君を呼ぶ世界 25
旅に出て七日目。
オレは、オレが持つには少し皮肉な、軽くて重いアイテムを手に入れる。
「あと、これも渡しておく」
「ん? 何?」
食事を終えての一服の合間に、リエムは言っていた通りに薬をくれた。
昨日程も臭くはないが、やっぱり一瞬塗るのを躊躇うような黒いそれ。タダじゃないんだろうと、それともリエムの調合かと探ってみるが、「再会の時に一杯奢れ」で全てを隠した。金は受け取らないとの姿勢なのだろうが、今後の参考の為に色々聞きたいオレとしては残念極まりない対応。正直言って、勘違いも甚だしいと言ってやりたい程だ。
だけど、頂戴する身としてはその親切を受けないわけにもいかず、ありがとうの礼で男のそれに乗ることにするしかない。また後で誰かに聞けばいいかと、頭にメモ。
とりあえず、貴重な薬かどうかはわからないけど、その気持ちと同様に丁寧に使わせて貰おう。まだまだ旅路は長いし世話になるのだろうからと、鞄の奥底に小さな木箱を仕舞うオレの前に、リエムが折り畳んだ紙切れを一枚差し出してきた。
わからないままに受け取り、離れていく手を追って顔を上げてみれば。
驚くほどに真面目な顔がそこにある。
「…………」
リエムというより、お城の兵隊さん――いや、軍人、騎士…そんな感じの眼だ。
悪いが、怖い…。
オレ、なんかしたっけ…?
「……えっと、あの、」
ビビっているわけではないが、緊張を覚えるのは確かで。名刺のように両手で持った紙と男の顔をオレは交互に見比べる。
今なら、これがオレの死亡宣告書だと言われても信じる…カモ。
「必ず雇われるとは言えないが、当てがないのなら訊ねてみろ」
「…ハイ?」
「知り合いの食堂だ」
「食堂……」
…って、飯? オレに食事をご馳走してくれるのか?
なんとこの先の食の心配までされているのかと考え、そうじゃなく食い扶持のことかと遅ればせながらにも気付く。
つまり、仕事を斡旋してくれるということで。それが食堂というわけだ…?
よく見れば、四つに折られた外面には、癖のない綺麗な字でひとつの住所が記されている。字は読めてもオレには馴染みのない街名なので、これが王都のどこであるのかわからないのだけど。これがあればその食堂に辿り着くのは可能だ。
中を開けてみれば、簡単なオレの説明とリエムのサイン。紛れもない、推薦状。
「手伝っていた娘が身重で、他の手を探している。産むのは来月だから、お前が王都に着く頃にはもう既に誰かを雇っている可能性もあるんだが。まあ、それならそれで、他の職を紹介してくれるだろう。女将は顔が広いし、面倒見がいい女だ。頼ってみろ」
「オレ、料理は出来ないんだけど?」
「料理人はいる。するのは雑用だな。昔は宿もしていたが、主人が亡くなってからは馴染みの客しか泊めない。だが、常に数組は居るな。それでも、部屋は充分余っているから住み込めるだろうし、丁度いいだろう? 気が向いたら、行ってみろよ」
そこに居れば、また俺とも直ぐに会えるぞと。王都に戻ったら訊ねていくと言う男にオレは頷き、礼を言いながら手紙を仕舞う。
「ありがとう。お言葉に甘えて、行ってみるよ」
「ああ、いい店だから心配はない」
仕事のあてがないのとあるのでは、気分的に違うだろう。
そう言って漸く、リエムは表情を崩したのだけど。眼の奥には、葛藤が消えきらずに残っているようにオレには見えた。
多分、リエムはこのメモを今よりも前に書いていたのだろう。いつからか知らないが、オレを知人に紹介していいのか見極めようとしていたのだ。そして、別れを前にした今、こんなにさり気なくあっさりと渡してくるなんて。自分の心配よりも、オレへの気遣いを優先するなんて。
なんて懐の広い奴なのか。いや、広すぎだ。
もしも、オレが悪い奴だったらどうするのだろう。自分だけならば兎も角、知人を巻き込む危険に気付かない男でもないだろうに。馬鹿な奴だ。だけど。
だけど、なかなかどうして、やりやがる。
完敗だ、完敗。
こうなったら、オレも腹を括ってやる!というものだ。この男が俺を見込んで紹介するのならば、食堂だろうと何処だろうと行ってやろうじゃやないか! やってやろうじゃないか!
