君を呼ぶ世界 19
リエムは普通といったけれど。
異世界から人間を召喚しようと思うような奴を、とてもではないがオレは普通だとは思えない。
今までは想像でしかなかったオレのそれが、真実味を帯びはじめて感じたのは、純粋な恐怖だ。
民に慕われる王を。リエムが好感を持つ男を。まだそうと決まったわけではないのに、オレの中で憎しみが浮かぶ。
そして、この世界に生きる人間に、自分と同じく生きている相手に、嫌悪を覚える。
だが、それ以上に。そんな恨みを持つ己に吐き気がする。
オレだけが暗い心を持っている。
誰も共感しえない感情。
オレは存在はもとよりこの心も、この世界の異物――。
「まだ喰えるよな?」
「……あ」
不意に耳に届いた声に顔を上げると、隣の男が喧騒に負けない声で店員を呼んでいた。物思いに耽っている間に、幾つも並んでいた皿は全て空で、積み重ねられている。
「何がいい?」
「…いや、もういいよ」
振り返ったリエムの問いに、オレは首を左右に振る。
「食が細いな」
「充分食べたさ」
「どこがだ。王都まで無事に行けるのか、心配になる。途中で行き倒れるんじゃないか?」
「オレは普通。リエムが喰いすぎなんだ」
不吉なことを言う男に顔を顰めながら抗議するが、あっさりと流された。
注文の皿が届けば、当然のように前に据えられる。
「…アンタは、オレの母親かよ」
「食べないと大きくなれないぞ、息子」
「満腹中枢が壊れているよ、母上。デブになっても知らないから」
「女は、ふくよかな方がいい」
「テメエの好みなんて知るか、ボケ」
ここは付き合いで食うべきか。
だが、もう本当に、食いたくない。
っていうか、口に入れてもどうせ胃が受け付けないと、弄んでいたフォークを手放すと、リエムは肩を竦めて呆れるような表情を作った。
また、同じ小言を言われてしまいそうな予感に、オレは先に口を開く。
「なあ、聖獣ってどんな姿をしてるんだ?」
別宇宙なのだろうとはいえ、宇宙人に変わりない面々は、地球人と変わりない。だったら、聖獣というのも、地球上の動物と変わりないのだろか。
奇妙奇天烈グロテスクな生き物は好みではないが、それでもそうであったとしても見てみたいものだと興味を向けたオレに、けれどもそれを知る男は直ぐには教えてくれない。
「まるで子供だな、質問ばかりだ」
「…悪ィかよ?」
「いや、学ぶのはいい事だ」
「そうそう。知らない事を知らないと言えない奴は愚かだ。聞かないのは罪だ。ってことで、オレは聞く。知っているアンタは教える。知識を独り占めにするのは、ただの阿呆だ。だから、素直に教えろ先生」
「偉そうな生徒だな」
「子供はそういうものだ」
「ガキじゃないんじゃなかったか?」
「人の揚足を取るのが大人なら、純粋無垢なオレは永遠の子供だ」
「聖獣といっても、姿も大きさも様々だな」
オレの主張を聞かなかったかのように、何の反応も見せずにリエムが話を元に戻した。
無視だよ、無視。冷たい教師だ。非道。
だが、流石に、ボケた手前もっと構えよと思うけれど。ここは仕方がない。大人しく退いて、教えて頂こう。
「鳥のようなものであったり、馬のようなものであったり、蛇のようなものであったり。一概には言えないが、もとから地上に居る動物に近い姿ではある」
成る程。犬や猫といったように、聖獣という種類のそれがいるわけではないらしい。
だが、一匹一匹が違うとなると。それを聖獣と判断するのは難しいだろう。
つまり、似通っているとはいえ、わかる程度には異形というわけか。
「だったら、我が国王様の聖獣は?」
「大きな猫みたいな姿だな」
「トラみたいなの?」
「トラ?」
首を傾げたリエムに、トラを知らないのだと悟る。猫は居るが、トラは居ないというのも妙だ。多分、この国に居ないだけだろう。それか、呼び名が違うか。この翻訳機能はどこまで正確なのだろう?
