君を呼ぶ世界 30


 怒りは直ぐに消えて。
 襲ってきたのは、純粋な恐怖。

 もう真夜中に近く、辺りは静かだけれど。それでも、まだ飲んで騒いでいる男達がいるのだろう。離れた場所から、微かだが喧騒の気配が届いてくる。
 そして。それをフィルター越しに接するように感じながら、オレはひとりでぼんやりと夜空を眺めていたりする。いい加減床につくかとさっきからずっと思っているのだけど、まだ実行に移せていない。
 明日の朝にはこの村を発つので、公演後にも出来る限りの片付けをしたのだが。それを手伝うオレの側に、リコは眠い目を擦りつつもずっとくっついていた。漸く作業を終え腰を降ろせば、抱きついたまま離れない。
 もしかしたら何かを感じ取っているのか、それとも座長辺りに何かを聞かされたのか。そう思えばオレも引き剥がす事も出来ず、夜空の下でずるずるとその小さな体を支えていた。けれど、流石にこのまま一晩過ごすわけにはいかない。それに気付き、リコ以上にオレの方が離れ難かったのだけど、いつの間にか寝た少年を抱え上げたところでタイミング良くテリーが迎えに来た。
 アンタも早く休みなさいよとの気遣う彼女の言葉に頷き、宿に入る二人を見送ったオレだけど。結局そのまま、まだ居続けている。身体に馴染んでいた子供の温もりが、すっかり消えた。寒くはないが、寒い。だけど。
 もう少し、このままひとりで居たかった。
 あんなに、淋しいと。畏れながらもそれでも他人を求めたのに。今なお、独りは嫌なのに。
 それとは違う感情で、オレは今、孤独に身を浸けたかった。
 体格もそうだけど、この国の成人年齢は十六歳であるのを考えれば、性格以上にリコは幼いように思う。十一歳の男子ならば、この世界ではもう少ししっかりしているのだろう。彼がオレにしがみ付く姿は、彼の境遇を少し聞きかじったからこそ、理由あるものに思えてならない。
 座長は多くを語ったわけではないが、憶測するに、リコの祖母は権力者の性奴隷のようなものであったようだ。勿論、異界人という理由で、だ。突然、言葉も通じない見知らぬ世界に飛ばされ、理不尽な力に翻弄され、絶望を味わったのだろう。彼女の境遇を思うと、頭の芯が痛くなる。
 だけど、それは同情ではない。
 浮かぶのは、恐怖だ。
 差別意識は昔に比べれば少ないと座長は言ったが、問答無用で首をはねていたらしい昔と比較されても現状を楽観視など出来るはずもない。何より、リコの祖母なら、どう考えてもそれは数十年前のこと。リコ自身も差別を受けていたらしいし、今なおそれはなくなってはいないのだ。異世界からの来訪者は、どこまでいこうと、この世界がどう変わろうと、異端であることは永久であるのだろう。
 オレは、運良く、差別意識を持たない爺さんに助けられた。その後も、異界人と言っていないからかもしれないが、心有る人に助けられてきた。けれど、いつそれが反転するかわからない。次に出会う人は、オレをそれと知って暴力を振るってくるかもしれない。
 命の危険が紙一重のところに存在するそれは、恐怖以外の何ものでもない。
 見上げれば、夜の空には無数の星。一等星よりも数倍は明るい星は、よく見ればそれぞれ色が違う。まさに、宝石箱と言った感じの夜空だ。けれど、今夜のオレは、この輝きさえ恐ろしい。お前が異世界の人間だと私達は知っているぞ、と。馬鹿みたいだけれど、そんな無言の圧力を感じる。
 まるで、看視者のよう。いや、これは神に見られているような感覚だ。そんな存在、本気で信じている訳ではなく、居るのならば怒鳴ってやりたい相手なのだけど。今は、真実恐ろしい。
 神にとって、異界人とは自分の庭に入ったゴミ程度のものなのだろう。だから、この世界の者は、異界人を排除するのだ。
 馬鹿だと思う。何を、馬鹿みたいなことを考えているのかと自身に呆れる。けれど、止められない。
 だけど、止めなくては。
 いい加減にせねば、オレはここで潰れてしまう。
 怯えても、絶望しても終わりだ。知らねば命取りになりかねない貴重な情報を得られたと、これは自分を守る術だと思えと、己を叱咤激励する。なあ、柏尾芽生。お前は、王都を目指すんだろう? ここで足踏みをしてどうするんだ。
 絶対に、地球へ、日本へ、生まれ育ったあの場所へ帰る。それが、全てだろう。
 思わぬ現実に衝撃をくらったけれど、それが変わらないのであれば、オレがするべき事もやりたい事も変わらない。ただ、穏便にこの世界で暮らしたいわけじゃないのだから。だから、足を止めても意味はない。
 落ちるな落ちるな、浮上だ、浮上しろオレ。
 洗脳するように繰り替えし、大きく息をひとつ吐ききったところでオレは腰を上げた。寝ようと。寝れば明日になる。夜は明けるのだと。
 だけど。
「――メイ…」
 いつの間にこんなにも近くにきていたのか。呼びかける声に振り向くと、ラルが真後ろに近い距離に立っていた。もう寝る準備をしていたのだろう。夜着の上にストールのようなものを引っ掛けた姿。こんな時間に一応若い男であるオレのまえに、若い女性のそれは些かどうかと思うところもあるけれど。