「なあ、リエム」
「何だ?」
「アンタ、オレを泣かせたいのかよ? 泣きそうだ」
「大袈裟な奴だな」
やめろよと言うように、リエムは苦笑するけれど。沸き起こったこの感動はそう簡単には治まらない。
恥ずかしいなんていう思いも湧かずに、言葉が溢れ出てくる。
「神様が本当に居るのかどうか、オレにはわからないけどさ。オレはアンタに逢えた事を感謝する」
「まだ雇われると決まったわけじゃないんだ、落ち着け」
「仕事の話だけじゃない。色々、いっぱい、全部だよ。だから、覗き魔云々は返上してやってもいい」
「なんだ、それは。あれはお前が勝手に見せたんだろう?」
オレを変態にしようとするかのような言葉を笑いひとつで吹き飛ばし、オレは笑みを浮かべたままリエムに頼み事をする。
「あのさ、お願いがあるんだけど。一枚でいいから、紙をくれないか? あと、書く物も貸して」
いい奴だと、オレが受け入れ態勢の時はそう思えるけど。不意にズカリと入り込んでくるリエムのそれを、オレは本能で怖いと感じていた。必要以上の親切に逃げ腰だった。だけど、今からは。怖くとも、逃げない努力をする。
この男の誠意に応えねば、男が廃る。
だから、必ずまた会う。絶対に。
絶対に、会うのだ。この男に。
紙とペンを受け取り、オレは荒いメモ用紙のようなそれを五センチ四方に千切る。
「アンタのもので、お礼というのも変だけど」
それでも、感謝を示さないよりはマシだろうと。他に何もないしなと。子供騙しのようだけど、極力丁寧に文字を書き込み鶴を折る。
また必ず会おうと記した心を持つそれを、「再会出来るお守り。持っていて」と指先に挟んで男の前に出す。
小学生の頃、病気で入院したクラスメイトに同じ事をした。学年全員で、色とりどりの折り紙に励ましの言葉を書き千羽鶴を贈ったのだ。懐かしい。
あの時と違って、色もなければ粗雑な紙で不恰好と言ったものだけど。想いは同じように詰まっている。いや、それ以上。
「これくらい、邪魔にならないだろ。ほら」
「ああ、勿論」
二本の指先で折り鶴を摘むように抜き取ったリエムは、羽を広げたりし閉じたり弄り観察したあと、「器用だな」と感心した。
「もう一度、作ってみてくれ」
「じゃ、次は旅の安全を願って、かな」
少し考え、無事に家族のもとへとオレは記し、今度はゆっくり指を動かし鶴を作るのだが。
「お前、読み書きが出来るのか…?」
目を細めじっと見つめる男が微笑ましい、面白い。オレの手先を一心に見る様子はまるで子供だと、口元で笑っていたオレは、驚いたような声に思わず手を止め顔を上げる。けれど、リエムはオレの手元を見たままだ。続きを促すように顎で示しさえする。
「まあ一応、って言いたいけど。威張れるほども得意じゃないな」
「どういう意味だ?」
仕事斡旋メモを渡しておいて今頃なんだと呆れかけたが、田舎者だと考慮して訊ねなかったのかとも思い当たり口にするのはやめる。さっきのは、要らぬ気を使ったのが発覚しての驚きなのだろう。
ま、確かに。自国の王のことすら知らないオレが読み書きできるのは、意外も意外、ある意味詐欺だというものか。
しかし、そう驚くのも、ある意味失礼じゃないのかオイ?
田舎者だからって、学がないと限らないんだぜ?
そう、オレを拾ってくれた爺さんのようにさ。
「オレの面倒を見てくれた爺さんが本を何冊か持っていたから、読めるようにはなったんだ。だけど、実を言えば書くのはダメ。すごく苦手。そもそも、田舎暮らしじゃ、書く機会なんてないし」
「いま書いたのは何だ? 異国の字か?」
「オレも教わったものだから、よく知らない。おまじないの呪文みたいなものだろ、多分」
「適当だな」
「こういうのは、心が大事なんだ」
さあ、出来上がりだと。先の鶴に並べるよう男の広い手の上にちょこんと乗せると、リエムは暫し眺めてから、一匹をオレに返してきた。
「俺は旅には慣れている。これは、お前が持っておけ」
「え? いや、でも…」
「お前が途中で挫折したら、会えないだろう? 安全祈願が必要なのは、どう考えてもお前だ」
「オイオイ、不吉な事を言うなよ。オレは絶対王都へ行くよ」
「だからこそ持っていろ」
そう言って笑みを浮かべる男につき返せるはずもなくて。
奇しくも戻ってきた鶴を、オレは手の中に握りこむ。
手に入れたのは、傷を癒す薬と、更にこの世界へと入り込む一歩と成り得る紙切れ。
そして、皮肉にも。
家族のもとへの帰郷を祈った、きなり色の折り鶴ひとつ。
2008/10/31