君を呼ぶ世界 28


 ただ、兎に角、素晴らしい。

 多くの立ち見客が出るほどに、一座の興行はいつも大人気らしい。そう広くもない酒場が、終演してもなお人で溢れかえっている。
 賑やかを通り越して、煩いくらいだ。だが、その喧騒を物ともせずに、オレの腕の中では少年が寝息をかいている。出番が終わった頃は高揚していたようだが、落ち着くにつれ船を漕ぎ出した小さな身体を抱き上げたのは数分前のことだ。
 胸にべったりと張り付くような格好の子供の頭に、お疲れ様とオレは小さな声を落とす。ゆっくり休んで、明日も綺麗な歌声を聞かせてくれよなと。狭い背中を掌でゆっくりと撫でる。
 リコの歌は、音楽センスは余りないオレでもわかるくらいに、とても素晴らしいものだった。
 いや、リコだけじゃない。ラルもキィマも、座長のダスも、ケマーサとテリーも、誰もが凄かった。その歌も、演奏も、舞も。けれど、やはり一番オレの度肝を抜き心を揺さ振ってくれたのは、一番小さなこの子供だ。
 言葉数は少ないが、初めからオレにはとてもよく懐いてくれたリコ。けれども彼のそれが異例で、本当は人一倍引っ込み思案であるのだと気付いたのは、今朝この街に着いてからだ。馴染みの街らしく、公演前から幾人もの人が一座を訪れ声を掛けてきたけれど、リコはオレにしがみ付いてばかりだった。
 そして、そんな彼が。舞台では堂々と顔を上げ、大勢の注目の中で見事に歌いきるのだから、感服するしかない。そのプロ根性にオレは脱帽だ。リコの変声期前の声はとても清んでいて伸びやかで、ダスが奏でる琵琶のような楽器の音色に合っていて、本当に感動的なものだった。
「あら、まあリコったら、眠ったの?」
「ああ、今さっきね。二人ともお疲れ様」
「ね、メイ。どうだった?」
「素晴らしかったよ」
 舞台を終えて客達の相手をしていたラルとキィマが、漸く店の隅に居るオレのところまでやって来た。昼間に練習風景を見たけれど、本番とはやはり違う。本当に良かったと、着飾った二人に少しドギマギしつつも感動を伝えると、大袈裟だと笑われた。
 けれど、絶対にそんな事はない。
 座長や他の二人も、未だに賛辞を述べられているようで客に捕まっている。この街での年に数度の興行を考えれば、一座の人気が充分に窺えるものだ。終演後のこの賑わいは、酒を出す店だからこそ以上のもの。皆がオレと同じように、身体を振るわせたに違いない。
 本当に凄いよと今一度伝えれば、照れたように頬を染めながら、二人はありがとうと声を揃えて言った。
 ありがとう。
 今、その言葉を言い感謝したいのは、オレの方だ。
 ひょんな事から、旅一座のお供をする事になったオレだけど。この世界の知識も常識もなく、当然、芸のひとつもないので役に立てる事など皆無。
 別に、率先力としてオレを誘ったわけではないだろうが。これは早々にお払い箱になるんじゃないかと、そんな覚悟をしたのは、出会ったその日の夕方のことだ。三姉弟と共にまったり荷馬車に揺られてのんびりとしていた間は良かったけれど、野宿が決まり準備を始めれば、オレは無能振りを発揮するしかなくて。
 火を熾すのも、薪を集めるのも、何もかも。どの段取りひとつ一人で出来ないのだから、呆れられるのは当然だろう。
 思い詰めたような何とも言えない五人の視線。それぞれの眉間に寄った皺の深さが、困惑度具合を示していた。唯一少年だけが、オレの間抜けぶりがわからず、相も変わらずオレに張り付いていたのだけれど。その彼も、奇妙さを感じたのか、じっとオレを見上げてきていて。
 オレは本当に何の役にも立てそうにないと、昼間と違う意味で頭を下げたその時は。本気で、明日からは一人旅に逆戻りだと思った。爺さんにはこの世界の事も生活の事も色々教えてもらったけれど。たった七日のそれでは、ボロが出るのは当たり前。
 いい年をした旅の男がこれでは、手間を掛けるどころではなく、不安を煽るのだろう。
 そう思うからこそ、受け入れようとしてくれた面々に、出来る限りの言葉で謝罪と感謝をオレは伝えた。真実は話せない。並べるのは、当り障りのない事実と、必要なウソ。けれどこれがオレに出来る誠意だからと、困惑する彼らの目を真っ直ぐと見て。
 それでも。何だかとても、情けなくて、悔しくて。
 笑うしかないオレの顔に何を見たのか。
