君を呼ぶ世界 12


 三日目にして、漸く宿と称するに近い寝床を手に入れた。

 爺さんにも聞いてはいたが、安い宿とはこういうものかと。縦長の雑魚寝部屋を入口から覗いて納得する。
 思ったよりも綺麗だ。だが、壁に頭を向けて床よりも若干高い板の間で寝る幾人もの姿は、何ていうか結構シュールでありつつも、面白い。大人もあれば子供も居るようで、足の並びはデコボコだが、クラス全員で大部屋に泊まった修学旅行を思い出す。
 二列に布団を並べての頭をつき合わせた状態で、二十人近いガキどもはエロネタで盛り上がった。見回りの教師が来るたび狸寝入りをしていたが、夜が更けるにつれ寝入っていく面々に、眠っていない者は悪戯をした。何人かに油性ペンで顔に落書きしたオレも、翌日に起きたら眉毛が繋がっていたものだ。懐かしい。
 早くも眠っている面々が居るその部屋を通り越し、あてがわれた一番奥の部屋へと入ってみる。到着した順番に詰め込まれるのか、隅にひとりの男が寝ているだけで他に人は居ない。
 ベッドも何もなく、ただ寝るためだけのこういった宿は、王都へ向かう道沿いにはいくつかあるらしい。以前ヨーロッパの巡礼番組で似たような宿を見たことがあったのを思い出す。丁度一日分の行程ごとに、質素な宿が建てられていた。昔の日本なら旅籠といったところか。
 もしかしたらこの国でも、オレのペースが人並みであれば、毎日こうした宿に泊まれるのかもしれない。そう言えば、あの水戸の黄門サマも、いつも宿にあわせてのペースだったような気がする。普通は、そう計画して進むものなのだろう。だが、如何せん、オレには情報がない。
 嗚呼、オレにも八ちゃんが居ればなぁ。そう思っているところに、オジサン二人組が入ってきた。場所を確認しにきただけのようで、直ぐに荷物を持ったまま出ていこうとする。
 が、ひとりが振り返り、入口でオレを呼んだ。指で釣られ向かったところで、そのヒゲ親父に「飯は?」と訊かれる。
「え?」
「今着いたばかりなんだから、まだだよな」
「なんで知ってるの?」
「俺達の前を歩いていたじゃないか」
 しっかりしろよ、頼りないなと笑いながら、オレはバシバシと豪快に背中を叩かれた。もうひとりのM字ハゲも同様に笑っているが、筋肉痛の上に筋肉痛を重ねている俺にはかなり効き、鈍い痛みに無言で悶える。
 確かに、タイミングから考えても男達の言う通りなんだろうが。だからって何で、絡まれて笑われているんだオレ? 前を歩いていただけで、こんな仕打ちを受けるのか? だったらオレも、前を歩いていたどこかの誰かを叩いていいのか?
 どう考えても、いい訳がない。
 この親父達は何なんだと、忠告通りに警戒を示したオレに、「親切を疑るんじゃないぞ兄ちゃん」と今度は逆の指摘をしつつ肩に腕を回して来る。
「ほら、行くぞ若造」
「奢ってやる」
「えっ!?」
 ゴツイ男達に押され引かれしつつ驚くオレを、豪快に笑うハゲとヒゲが問答無用で食堂へと連れ去る。
 拉致だ、拉致。オレは地球から誘拐された上に、この世界でも拉致されるのか。
 世界で戦争が起きようが。日本のデフレが続こうが。人身事故のダイヤ乱れに巻き込まれようが。バイト先に泥棒が入ろうが。大学内で傷害事件が発生しようが。オレにはあまり関係ないと、それでも自分は無事だと、いつまでも平和なのだと無条件に信じていた頃が懐かしい。
 見知らぬ奴等が勝手にオレの運命に踏み込んでくる。
 しかも、よく考えれば。異なる宇宙とは言え、こいつらはオレにとっては宇宙人。捕まえるべきはこの親父達だぞと思い、MIBを頭で呼ぶ。だが、もっとよく考えれば、この世界の中では、オレが宇宙人だ。オレが捕まるのが当然なのかと、両脇を挟まれて食堂に着く頃には納得しかける。だが、やっぱり嫌だ。したくない。
 なので、宇宙人云々は置いておいて。
 オレってそんなに魅力的なのか。人気者過ぎて困るぜ、と。内心でブツブツやって自己消化するオレの前で、ハゲとヒゲが楽しげに喋っている。幸せそうだ。オレも幸せになりたい。
 あんた達の息子が、オレと似た年頃であるのはわかった。それ故に気に掛け奢ってくれるのは、オレだってありがたい。だけどさ、オッサンら。ナンパの仕方がなっていない。マジでビビったぜ、コンチクショウ。
 どこの世界にも、こういうオジサンは居るらしい。無粋というか、豪傑というか。デリカシーに欠ける中年男は異世界でも健在なようだ。本当に、一番初めに会ったのが、優しい爺さんで良かった。
 何事かと怯えた自分を誤魔化すように心で毒を吐き、酒を飲む親父二人を適当にあしらいながら、食事に罪はないので素直に楽しむ。何てことはない炒め物や焼き物だが、この世界に落とされて初めての料理の数々に頬が弛む。旅に出てからは勿論、爺さんとこでの食事も質素で、パンやスープばかりだった。
 さすが、王都に近付いている事はある。
 物資の普及率が高いのを食事に見る。だが、良く考えればまだ爺さんの村を出て三日だ。俺の足では四分の一も進んでいないだろう田舎でそれはないかと考え直し親父達に訊ねると、王都に比べれば断然小さいが市場が賑やかな街が近くにあるらしく、この店はそこと取引があるとの事。
「俺達はその街へ向かう途中だ」
「仕事?」
「いや。一仕事を終えて帰るんだ」
 明日の夜には家族が待つ家に帰れると、白身魚の唐揚げを口に放り込みながらヒゲが笑う。その目は嬉しそうに垂れ下がっている。どうやら、帰郷の喜びに興奮している二人に俺は巻き込まれたらしい。
「そうなんだ。じゃ、お仕事お疲れ様でした」
「おう、有り難いねェ」
「ほら、ボウズ。もっと食え」
 軽く頭を下げて労いの言葉を口にしたオレに、二人の顔がくしゃりと更に歪む。仕事だと聞いたからか、焼けた顔に刻まれる皺がなんだか少し頼もしく見える。
 漸く休めると思っていたところの拉致だったが、悪くはない。まだ学生だったので気心知れた同年代の知人ばかりと付き合ってきたが、こうして見ず知らずの大人達と触れ合うのも楽しいものだ。
 だけど、ちょっと煩すぎ。
 奥さんが美人なのも、娘が可愛いのも、息子が優秀なのもわかったから。その親バカぶりを指摘はしないから、落ち着けハゲ&ヒゲ。下種い親父ギャグも封印してくれ。一緒にいるオレが恥ずかしい。さっきから、定員の姉ちゃんに笑われているんですけど?
 兎にも角にも煩くて。疲れたオレには、なかなかの凶器だ。
 だが、それでも。
 もしも、就職をしていたら。こういうオヤジが上司に居たのかもしれないと思うと。
 オレも、「部長、一杯どうぞ」と愛想笑いを付けて酒を注いでいたのかもしれないと思うと。
 席を立つ事なんて出来なくて。

 目を閉じると、東京の景色が瞼の裏に浮かんだ。


2008/08/01
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