君を呼ぶ世界 31


 この世界VSオレ。
 どうすれば勝てるのだろう。

 旅一座と共にする三回目の朝は、慌しかった。
 起床と同時に出発の準備をし、リコなどまだ半分は夢の中じゃないかと思う状態のまま、オレ達は一日半滞在した街を後にした。丸一日掛けて、次の公演場所へと向かうらしい。
 因みに、次の舞台は明日の昼だ。だったら、ここまで急がなくともいいんじゃないかとオレなんかは思うわけだが、旅とはそういうものでもないらしい。地形や、地域を気にしなければ命取りになりかねないとの事だ。今日に限って言えば、進む山道は明るいうちでなければ難しいらしく、また、それを越えて以降、目的の街までは適当な宿屋も野宿場所もないらしい。
 はっきりと言った訳ではないが、察するに。きっと賊が出たりするのだろう。だがこの警戒は、特別なものではなく、当然と言うか常識といった感じで。本来ならば旅は歩くだけで出来るものではないのだと、今更だが実感する。
 今までよくオレは無事だったなァ、と。馬車の荷台で三姉弟と一緒に揺れながら、しみじみそれを噛み締める。本当にツイている。もしも夜盗なり何なりに遭遇していたら、戦う事は勿論逃げる術もないオレは今ここに居ないだろう。
 正確に言えば、荷馬車の揺れに飲まれているのはオレだけで。振動をモノともせず、余裕で芸の稽古をしている三人を眺めながら、違うよなと思う。オレの今までなんて、この子達にとっては呆れるくらい、甘い甘い人生なんだろう。
 環境が違えばそうであるのは当然で、これは何も異世界だから特別と言うのではなく、地球上でも雲泥の差があるものだけれど。だけど、ああして暮らしている限り、周囲は似通ったレベルの者が多いわけで、テレビのドキュメンタリーでくらいしか目にすることはないソレ。
 常識にしても、差別にしても、何にしても。違いすぎて、想像が追いつかない。
 今はまだ大事には至っていないけれど。これがいつか命取りになるのかもしれない。
「そう言えばメイ。もう足はいいのか?」
 馬の手綱を取る座長と並んで座っていたケマーサが、不意に思い出し声を掛けてきた。そういえば、出会った日に薬を塗るのを目撃されて話たっけか。だが、他の人達には言っていないのに。
 唐突だなと内心で苦笑したところに、案の定、三姉弟が食いついてきた。どうしたの?と問う顔はどこか不安げで、慌てて何でもないのだと説明する。ただの靴擦れだ。軟弱で恥ずかしい限りです、ハイ。
「こうして世話になっているからさ、もうすっかりいいんだよ」
 一座の道中に加えさせてもらえたので傷めた足を使う事はなく、リエムがくれた薬のお陰もあり痛みも腫れもとっくに引いている。むしろ、それよりも気になるのは膝下の痣だ。気付いた時よりも、若干だが青みがました気がする。ぶつけた記憶もないようなものなのに、このまま残るつもりか。図々しい。
 痛みは一切なく、肌を気にする女性でもないので別にいいのだけど。疲労の一種のようなものだと思ったが、これは一体何なんだかなと。無意識にオレはズボンの上から膝を撫でていたらしく、泣き顔のリコが「痛いの…?」と覗き込んできた。
 純真無垢なその目に、ゴメンナサイと咄嗟に反省する。誤解を招く仕草で、幼子の不安を煽ってしまった自分が情けない。
「全然痛くない、痒かっただけだよ。ほら、来い」
 本人が動く前に両脇に手を入れ、無理やりその身体を膝に乗せる。リコは少し戸惑ったような顔をしたが、放さずにいると足は大丈夫だと納得したのか体の力を抜いた。
 実際には、少年はとても軽くて。もし本当にオレの足に不具合があったとしても、この幼子では問題にならないのだろうだけど。
「リコ、いいわねぇ」
「メイ。リコばかりズルイわよ」
 子供にじゃれ付くオレの様子に安心したのか。ラルが微笑み、キィマはからかいの声を上げる。
 オレはそれに笑いで応えたのだけど。おもむろにリコが立ち上がり、なんとキィマに席を譲ろうとしたのだから、さあ大変。
 流石のキィマも顔を赤らめ、「もう、リコったら…」とボソボソ呟きながら背中を向けてしまう。オレと言えば、膝くらい誰にでも貸すけど、むしろ可愛い女の子なら歓迎だと、照れる彼女を見ながら思ってしまった自分にまたもや反省。少女とはいえ、年頃の女性にそれは不味いだろう。
 何だかこの、性的なものは一切なく年下の異性を微笑ましく見ている感覚は、オッサンみたいじゃないか? 確かに、九歳も離れているけれど、これはちょっと、若者らしくないぞオレ。枯れてないか?
 こっちも一緒に照れるとか、接触をそう言う意味で喜ぶとか。そういうのはないのか、オレ。
