが、背に腹は変えられないのだから仕方がない。
日頃の運動不足が崇ったのか、そんなにも歩けていないのだろうにクタクタだ。早くも筋肉痛に見舞われている。なので、一日歩いた身体は休息を求めたのだが、やはり暗闇は苦手で思うように眠れはしない。
だがそれでも、他人が側に居るのは良い。
思えば、大学入学を機に実家を離れてからもずっと、常に誰かが近くに居る状況だった。勿論、一人暮らしであったのだけど、薄い壁を一枚隔てているとはいえ、両隣の隣人は名前は知らずとも身近だった。何かあれば、数歩で他人と接触出来る。それこそ、携帯電話のボタンひとつ押せば、一瞬で誰とでも繋がれる。
本当の意味での、独りには成り得ようがない暮らしだった。
けれど、この世界ではそういうわけにはいかない。もし、ひとりきりの旅の途中で何かがあれば。
それこそ、誰にも気付かれずに命を落とす事もあるのだろう。
怖いほどに便利な世界からやって来たからこその、思わぬ後遺症。不便ではあるがケータイなんてなくとも何とかなると、マンションに忘れて過ごした過去の一日が懐かしい。便利である以外の性能がそこにはあったのだと、無くして気付く。
そろそろ買い換えようかと思っていたオレの携帯電話は、今頃どうなっているのだろう。友人達とのバカなメールや写真が沢山入っているのを、両親は見ただろうか。パソコンのパスワードは、どこかにメモしていただろうか。悪友が置いていったエロビはどうなったのだろう。
確かめようもないことを考えながら浅い眠りについたオレは、子供のパンチで起こされ、朝の食事を一団にご馳走になった。一晩過ごし、人畜無害と判断されたのだろう。出発までの短い時間には打ち解けあう事も出来、楽しいものだった。
そうして、昨日に続きまた一日を、ゆっくりとではあるが歩いて過ごした二日目。
夕方に辿り着いた村で宿を求めたが、取り付くシマもないような門前払いを受けてしまう。
「…上手く行く方が稀なんだろうけどさ」
これが普通だと思うが、疲れた身には堪えると、思わず愚痴が零れる。
舗装されていない道を歩く事は勿論、旅などというものに慣れているわけがないオレの歩みは、当然かなり遅い。この世界の人達の足で十日ならば、オレだと二週間くらいかかるだろうか。
爺さんは、贅沢をしなければ王都まで行って帰って来れる程度だと言って金までくれた。食料も貰っているのにそれは流石に駄目だろうと遠慮したが、森の奥での生活では使わない金だからとオレの手に握らせてくれた。
と言うわけで。この世界の旅にはさほど金は掛からないと言っていたので、寄り道したとしても一ヶ月程度の旅は可能だという事だ。交通手段のメインが徒歩であるのならば、旅に必要なのは、宿代と食事代。贅沢しなければ、金はもっと続くのかもしれない。
なので。
野宿でも別に、悪くはないのだ。爺さんの金を使うのは気が引けるので、宿に金は掛けがたく、むしろ望むところ。ここがもしも東京ならば、駅前でも、公園でも、それこそ歩道であったとしても。座り込んで寝てやるくらいの根性は、オレにだってある。
だが、ここは見知らぬ世界。夜ともなれば、真っ暗な土地。その中で、ひとりきりの野宿は、思う以上にきつい。
最低限の不安を、心細さを拭わねば、休めなどしないだろう。
贅沢を言えば、疲れた体をベッドで休めたいが。そんな事は言わない。言わないから、人の存在か、明かりが欲しい。それが近くにないと安心出来ない。
「オレって情けねぇ…」
でも、こればかりは理屈じゃない。
仕方がないから、今夜は暗くても眠れそうになるくらいに草臥れるまで歩くかと。お金はあっても、旅は難しいんだなと。歩くだけでは二週間は乗り切れないよなと。
誰か連れになれるような、王都に向かっている奴はいないかなぁと思いながら村から離れトボトボ歩いていると、後ろから声が掛かった。
「物置小屋の雑魚寝でいいなら、こっちに来な」
振り返ると、村の男に追い払われる時にこちらを見ていたと思しき婆さんが立っていた。
追いかけてきてくれたのだろうか。だったら、悪い人じゃないハズ。ついて行ってもいいかもしれない、が。
「いいの?」
盗賊だか夜盗だか知らないが、何日か前に村は賊に襲われたらしい。だから村人達の警戒は当然だとも思うので、こうしてオレは立ち去るつもりでいたのだけど。
確かに、厄介になれるのならば、それに越した事はない。だが、村の秩序を破ったら、婆さんにも迷惑が掛かるんじゃないのだろうか。
そう首を傾げたオレに、けれども婆さんは振り向きもせずに言う。
「盗むようなものは何もないよ」
「オレは盗まないよ」
「だったら、来な。汚いのは我慢しなよ」
「贅沢なんて言わないよ、畳一枚の場所があれば十分です」
警戒ではなく、からかっているような感じの軽口にオレは安堵しながら笑う。日頃の行いが良かったのだろうか。運のいい自分を褒めたい気分だ。
畳なんてものはこの世界にないのだろう。オレの言葉に眉を寄せる婆さんに何でもないと返し、お世話になりますと頭を下げる。
案内されたのは、村の外れにあった小屋で。
正直、物置の役目は果たさないんじゃないだろうかと思ってしまうボロさであったが。
沢山の屋根の隙間から零れ落ちてくる星明りの中で、オレは体を横たえた。
黴と埃の匂いの中で、この日々に慣れねばなと思う。
2008/07/25