 理由の予測がつくだけに、何も言えない。
「リコのこと、お父さんに…?」
 案の定、ラルはそれを口にした。
「あ…ああ、うん、聞いた」
 血は繋がっていなくとも間違いなく姉であるこの少女は、あの幼い弟を守りたかったのだろう。だからこそ教えたくなかったその心を思い、オレは続けて「ゴメン」と謝罪を口に乗せたのだけど。ラルは首を横に振り、それを返してきた。自分の方こそごめんなさいと。
 この少女が謝る理由は一切ない。オレを避けたのも、リコの事を内緒にしたのも当然だ。けれど、ラルはラルなりに罪悪なり何なりを抱えているのだろう。
 だからオレは、いいんだと。気にしていないからと、それを押し返すのではなくそっと受け取り、隣を勧めてもう一度長椅子に腰掛けた。ラルは躊躇う素振りもなくオレに並び、視線を地面に落としたまま聞いてくる。
「嫌いに、なった…?」
 誰を? 異界人の血を引くリコをか? それともそれを受け入れる一座の面々をか?
「まさか。座長と話す前と後で変わったのは、オレに異界人についての知識が増えただけで、誰かに対しての好意は何も変わっていないよ。リコは相変わらず可愛いし、ラルやキィマ、他の三人にも感謝している」
「ホント?」
「なあ、ラル。座長に聞いたんだろう? オレはホント、何も知らなかったんだ。異界人が差別されるのさえ、今夜初めて知ったんだぜ? 自分の無知を恥じる以外、何もないよ。世間一般的にどうであれ、オレも同じようにそれに同調しようとは思わない。この歳までのほほんと常識も知らずに生きてきたんだから、今更その枠にはまるつもりもないよ」
 だから、オレは異界人を異界人という理由だけで敵視などしない。
 俯いたままのラルの顔を少し上から眺め、宣言のようでいて懇願のような言葉をオレは言う。誰もが、こうであって欲しい。実際の問題として、異なる世界の血を拒むのだとしても。個人の心でまで拒絶しないで欲しい。
 オレの言葉にゆっくりと顔を上げたラルの頭で、今夜の衣装の名残である髪飾りが揺れる。他の面々の衣装を見て気付いたが、この国では三連の玉が人気なのか、装飾品にはそのデザインのものが多い。今ラルの頭にあるのも、同じ綺麗な三つの玉を紐で通したものだ。
 だったら、この胸のペンダントも。流行の内に入るだろうか。
 なあ、サツキと心で呼び掛けながらも、それは無理かと直ぐに思い直す。残念ながら片割れから貰った石は、同じ三つのそれではあるが、装飾品には程遠い。小さな、光沢もない黒いだけだ。
 だけど、どんな綺麗な宝石よりも。オレにとってはこちらの方が大事で。
 ラルの髪の上で揺れる輝きを見ながら、服の下のそれを想う。石は番うが、数は同じ。「三」が縁起物である数字ならば、少しはこのペンダントを持つオレにも運は巡るかもしれない。
 そう。そんな可能性もなくはないよな、サツキ?
 場違いにも、オレはそんな事を考えたせいで柔らかい表情でもしていたのだろう。振り向いたラルが少し驚いたような顔をして、そうして小さく眉を寄せた。
「メイにはその言葉、似合わないわ」
「え? どれ?」
「異界人。それは、彼らを差別するものよ」
 だから、使わないで。
 怒ったわけではなく、少し芝居がかった仕草でそう言ったラルは。けれども切実にそれを訴えてもいた。
 異世界から来たものは、「来訪者」と呼ばれるのが一般的なようだ。よく聞けば、「異界人」というのはどうも差別用語になるらしい。
 だが、情報の伝達手段が限られているこの世界では、それがどれほど浸透しているのか怪しいものだ。実際、爺さんは博識であったけれど、その言葉を使っていた。そこに嫌悪がなかったことを考えれば、ただ知らなかっただけだとわかる。昔は「異界人」が当然で、それ以外になかったのだから、田舎暮らしの爺さんに今の情報がなくても不思議ではない。
 そう、知らなければ、そこに悪意はないのだ。
 問題なのは、それを知っていて使うものである。
 大学に入って聞き知った、似たような話が頭に浮かぶ。外国人と外人、中国語とチャン語。聞いた時はピンとこず、それまで普通に使っていたこともあって、おかしな話だと思ったけれど。意図してそれを使い、わざと人を傷付ける者があるのならば、知った限りはオレも気を付けなければ。「異界人」はNG。頭に叩き込んでおこう。
 お願いと、自分が聞くのが嫌なのではなく、きっとオレの今後を心配してのそれなのだろう。頼んでくるラルに、わかったとオレは深く頷く。
「ありがとう、教えてくれて」
 礼を言うと、ラルは首を振りながら立ち上がった。
 一言二言他愛ない言葉を交わし、オヤスミと身を翻す少女を見送り、オレはもう一度空を仰ぐ。
 先程と何ら変わらない星達を、睨むように見上げる。

 負けるものかと思う。
 この世界がたとえオレを排除したいのだとしても。
 オレを受け入れてくれる人がこうして居る限り、負けられないし、負けるつもりもない。


2008/11/28
29 君を呼ぶ世界 31