君を呼ぶ世界 24


 リエムには、感謝してもし足りない。

 オレの足の状態に気付いて、本人に断りなく治療しようとしたリエム。そのお陰でタンコブを作り、足と頭のダブルパンチを喰らったオレ。こいつは天然なんだと思うことで握った拳を解いたけど、本当は、感謝はしていても納得なんて全然出来ていなかった。
 だけど。
 朝起きると、嘘みたいに足の痛みが消えていた。
 布を外し、臭い薬布も外して現われたオレの足は腫れも引いていて。赤い肉が剥き出ていたところには、薄い皮が張っている。
「参ったな…」
 この結果なら、リエムの強引さを差し引いても、昨夜の理不尽は飲み込まねばならないようだ。
「でも、なぁ…う〜ん」
 そりゃあ、確かに。リエムにとっても、オレにとっても、確かに喜ばしい事なのだけど。それでもやっぱり、ちょっと悔しく思ってしまう。
 例えば「痛いが我慢しろ」、「この薬は効くから信用しろ」と言ってから治療してくれれば、オレはタンコブを作らなくて済んだし、喚きもしなかっただろう。どう考えても、あの男の対応は手抜きだ。だけど、結果からみれば、治療は正解。だったら誠意の問題かと考えてみても、それもリエムにはあって当てはまらない。親切心がなければ、他人の足など放っておくだろう。
 紛れもなく、リエムは優しい人物なのだ。
 他人の内面も考えるし、気を使えるだけの器用さも持っている。
 だけど、時にはそれが発揮されない事もあるらしい。きっと、兵士なんて荒くれ者の中で仕事をしているから、大雑把なところもあるのだ。悪気なんて一切なく、全てが真剣なんだろう。治療もそうだし、オレの将来を心配したのもそうだし――。
「――って、それでもやっぱ、微妙だ…」
 気遣いはもっとかっこよくしろよと、オレは身形を整えたのだけど、ぼやきと共に再びベッドへ突っ伏す。
 なんだろう、何て言うのか……男前で軍人なお兄ちゃんに、若干憧れみたいなものがあるオレとしては、もっと完璧であって欲しいような気がする。
 いや、勿論、その飾らなさに親近感を覚えて和むのだけど。だからこそ、打ち解けたのだろうけど。
 ……それとこれとは別なところで、やっぱりリエムの天然は…ちょっとビミョーだ。うん。
 何がどうとは上手くいえないんだけど、と。そもそも、考え込む事でもないんだけどと思いつつも、「う〜ん」と唸り身体を反転させたところに、件の人物がやって来た。オレとは違い、早くも起きだし出ていたらしい。
 人を悩ませておいて、元気なものだ。
「おはよう」
「ああ、おはよう。どうだ、調子は?」
 窺うと同時に、身体を起こしたオレの頭をリエムは片手で押さえた。朝からなんだ、これは何だ、オレは犬かと呆れかけたが、どうやら熱を測っているらしく、もう一方の手を自分の額に置いている。だが。
 これこそ、意味がわからない。
「……足だろ、足」
 診るのは、怪我した足だろ。天然男、決定だ。
 アホだなコイツと呆れたオレの呟きを拾ったリエムは、思い出したように「それで、足はどうだ?」と首を傾げた。爽やかに笑っての問いは、けれども馬鹿にしか見えない。昨日オレを地獄の痛みに落した記憶は、こいつの中にはないのだろうか。クソッ。
「…お陰さまで、痛みも取れまして、回復傾向にあります…ハイ」
「そうか。あとで別の薬をやるから、完治するまではそれをつけておけ。無理しなければ、4〜5日で治る」
 昨日の薬はキツイので普段使いじゃないのだとか何だとか言いながら、オレを促し部屋を出るリエムに従い、オレは荷物を抱えて後に続いた。歩けば多少の痛みはあるが、違和感に近い程度の感覚だ。問題ない。
 多分、薬草を潰すか煮るか何らかをして作ったのだろう、ドロドロ黒々の臭い薬サマサマだ。
 リエムの知識と機転には、やはりその他諸々の溜飲は下げるべきだなと思いながら向かった食堂で、けれどもやっぱり唸る羽目となる。
 料理を取りにいってくれたリエムを、先に席について待っていると、隣の大きな男に声をかけられたのだ。
「よう、弟。元気になったか?」
「はぁ?」
「そんなヒョロヒョロした身体だから、疲れただけで熱を出すんだぞ。しっかり喰ってデカくなれ」
「いや、ヒョロヒョロって……」
