君を呼ぶ世界 14
神というのは、キリスト教でいうイエスさまではないのかもしれない。
神子というのは、日本でいう天皇陛下ではないのかもしれない。
「そう言えば、昔噂で聞いた事があるんだが。クラモ国の神子が亡くなった後、神子召喚を行なった国があったらしいな」
神子の話から自国の様子へ話題が移ろうとした頃、一人の男がポツリとそう零した。皆が一斉にそれに食いつく。
「そんな話聞いた事がないぞ」
「だから、噂だ。戦況が芳しくなかったラヤ国が一時立て直した時、そういう噂が出たらしい」
「ラヤ? ペート国との戦の話か?」
「そうだ。しかし、直ぐにまた戦況は変わり、結局は負けたんだがな」
「ラヤ国王は捕虜になったんだったか…?」
「いや、ペート国の兵が王城に踏み入った時は自害していたようだ。捕虜になったのは、王族の幾人かだと思うが、詳しくは知らん」
「それよりも神子だ。ラヤに神子は居たのか?」
「王城内に、召喚の痕跡も神子の姿もなかった。当然、捕虜となった者達も知りはしない。だから、噂が流れたのもそのひと時だけだった」
「胡散臭いなぁ。どうせ、気を緩めて押されてしまったペート国の兵が言い訳代わりに言い出したんだろう」
何処どこに神子が居るだの、自分は神子だだの。そう言った話は時たま聞くぞと、まるで悪徳商法に出会ったような毛嫌いさを男は顔に浮かべ、大袈裟に悪態を吐いた。
男達の遣り取りが落ち着くのを待って、オレは口を挟む。
「それ、いつの話?」
「お前が生まれるずっと前だ」
「イテッ!」
テーブル越しに腕を伸ばしてきたハゲ親父からデコピンをくらい、オレは両手で額を押さえ呻く。冗談抜きで痛い。絶対、赤くなっているはずだ。明日には痣になっているかもしれない。
「暴力反対!」
「指一本で、何が暴力だ。悔しかったらやり返してみろ」
「残っている髪の毛全部抜くぞ、クソオヤジッ!」
机に手を置き勢いよく立ち上がったオレの後ろで、椅子が倒れる音がする。残る毛が大事ではないのか、ハゲ親父はワハハと笑う。他の男達も同じように笑う。オレの剣幕など全く効果がないようだ。
「何だよ、畜生! オレはもう寝る!」
ごちそうさまでした!と、不貞腐れつつも礼を言い踵を返すオレの胸中は、実は全然荒れてない。いい機会だと、逃げるチャンスだと、オヤジ達のノリに乗ってみただけだ。本当は怒らせるつもりで言った暴言さえも、実際には笑われてしまっただけなので、これを逃したらまた捕まってしまうだろう。寝るのが延びる。
嘘だとわかっていても、噂は気にならない事もないが。多分、他の場所でも仕入れることが出来るだろう。逃げるが先だ。
誰だよ子供に酒を呑ませたのはとの声が笑いの中から聞こえてきたが、呑んでないよと口内で転がすだけに留めて店を出る。数歩進んだところで、子供という箇所だけは訂正するべきだったかと気付いたが、戻って実行するほどのものではない。
あの男達よりは、オレは確かに若い。だけど絶対、二十三歳だとは思われてないだろうなと。だったら、幾つくらいに見られているのだろうと考えながら、オレは宿に戻り、与えられた場所に横になった。親父達と騒いだ心地良さからか、いつもと違い直ぐに意識は薄れていった。
だが、結局。
いつものように眠りは浅く、部屋や廊下で人の気配が動く度に意識は浮上する。覚醒には辿り着いていないが、睡眠状態でもない中で、明け方までウツラウツラしていたが。どうにもすっきりしないと起き出し、外へと出る。身体だけでも休める方がいいとわかっているのだが、周囲が寝静まっている中で起きているのもしんどいものだ。
まだ薄暗い中、清んだ空気を胸一杯に吸い込む。冷たさが、気持ちいい。
「今日で、四日目か」
三日で、どのくらいの距離を歩いただろうか。箱根マラソン分くらい進んだろうか?
「……いや、流石にそれはないか」
オレのペースだと、フルマラソン程度かもしれない。高低差がなく整備された道ならばもっと進んでいるだろうが。長時間歩き続けるのに慣れていない足は、旅を初めてすぐに痛みを訴えたので、その後は負担がかからないように少し意識している。そんな訳で、子供が歩く速度でのんびりと、休憩をとり寄り道もしながら歩くので、距離は全然稼げていないのだろう。王都までは、まだまだ、まだだ。
でも、頑張ろう。今日も、少しは進もう。途中で力尽きても、誰かが助けてくれるだろう。血も涙もない世界に落ちなくて良かったと、寝返りを打った時にでも出たのか、服の上のペンダントを指で弾きながらオレは口角を上げる。
サツキ。
オレ、ちょっと本気で楽しくなってきたかもしれないよ。
親父達との交流で、親近感でも沸いたのだろうか。何だか、張っていた意地が少し弛んだ気がする。緊張が、希望に形を変えようとしている気がする。数日前よりも、心の底からこの世界を知りたいと思っている感じがする。
神子のことでも、自分のことでもなく、ただ単純にこの世界に生きる人を見てみたい。
突然こんな世界に飛ばされようが、オレはごく普通の人間で。日本なんていう生温かい場所で生まれ育ったわけで。
知らない誰かであっても、笑って暮らしているのを見るのは、基本的に嫌いじゃないのだ。相手が幸せそうなら、嬉しくなる。それは、自分もまた恵まれているからこその余裕であって、そうでなければ羨み妬むのだろうけど。それでも、今この瞬間もそう思えるから。オレはオレが思う以上に、余裕があるのかもしれない。少なくとも、人と触れ合いたいと思う程度に、自分の事以外に目を向けている。
もしかしたら、一ヵ月後、一年後には、オレはこの世界で生きるのに疲れ腐っているのかもしれないけど。上手く生きられずに嘆いているのかもしれないけれど。それはそれ、その時だ。
「オレを見ていてくれよ、サツキ」
二十三年間言葉を掛け続けた片割れに、声を出して乞う。オレの近くでオレの命を見ていろよと。
だけど、同時に、父さんと母さんのことも頼む。彼らの傍にも居てやってくれ。
サツキ、お前ならそれが出来るだろうから、お願いだ。
筒状の飾りを指で挟み、生まれたばかりの太陽に晒すよう目の前に掲げる。
息子が二十歳になったのを機に、ひとつずつ持っていた娘の形見を、父と母はオレに渡した。元々オレが持っていたひとつを合わせたみっつの小さな石をペンダントに変え、肌身離さずに持っているこれが、元の世界に繋がる唯一の物。
スーツも、壊れた腕時計も、爺さんに譲り処分した。
これがあれば、オレは充分だからと。
子供の頃からオレが祈るのはいつでも、語りかけるのは常に、生まれる事もなかった片割れだ。
神なんてものの存在は信じられないが。
死んでもなお、彼女はオレの傍に居るのだと信じている。
それは、この世界に来ても変わらない。
そして、この世界の人達にとっても。神や神子とは、そういう存在なのかもしれない。
2008/08/08