君を呼ぶ世界 34
リエム。
アンタって、ホント男前。
空いた席に腰を降ろした女将が、名前を呼ばれ驚いたままのオレにも着席を求めたけれど。彼女の寝巻姿と、背後からの何とも言えぬ威圧感に、このまま和むのはどうかというもので。やはり出直すべきかと迷っているところに、「リエムが言ってきた通りだねぇ」と、笑いを含んだ声でそう言われた。
「リエムって……もう王都に帰ってきているんですか?」
「いや、まだだろうねぇ。知り合いにこの店を紹介したから、良かったら面倒を見てやってくれないかという手紙が三日前に届いたんだよ。アンタが、そのメイだろう?」
「はい、そうです。っと、ちょっと待ってください――あ、あった!」
これが証拠ですと、リエムから預かった手紙を渡すと、女将はちらりと眺め直ぐに折り畳んだ。字体を確認した程度の短さに、本当にオレの事を教えられているんだなと漸く実感する。
営業の終わった店に紛れ込んだオレが不審者にならなかったのは、驚くべき事にリエムのお陰であったのか。オレはどこまでも、彼に助けられているらしい。
っていうか、つくづくマメな男だ。
仕事で飛び回っているのだろうに、先手を打つよう手紙まで書いてオレを紹介してくれていたなんて。流石兵士さん、義理に厚いぜ。全く。
こうなればオレも、リエムのその誠意に答えねば男簾たるというものだ。
「あの、オレ旅は不慣れで、リエムには本当に良くして貰いました」
「あいつは昔から世話焼きだからねぇ」
「それでも、オレが助かったのは事実です。その彼の好意に甘えて、こうしてお伺いさせて頂きましたけど…、正直オレはあまり役に立たないと思います。それでも、王都に来るまでに沢山の人と出会って、自分の無知さというか世間知らずに気付いた手前、自分を売り込み飛び込みで職を得るだなんて芸当、オレには出来そうにありません。ですから、あの、本当に図々しいのですが」
椅子に腰掛け見上げてくる女将を前に、オレは背筋を伸ばし堂々と情けない事を言う。
「部屋の隅でもいいので寝転がれる場所と、残り物でいいので食事を頂けるのならば給料は要りません。試しに、一日でも二日でもいいので、オレを雇ってくれませんか? どうかお願いします!」
きっちりと九十度のお辞儀をし、オレはそのまま頭を下げ続ける。
ただ、たまたま旅の途中で出会っただけのオレに、リエムは出来る限りの事をしてくれたのだ。駄目だった、では情けなすぎる。知人の紹介で仕方がなくでも、泣き落としに負けたでも、理由はなんでもいい。兎に角、今ここで切られては、あの男に合わせる顔がない。
「少し物を知らないところもあるがイイ奴だと、リエムはそう書いていたんだよ。だけど、どうだい」
実物はなんとも賢そうじゃないか、と。
本当に、イイ子を見つけたもんだねぇと。
思いも寄らないほどの柔らかい声にオレが顔を上げると、「悪いようにはしやしないよ。とりあえず、座りな」と再び席を勧められた。失礼しますと断り、テーブルを挟み女将と向かい合う。
「リエムに聞いただろうが、思ったよりも早く手伝ってくれていた娘が辞めてね。この店は食堂が主だが、二〜三組の宿客もとっているから、祝賀祭辺りから手が足りない状態なんだよ。私と、そこの料理人と二人で回している中じゃ、新しく人を探す暇もなくてねぇ。だから、リエムの手紙は渡りに船だったんだよ」
言っただろう?歓迎すると。
その言葉に、オレの体の中から喜びが湧き上がった。雇ってくれるのだ、ここで。取り合えずだろうけど、就職決定だ!