 美少年を猫可愛がりしている場合じゃないだろう、と思いつつ。結局、戻ってきたリコを抱き上げ、和んでしまう。弱いというか、残念な奴だ、オレ。これでは、リエムに自慢出来ないだろう。
 だけど。別に、この出会いでどうこうとするつもりは、自分の中を隅から隅まで探そうと全くないのだ。更に言えば、この世界で恋人探しをする気もない。けれど、ただ、単純に。男として、可愛い女の子をもっと意識してもいいものだよなと思う。少なくとも、少年を抱いているよりも、その方が余程健全であり癒されるはずなのだ。
 頬を染めたままのキィマを見る。
 可愛いと思う。
 だが、それだけだ。
「…………」
 元々、女に目がないようなタイプではなく、恋愛に対しては淡白な方ではあるのだけれど。別世界に放り込まれた精神的な障害が、ありふれたこの遣り取りで見せ付けられたような気がする。
 オレは、他者を求める心とは逆に、人との繋がりを表面的なものだけに止めるようにしているのだろうか。
 この一座の面々に対しても。
「…ね、三人で一緒に歌う歌はないの?」
 不意に思いつき聞きたいなと言うと、「じゃ、その後でメイも歌ってくれる?」とラルが交換条件を提示する。
「オレ? 下手だよ。それに、あまり歌を知らないんだ」
「何でもいいのよ、ね?」
 何故か粘るラルと同じ気持ちなのか、キィマとリコもじっとオレを見る。
 よくわからないが。まあ、仕方がない。
「わかった。でも、それなら先にオレが歌うよ。三人の後だと下手さが目立つ。そこまでの勇気はないからいいだろ?」
 胸元の小さな頭を撫でながら言い、オレは決心が鈍らないうちに大きく息を吸い込み音を紡いでみせる。
 歌うは、『てのひらを太陽に』。こういう時は、こういうのが無難だ。この世界にはない歌だけど、オレにとっては子供の頃から馴染み親しんだもので、羞恥は皆無。言葉を紡ぐのと同じ気楽さで歌える。
 両手の指の背を床に打ってリズムを作る。作りながら、この世界にはマラカスはあるのかなと考える。舞台で小さな太鼓を使っているのは見たけれど、どうなのだろう。後で聞いてみようか。
 テリーが始めた手拍子にラルとキィマが続くと、リコもオレの膝の上で小さな手を叩き合わせる。体を揺らせば、同じように振る。その愛らしさに、少し保父さん気分になってしまったオレは、調子に乗って三番から一番へとリーピートして歌う。
 みんな、生きているんだ。
 そう、誰もが、持っているのはひとつの命。それはそれだけのことであり、どこの血かだなんて関係ない。異界の血が何だというのだろう。
 リコはこんなにも可愛くて。それを見守る皆は、優しく、そして強い。オレにまで、変わらない笑顔を向けてくれる。色々問題はあろうとも、今この瞬間は、オレも、リコも、そして一座の皆も、何ひとつ違いはないのだ。
 だから。
 オレは来訪者なのだと、そう告白してもこの人達は拒絶しないだろうけど。けれど、それが何になる?
 実際には、それを聞いたところで困るだけだろうし。オレとしても、彼らを試すかのようなそれをしたくはないから、得るのは一時の安堵だけで。その為の告白など、エゴだ。直ぐに罪悪が浮かぶはず。
 そう、だから。これは騙している訳じゃない。必要な秘密だ。口にしないのが、示せる誠意のはずだ。
 後ろめたさなど、感じる事こそ間違いだ。
 オレは、オレである。この世界の異分子だとしても、オレであるのに変わりはない。
 だから、もっと。オレはこの世界を、違いも含めた全てを、取り込めばいい。もっともっと、知識だけじゃなく、ちゃんと受け止めよう。
 そうしたとしても、それでもやっぱり、オレはオレなんだろうけど。だが、そうであるのだろうからこそ、躊躇ってなどいずに飲み込めばいいんじゃないか?
 オレは、確かに異界人であるのかもしれないけれど。
 息をしている場所は、足を踏みしめている大地は、気持ちを交わしている相手は、この世界のものなのだ。
 この世界が何色であれ、オレはその色をそのまま見るべきなのだ。おかしいと思うことも、まずはあるがまま受けとめよう。
 目の前には、満面の笑顔。腕の中には、確かな温もり。
 そう、これでいいじゃないか。
 大きな声を出したからか、昨夜から頭の胸に広がっていた靄がサッと晴れた気がした。負けるつもりはやはりないが、勝つ必要もないのかもしれないと思えてくる。
 歌い終え、お粗末さまでしたと頭を下げれば、手綱を取っている座長までもが拍手をくれた。

 一時か、永遠かはわからないけれど。
 オレの人生は、今、この世界にある。


2008/12/05
30 君を呼ぶ世界 32