君を呼ぶ世界 11


 身体は休息出来ても、頭は常に動き続けていたような気がする。

 村人に内緒だからだろう。
 朝になったら黙って出て行くようにと言われていたので、礼の変わりに小銭を置き、オレは村を後にした。
 だが、若干後ろ髪が引かれる思いだ。ダルイ身体を捻り、つい後ろを振り向いてしまう。
 村はもう見えない。
「手紙のひとつでも、本当は残すものなんだろうけどなぁ」
 昨日のうちにもっと礼を言っておくべきだった。無粋なのかもしれないが、それしか感謝を示せるものはないのだから、最初に礼金を渡しておくべきだった。
 手際が悪い自分に溜息を吐きつつ、婆さんがオレの礼に気付いてくれる事を願う。
 先に誰かに盗られたら、もともこもない。
「やっぱり、あんな場所に金はないか…。っていうか、読み書きって必要だよな、うん」
 今日もまた空高く元気に昇っていくのだろう太陽に目を細めながら、空中で手を振り指で馴染みのない文字を描いてみるがしっくり来ない。残像は絡まった糸みたいだ。
 予想通りというか、何というか。この世界での紙の普及率は田舎に行くほど低く、庶民の中には文字を読み書き出来ない者が多いらしい。大きな街ならば日常の中に字が溶け込んでおり自然と身に付けるようだが、田舎ではあまり必要なく、また学校のようなものもないので浸透は進まないようだ。
 この国は、地球で言えば「発展途上国」なものだ。だが、目指すような「先進国」もこの世界にはないらしく、目に見える発展はあまり望めなさそうなのが現状のようだ。
 どの国でも、田舎民は学がなくて当然であり、それを不思議にも不便にも思わない世界。差別がないのならば、それでも全然いいのだろうけど。そういう訳もないだろうなので、都会に出て行くオレはちょっぴり不安だ。なにより、今まで「先進」だった自分が「発展途上」なのは、本当に微妙。
「ついでに。その微妙が、半分なのもまた微妙だよなァ」
 オレに話をしてくれた爺さんは、けれども森の中に住んでいるにしては、博識だった。神子の事もそうだが、棚には幾つかの書物が並んでいた。だったら爺さんは、純粋な田舎者ではないのかと訊ねると、若い頃に別の国の都に居たことがあるとの返答だった。
 それも、そうだろう。子供の頃からずっと森の中でひとりで暮らし続けているわけがない。若い頃には誰だって、何かに挑戦したくなるものだ。
 オレだって今がそれだと思ってここで頑張るしかないんだよなと思いながら、棚に並ぶ本を眺めていたオレはある事に気付いた。爺さんに確認すると、それはビンゴで。オレは言葉だけでなく文字も読めることが判明した。
 なんて便利なのか。ラッキーだ。神は信じてはいないが、感謝したいくらいだ。
 そう小躍りする中で、けれども読めるが書けないのだということも判明し、最終的には感謝ではなく中途半端だなと悪態を吐いて奇跡の確認は終了した。多分、きっと、これも言葉同様、本物の神子さまによる影響なんじゃないかという事にして、ハイ終わり。
 それ以上、弄りようがないのだから、しょうがない。
「しかも、便利なのかどうか。イマイチだし」
 空に描いた文字を弾き飛ばすように拳を突きつけ、そのまま両腕を天に向けオレは伸びをする。
 当然ながら、この世界の文字はオレには見覚えのないものだ。しかし、不思議なことに、踊りくねった文字を見ていると内容が頭に入ってくる。そして同じく、書こうとイメージすれば、頭にそれが浮かぶ。けれど。
 残念な事に、オレにはそれを実際に文字に起こすセンスがない。よって、書けない。
 そういうわけで、読めるが、書けないのだ。微妙を極めている。
 この場合、読めることを喜ぶべきなのか、書けないことを嘆くべきなのか。難しいところだ。
 自慢じゃないが、オレは確かに、日本語を書くのもヘタクソだ。アルファベッドに至っては、干からびたミミズ。中三の時に解読不能として試験で0点を付けられてからは、少しでも丁寧に書くようにと気を付けるような時もあったが。それでも、小学生の字だと皆に笑われた。
 やる気もなくすというものだ。
 レタリングは上手い方だし、デザインのセンスもないわけではない。なのに、どうしてか字は一向に上達しない。図形としてならば上手く模写出来ても、文字となると一気にレベルが下がる。そんなオレを、悪友どもは脳の言語部分にニキビでも出来ているんじゃないかとからかった。
 トラウマにもなるというものだ。
 当然の結果として、字が下手でも生きていけるさとオレは居直っていたのだが。
 ここに来て、それに関しての努力を放棄した自分が若干悔やまれる。この世界では土地によっては、読み書き出来る事がひとつの突出した能力になるらしく、読めるのに書けないというのは勿体無すぎるらしい。もしも上手く書けたならば、職も探しやすなるのだろうに。本当に残念だ。
「もう少し、わかりやすい文字ならマシだったんだろうけど」
 適当な単語を頭に浮かべ、模様のような文字を口に出して貶す。マークにしか思えない字形だ。漢字がどんなに素晴らしい文字なのか、今になってやっとわかる。あれは、素晴らしいデザインだ。
 田舎で暮らしていたら、読み書きなんてあまり必要なないのだろうけど。オレが向かうのはこの国一番の都。どう考えたって、書けるにこした事はない。
 王都で教科書でも探して、勉強するべきなのだろう。
 この世界で生きていくのなら、特に。
 なくしたやる気も、トラウマも忘れて、頑張らねば。

 そう。どんな状況でも。
 オレは元の世界に帰るまで、ここでしっかり生きていかねばならない。


2008/07/30
10 君を呼ぶ世界 12