君を呼ぶ世界 23


 侮りがたし、兵士殿。

 休憩を終え歩みを再開し始めた昼過ぎから、足の痛みが悪化した。やはり、リエムの速度に着いて行くのは、オレには負担であったらしい。
 だが、大口めいた事を叩いた手前、放って行ってくれと言うのもゆっくり歩いてくれと頼むのも嫌で。
 どうにかこうにか意地だけで歩ききり、予定の宿に辿り着く。惰性で進めた足は、もう痺れて何が何だかわからない。オレの足大丈夫?指千切れてない?って感じだ。
 今夜の寝床は、カプセルホテルというか、寝台車というか、両脇に二段ベッドが設置されている狭い部屋が連なる簡易宿。
 上と下どっちがイイ?と訊く余裕もなく、もう動けねぇとオレは下段ベッドに倒れ込む。足の痛みのせいで、必要以上に疲れた。
 気力が尽きかけている。
「大丈夫か?」
 出会って丸一日過ぎたけど、一体この男に何回同じ言葉を向けられただろう。これなら、行く末を心配されて当然だと思いながら、枕に顔を埋めたまま返事をする。
「……へーき、疲れただけ」
「直ぐ戻る、大人しく寝ていろよ」
 手首だけを動かし、上げた手で了承を伝える。動けと言われても、今は動けない。言われなくとも大人しくしているしかありません、はい。
 オレの事は放っといてくれていいから、好きにしてくれと。オレはリエムが去る気配と共に、彼の事を頭から追い出した。兎にも角にも今の自分に必要なのは休息だと、靴先は通路にはみ出したままの迷惑な格好で意識を手放す。
 別に、眠りたいわけじゃなく。ただ、覚醒し続けているのが難しいだけで。
 身体はドップリ沼に浸かったように重く、頭の中は何も無い状態。だけど、それでも、どこかは起きている感じがある。勝手に耳だけが働いているだとか、頭の芯だけが冴えているだとか。
 そんな風に、自分に同調しない生意気な部分を認識しつつも、それを宥める気にもならずに目の前の休息を貪り食っていたオレなのだが。
 ふと、誰かに話し掛けられた気がした。
 少し浮上した意識の中で、リエムかなと思った。それか、同室者が来たのかと。
 だが、確認出来ない。体が動かない。
 それでも、このまま眠り込んだら、置き引き被害にあったりするのだろうかと、夢に近い場所で現実的なことを思ったりもする。
 だったら、起きなきゃ。
 でも、無理。
 起きられない――って!?
「う、ギャ、おぉぉぉぉーーーッ!!」
 一気に覚醒を促されるほどの痛みが身体を駆け巡り、気付いた時には自分の口から叫び声が上がっていた。
 何事かと考える余裕もない。動かない、起きられないと思われた身体が、オレ自身が意識するより早く逃げを打つ。
 だが、逃げた途端、今度は後頭部に激痛が走った。
「痛ッ!!」
 狭い場所で身体を起こしたせいで、上段ベッドの床、つまりオレにとっては天井であるそこに頭がぶつかったというわけだ。
 ある意味、お約束。
 だけど、当人であるオレにとっては、洒落にならない。息も吸えない。
「おい、大丈夫か?」
 両手で後頭部を抑え頭を抱えて悶えるオレの背中に、リエムの声が届いた。
 また言われてしまったが、今回ばかりは大丈夫ではない。
「…………死ヌ」
 何とか声を吐き出しそう訴えたのだが。
「起きたのなら、座れ。ほら、頭も見せてみろ」
 力を入れていたからか、クイッと腕を引かれたかと思うと、オレはリエムに軽々と起こされていた。頭をぶつけた奴になんて仕打ちだと、顔を上げかけたところを片手で抑えられる。
 正面に立ったリエムは、オレの頭を押さえて覗き込むように、オレの手を力で退け後頭部を触診する。だから、必然、オレは下を向く格好になったわけなんだが――何だこれは?
 足元に、水が張った盥とタオルと、黒っぽい液体が入った小振りの入れ物がある。
 あと、オレの靴もだ。
 いつの間に裸足になったんだ、オレ…。
「血は出ていない。だが、腫れそうだな。水で冷やすか」
「……水?」
 それってこれかと足元の盥を差したオレに、リエムは「それはぬるま湯だ」と言い置き部屋を出て行った。
 じんわりと痺れる頭。
 気付けばジンジンと脈打つように痛んでいる足。