神子の力が影響して棚ボタで手に入れたらしい力の性能を考えながら、オレは皿のソースを使ってフォークの先でトラの絵を描いてみる。
「トラっていうのは、こういうの、なんだけど?」
「ああ、そんな感じだ。王の聖獣は白銀で、黒の模様がある」
「へぇ〜」
地球上で言えば、ホワイトタイガーみたいなものか。いや、聖獣なら、白虎とでもいうべきか。
だけど確か、白虎は獣じゃなく、神そのものなんだっけ? ……ま、別にどうでもいいか。軽んじたところで、誰に怒られるわけでもないし。
自分と変わらない青年の横に控える白虎を想像すると、一気にファンタジー色が強くなる。なんて世界にオレは紛れ込んでいるのか。ホント笑える。
「かっこよさそうな聖獣サマだな。いいね、見てみたい」
皿に描いたトラを見下ろしながら、オレは、こいつが元凶その2かと胸中で唸る。
神子をこの世界にと、命令をする王。協力する獣。そして、従う術者。
「運がよければそのうち見られるだろう」
リエムの言葉に頷きながら、だったらオレは無理なのかもしれないと思う。運がいいのなら、オレはここには居ない人間だ。もしも、運が巡ってきたのならば。その時は聖獣に会うのではなく、地球に帰るために使いたい。
「聖獣サマかぁ…」
思いを馳せているとでも思ったのか。オレの呟きに隣の男が笑った。その声を聞きながら、騒がしさが続く食堂を見渡す。
この中の全員が信じるそれも。オレにとっては、今はただ疎ましいものでしかない。
こんなにも近いのに。それでも、心に燻る思いをひとつ引き上げただけで、全てのものが一瞬で遠のく。
知らない世界。
馴染みのない世界。
そなのに、今のところは大丈夫な自分がまた理解出来ない。馴染みかけている己に嫌悪さえ浮かぶ時がある。
確かに、怪しまれて捕まってしまうような問題があるわけではないのは、救いになっている。こうして自由で居られるからこそ、オレはオレを保っていられているのだろう。だから、やっていけるだろうという判断は、確実に安心へと繋がっているのだ。
けれど、それがオレの存在理由だとか意義になって、ここでの居場所を自ら確保できるかと言えば。実際、そうはならない。
疎外感を持ち続けるのは、小さな緊張を常に張っている事になるのだろうけど。今はまだ、オレはとてもじゃないが二十三年間の居場所を捨てられないし、この国にそれを求める気にもならない。
基本、帰郷を望んでいる。
でも、今日、明日で、それが叶えられるとは思えない。だから、その一日を、二日を生きるために。帰れるその日を迎えるために、オレはこの世界で暮らす。暮らすために、自分が必要だ。ここに居ることを認められる自分が、ここで平穏を迎えられる自分が、ここで希望を絶やさない自分が。
つまり、アレだ。
オレに必要なのは、健気なアニメの主人公がやっていた、「よかった遊び」だ。欲を出せばきりがない。だから、現状で喜ぼうってやつだ。そうやって、心根をしっかり持って強く生きねばならないわけだ。
もしかしたら、この世界であるのは変わりなくとも、もっと辺鄙で治安の悪い寂れた国に落されていたのかもしれないのだ。それを考えれば、オレはもの凄くいいところに落ちた。爺さんに出会えて良かった。旅に出てから会った面々も、そう思える人たちばかり。
一年を通せばどうか知らないが、今は過ごしやすい気候で良かった。自然に触れられるところで良かった。料理の味付けも俺の口にあうもので良かった。今夜はベッドで眠れるのだ、なんて幸せなんだろう。
そんな風に、捉えようと思えばいくらだって出来る。どこであろうと、生きている事だってそうだ。
自虐気味だが、極端な話。誰もが味わえるものではない異世界を、ただの日本人学生の自分が体験出来ているのも、そうだと言えるものなのかもしれない。
探せばいくらでも、良い事はあるのだ。
けれど、その反面。それでも、オレは望んでいないと思ってしまう。
漫画でよくある、頭の中の天使と悪魔のような感じだ。ポジティブに捉えようとする度に、心が軋む。かといって、ネガティブでは、身体も精神ももたない。生きていけない。
「…会えたらいいな、本当に」
「そうだな」
若き王と、その隣に居るのだろう獣を思い呟いた言葉に、男は律儀に優しい声音で返事をしてくれるが。
オレが何を思ってそれを願っているのかなんて、全然わかっていないのだろう。
また、一歩。距離がひらく。ひらいていく。
本当に、どうして、こうなったのか。
つまるところは、それなのだ。それがわからないから、ぐらぐら揺れる。
間違って召喚しちゃったんだけど、もう帰すことは無理だから。諦めて、この世界で生きてよ。――なんて。面と向かってそう召喚に関わった者に言われたならば。
そいつを数発殴るなり蹴るなりすれば、このモヤモヤは消えるのかもしれない。
許しは出来ないし、理解もしたくないけれど。少なくとも、ここに居る理由は生まれる。意味もまた、作れる。
だけど、今は何も、何ひとつわからない。
どうしてオレは、ここに居るのだろう。
この世界を知るほどに。この世界で生きる人に触れるほどに。
オレは馴染むと同時に、息苦しさを憶えている。
2008/09/01