こちらこそ宜しく頼むよと笑う女将に、オレは立ち上がりもう一度深く頭を下げる。
次に腰を降ろした時には情けなくも安堵からか身体から力が抜けており、思わずテーブルに腕を置き体重を預けてしまう。
「長旅で疲れているんだろう? 今日はゆっくりお休み」
「はい、ありがとうございます」
「部屋を用意していからね」
案内しようと女将が立ち上がったところに、「自分が連れて行きますから、女将さんはもう休んで下さい」と、赤髪がオレの世話を引き受けた。
「そうかい? じゃ、頼んだよ」
無言で頷いた赤髪は、そのまま視線だけでオレを促し食堂を出て行く。
「さっさと行け、愚図」
数拍遅れで踏み出しかけたオレの足より早く、黒髪の叱責するかのような声が飛んできた。不機嫌極まりないそれをどうすればいいのかわからないオレとは対照的に、すぐさま「アンタは煩いんだよ」と女将が男を一蹴する。
「気にしなくていいからね、メイ。ほら、行きな」
「あ、はい。では、じゃあ、お先に失礼します」
お休みなさいと一礼し、慌てて赤髪が消えた隣の部屋に飛び込む。だが、そこは部屋ではなく通路で、壁に凭れて赤髪はオレを待ってくれていた。
「お待たせしました」
反射的にそう謝罪すると、ほんの少し目元と口元を緩められ、おっ?と思う。
黒髪と違い、この男にはオレに対する敵意は無いのかもしれない。
細い廊下を歩きながらそう思うオレに背中を見せたまま、赤髪が口を開く。
「祝賀祭からの疲れが出たらしく、今日の昼間に女将が倒れてな」
「えっ!? 大丈夫なんですか…?」
「問題ない。ゆっくり休めば大丈夫だ。ただ、お前もまだ彼女に聞きたいこともあるだろうが今夜は終わりだ。仕事は慣れていけばいいんだし、慌てる必要も無いだろう?」
「はい」
「そう言う訳だから。兎に角、今夜は旅の疲れを取ることだけを考えろ」
廊下の突き当たりにあるドアを開け、赤髪が中に入る。窓から入る星明りに照らされた部屋には、少しの家具とベッドがあった。
ここが、オレの部屋…?
縦長のそこは決して広いとはいえないが、思ったよりも立派なもので、こんなところを間借りしていいのかとオレは思わず確認してしまう。これって、絶対に客室だろう。
「女将が決めた事だ。それに、どうせ使わない部屋だ。気にするな」
「はぁ…」
気にするなと言われても。押し掛けた身としては気になるんだがなぁ、と。
生返事をするオレを気にもせず、自分は自宅から通いだと、もし何かあったら二階の客の誰かを起こせと、気を使う客ではないから遠慮は要らないと、云いたい事だけを言って「じゃあな」とドアを開け赤髪が出て行きかけるが。
廊下に片足を出したところでそれは止まり、ノブに手を掛けたままふと振り返る。
「そういえば、飯は食ったのか?」
「あー、いいえ。でも、大丈夫です」
「……そんなんだから、そんな身体なんだ。食えるのなら食え」
そんなって、どんなだよ?と。男のプライドとして噛み付きたい心は若干あるが、確かに、こちらにきて痩せた。絞れた以上にやつれた。食わしてくれるのならば、素直に食うべきだろう。
来いと、顎でオレを促し赤髪が部屋を出て行く。今度はオレもその後ろに直ぐについていき、再び食堂へと向かう。
直接調理場へと入ったのだが、カウンター越しに覗った店に女将の姿は既になく、黒髪が一人グラスを傾けていた。待っていたのだろう赤髪の後ろにオレを見つけ、飽きもせずガンを飛ばしてくる。従業員でもないらしいのに、これは一体何なのか。何故にそんなに敵愾心剥き出しなんだオイ?
暫く男のそれを見返していたが、隣の気配に横を向くと、赤髪がハムを切っていた。
さすが、料理人だ。あっという間にオープンサンドが出来上がり、皿に盛られたそれをオレに差し出す。
「持っていって、食って寝ろ。ここを片付けたら、俺達はもう帰るからな」
「ありがとうございます。頂きます」
「明日からよろしく頼む。俺はエルコーだ。エルでいい」
名乗った赤髪は、そこで初めて顔に笑みを浮かべた。
優しさが滲むその笑顔に、オレは単純にも、この店でやっていけるかもと思う。
厨房を出しなに見た黒髪は、オレに背を向け窓の外を見ていた。
本人に聞くのは何だか面倒そうだし。
明日こっそり、彼が誰なのか聞いてみなければ。
2008/12/25