 確かに、マッチョに近い体格のアンタと比べたら細いけど、この世界にきて痩せたようにも思うけど。それでも唐突にこんな指摘をされるほども、チビでもガリでもない。むしろ、アンタが規格外だろうと胸中で突っ込んだところで、漸く可笑しな単語に気付く。
「熱って、どういうこと?」
「なんだ気付いていなかったのか。昨夜、俺はお前ら兄弟と同室だったんだよ」
「だから?」
 誰と誰が兄弟だと思ったが、リエムがそう説明したのだろう。それをこの男は飲み込んだのだろうならば、いちいち訂正する事もない。どこをどう見ようと似た部分なんてひとつもないのだろうに、それでも兄弟で通るのならば、関係なんてその程度という事だ。追求する事もない。
 何より、聞き捨てならないものが別にある。
「おっ、勇ましいな。可愛い顔をして、一人前に睨んできやがる」
 昨夜はハアハア言っていたのになァと、何が楽しいのかガハガハ笑う筋肉ムキムキ。気付けば、その隣に並んで座っているのは娘なのかどうなのかわからないが、可愛らしい華奢な少女。っで、その前には、奥さんらしき美人さん。
 睨むのも、膨れ面をするのも何だか気まずく思え、オレは溜息とともに項垂れた。
「悪い、からかいが過ぎたか? ま、元気になったんならいいんだよ」
「…どうも、ご心配をお掛けしました」
 噛み合わない話をオレは無理矢理軌道修正させる事で乗り切ろうと、適当にしおらしく頷きながら、いま一度よく考えてみる。
「礼を言うのなら兄貴にだろう。夜中にもお前の世話を焼いていたようだからな。ちゃんとアリガトウって言ったのか?」
「ええ、まあ…」
「イイ兄貴だな、大事にしろよ」
「…そうですね、ハイ」
 絶対にこの大男は、オレのことを十代の子供だと思っている。年の離れた兄の手を焼かす弟、という眼でオレを見ている。
 しかし、それをありありと感じたところで、オレに出来る事はない。
 からかいなのか小言なのかわからない言葉を落とし、満足したのか家族と連れ立って席を立ったオヤジを見送りながら、オレは深い深い息を落とす。
 あんまり判りたくないけれど、つまりオレは昨夜アレから熱を出したわけだ?
 それで、同室のオヤジが気付くぐらいに、辛そうなオレをリエムは看病していたわけだ?
 …もう、何をどう言えばいいのかわからない。
 それでも、アレだ。心境としては、再び寝込みを襲われた!――って感じになるのか。
 害はなく、むしろ得ではあったのだろうけど。敗北感に打ちひしがれるのは、多分きっとそのせいだ。
「どうした、腹が減りすぎたのか?」
 上手くいえないけれど、あんまりだ。自身の発熱に気付かないくらいなのだから、リエムの看病に気付く筈もないし、それくらいにオレは疲れ果てていたというわけだから仕方がないと思うけれど。それでもやっぱり、なんか納得いかないと、机に額を押し付け打ちひしがれたところに、漸く問題の男が皿を手にして戻ってくる。
 だから、爽やかに笑うなこの野郎。
 調子が狂うじゃないか。
 それとも、それが狙いか?
「ああ、いや、あのさ」
 だとしても、オレの何を狙うと。これがこの男の素なのだと思いつつも。
「看病、してくれたんだってなオレの…聞いたんだ」
「気にするな」
「悪かったよ、アンタも疲れているだろうに…」
「俺は問題ない」
「だったらイイけど…。兎に角、ありがとう」
 姿勢を正し、前の席に腰を下ろしたリエムに頭を下げると、「そんな事はいいから、食え」と笑顔で食事を促された。
 とても温かで、優しい眼をする男のそれに、オレは叫びだしたい衝撃を固いパンを噛み千切る事で耐える。
 これが天然なのだとしても。
 やっぱり、オレに対する気遣いじゃないだろ、オイ。
 こいうい、小っ恥ずかしくなるようなことは、アレだ。うん。女にするべきことだと、オレは思うぞお兄さま。
 知り合ったばかりの弟相手に、親切以上の情を振り撒くな。
 オレが女だったら、勘違いするぞ。
 女じゃなくても、フラフラついって行ってしまうかも…。
 ……異世界に来て心細い青年を、あんまり絆さないでくれ。付き纏われたら、アンタだって困るだろう?
 自分が過剰に反応しているらしい事を漸く悟りつつも、それ以上に厄介なリエムの人の善さに胸中で悪態を吐き、オレはそれが外へと出てしまわないように口へと食べ物を押し込み続けた。

 情けないけれど。
 油断したら口から飛び出るのは、きっと弱音だろうから。


2008/10/23
23 君を呼ぶ世界 25