 一座の面々は、解せない旅人であるオレを、それでも許してくれた。当初の予定通り、一緒に居ればいいのだと。物を知らないのならば知ればいい。ここに居る間は何でも聞けと、座長はオレの背を叩き肩を抱いて言った。
『例え、訳ありだとしても。今ここに居るお前はお前で、俺達はそのお前を受け入れたんだ。遠慮なんてするな』
 一座の長の言葉に、同意する面々の声を聞きながら。どうしてこの国の人はこんなにも優しいのだろうかと、オレは傍らの少年を抱き締めながら、不覚にも泣きそうになった。
 今まで会った皆が全て、とても、とても優しい。
 ありがとうございます、よろしくお願いしますと改めて頼みながら、オレは嬉しい気持ちを溢れさせ――それと同時に、遣る瀬無さを覚えた。
 こんなにも人々は優しく、強く、輝いているのに。
 国はそれでも、どこかが病んでいるのだ。
 神子を呼ぼうとする程に。
 今まで接してきた人々も、俺が見てきたのは一面であり、悩みや苦しみを抱えているのかもしれない。いや、生きているのならば、そういうのも絶対に持っているだろう。それでも、彼らに神子なんてものが要るようには思えない。
 信仰心以上の神子と言う存在は、不要としか思えない。
 誰がどうして神子を必要としたのかはわからなくても、極普通の、極普通に暮らしている人々に触れ合うと、それが悲しくて仕方がない。
 聖獣を持つこの国の王は、一体何をどんな風に見ているのだろう。
 こうして皆が集い笑いあっているこの風景も、王にはオレと違うように見えるのだろうか。
 ラルとキィマの心に触れ、昨日貰った優しさを思い出し、同じように遣る瀬無さをも思い出す。少し過去に意識を飛ばしすぎたか、気付けばいつの間にかオレの側に恰幅のよい男が立っていて、ラルとキィマを褒めていた。
 無意識に、喉が鳴る。ほら、やっぱり、彼女達の舞台は素晴らしい。
「いやあ、本当に良かった。俺の村にも来て欲しいものだ」
「どちらの生まれですの?」
 ラルの問いに男が答えた。だが、オレにはその村がどこにあるのかわからない。地名などが出れば半分程しかわからない会話を聞くともなしに聞きながら、手持ち無沙汰のようにオレは腕の中の子供の頭を撫でる。
 リコの髪は幼子のように柔らかく、手触りは極上だ。
「オッサン、止めときな。異界人なんて連れ込んだら、村人に恨まれるぜ」
 不意に割り込んできたそんな声に、楽しげに話していた三人の声がぴたりと止まった。
 顔を上げると、まだ二十歳になっていないだろう若い男が目の前にいた。
 こいつ、いま何て言った…?
「異界人…?」
 オレが口にするより早く、ラル達と話していた男がその言葉を拾い上げた。
「そう、異界人だ」
 だから止めな。親切で言ってやっているんだオレは、聞いとけよオッサン、と。若い男は傲慢さを臭わせる態度でそう言いながら、オレを見下ろしてきた。
 真っ直ぐと。
「……そうか、彼は…」
 不躾な青年の態度に怒る事もせず、男は噛み砕くかのように呟く。ラルが「違います。ただの、この人の言い掛かりです」と低い声を出す。
「言い掛かりとは、酷いな。本当の事だろう」
「リコは、この世界で生まれた、この世界の子供よ」
「異界の血を引いているのは事実だ」
「アンタ、毎回毎回突っかかってきて、何のつもりよ! いい加減にして!」
 大きな声ではなかったが、言葉を詰まらせたラルの変わりをするように口を開いたキィマのそれは、小声ながらも百パーセントの怒りだった。
 いきなり、酒場のこの一角だけが剣呑な空気に変わり、何が何だかわからないオレは唖然とするしかなくて。
 どうしてオレが異世界から来たのだと、この見知らぬ青年に知られているのだろうと驚いているうちに、話題にされたのはオレではなくリコだと知らされて。
 リコが異界の血を引くとはどういう事なのかと思っている間に、「さっさと出て行け。異界人がこの街に入るんじゃねぇーよ」と青年は吐き捨てて去っていった。
 いつの間にか太った男も消えていて、残るはオレ達のみで。
「……あの、」
「ごめんなさい、メイ。…何も、聞かないで」
「…………」
 重い重い沈黙に、考えないまま口を開いたオレに。
 ラルはそう言い、キィマは無言で、二人はそれを望んだ。
 ただ、オレの腕の中で。寝息を立てるリコが小さく身動ぎをした。

 気付けば、喧騒はとても遠くにあるように。
 頭の芯が、痛みに痺れた。


2008/11/19
27 君を呼ぶ世界 29