 思わぬ不調具合に意識が纏まらず、オレはリエムが冷たい布を持って戻ってくるまでぼんやりとしていた。ただ、自分の爪先を見つめたまま。
 日焼け知らずの白い肌の中で目立つ、赤と黒。
 腫れと傷以上のこの痛みの原因がその汚れのような黒だと気付いたのは、新たにリエムにそれを塗られてからだ。
「ぅうッ! くっぁあ!!」
 我慢しようとしても、声が漏れる。
 薬をつけると言われ、よく考えもせずに頷いた途端、先程と同じ激痛が足先から頭まで骨を伝い駆け上がった。一瞬意味がわからなかったが、リエムの手元の動きを見ているうちに理解する。
 原因は間違いなく、それだッ!
「ア、ぅちッ!」
「妙な声を出すなよ、煩い」
「そ、それ、薬じゃないだろ! い、痛い痛い痛いンっすけどッ!オイッ!」
「気のせいじゃないか? 冷たいだけだろう」
 素っ気無く言いつつも、リエムもこの痛みは判っているのだろう。オレの足を握り押さえる力はとても強い。
「ホントに本気で痛いですッ!」
 しみるってものじゃない。まるで傷口に塩を塗り込められた感じだ。
 いくら薬とはいえ、こんなもの無断で塗るなッ!
 オレは目の前の男に、一瞬殺意を覚える。リエムは親切心で、疲れて休んだオレを起こさずに足の治療をしてやろうと思ったのかもしれないが、この痛みで起きない奴はないだろう。
 頭に出来たタンコブは、間違いなくこの男のせいだ。
「良薬口に苦し、だ。我慢しろ」
「む、無理…」
 苦いにも限度がある。そもそも、オレはこれを良薬とは思えない。この痛みは、毒以上だ。
 漸く辿り着いた宿で、ホッとしたのも束の間。何だってオレはこんな目にあっているのだろう。
 疲労でおかしな感覚に包まれ、取り留めのない馬鹿な事を考えていた数分前が懐かしい。今も痛みで同じように思考はまともに動かないけれど、これは悪夢と一緒だ。覚める事のない現実だなんて、なんて無慈悲なんだ!
 こんな世界はもう嫌だ!
 オレを帰せ! 帰してくれ!!
 イイ奴かもしれないけど、この男は悪魔だと。オレは噛み殺せない自分の情けない声を聞きながら、心だけは折れてなるものかと悪態を並べる事で奮い立たせるのだけれど。
 ……人間、限界というものがある。
「落ち着けば痛みは去る。男だろう、堪えろ」
 それって、この激痛で感覚が麻痺するだけじゃないのかと、オレは耐え切れずに体を横たえた。不甲斐無いけど、涙が出る。このままいけば、本気で死ぬかもしれない。
「泣くな」
「…………絶対、これはそれの副作用だ」
 だから、あんたが悪いんだと、鼻を啜りながら訴えるオレを悪魔が笑う。
 憎たらしい。
 リエムは、オレの足がおかしい事に気付いていたらしい。旅に慣れていない事を知りながら無理をさせてしまったなと謝ってきた。だが、足にマメを作ったのも、それを隠したのもオレなのだ。謝罪は必要ない。ついでに、こんな治療もだ。
 マジで、死ぬ! 死んだら、この男を呪ってやる!
 拷問に近い痛みを呪詛を吐く事で乗りきり、丁寧に布を巻かれた治療の終わった両足を眺めながら、オレはそっと溜息を吐く。まだ、ジクジク痺れは残っているが、先の痛みに比べれば可愛いものだ。
 嵐は去ったらしい。
「頑張ったな」
 脱力したオレの前髪を掬うようにして掻き分け、リエムが労うように額を指で撫でてきた。
 頑張ったとは、この足で遅れをとらなかったことに対してか。それとも今の治療のことに対してか。
 痛みが薄まると同時に、悪魔への怒りも減っていて。
 オレはよくわからないままに、ただ礼を口にした。
「アリガトーゴザイマシタ」
 オレのそれに何故かちょっと目を張ったリエムは、「いいから、寝ろ」と、オレを薄いベッドへ押し込んだ。
 今度こそ、オレは本格的に眠りへと落ちながら、それでも頭の隅で考える。

 咽もと過ぎれば何とやらというもので、その親切心には感謝している。本当に。
 だけど、さ。なあ、リエム。
 あんたの気遣い、ちょっとおかしいよ…。


2008/10/15
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