君を呼ぶ世界 35


 王都一日目。
 始まり、はじまり〜。

 明るさに覚醒を促されたけれど。
 夢も見ずに深く眠ったが、時間は短かったようで。白い窓を見ながら、取り留めのない事を考えつつまどろみを漂う。
 明るいけれど、まだ日は昇っていないのか。それとも、北向きの窓なのか。カーテンが無いところをみれば、東向きではないんだろうけど。ああ、こっちの窓は少し暗いぞ。こっちが北か? じゃ、オレ北枕になってンじゃん。
 なんて。
 どうでもよい事をダラダラ考え続け、漸く頭がハッキリし始め気付く。見つめる先のそれは、ガラス窓だ。昨夜は緊張していたからか疲れていたからか、全く気付きもしなかった。
 ベッドを抜け出し、近付き良く見てみる。擦りガラスというよりも、技術が未熟だといったような不透明なものだけど。指の背で叩けば確りとした厚みを感じる音がして、思わず口元を緩めてしまう。
 今まで全く見なかったのに。さすが王都と言うわけだ。
 窓を開ける。目に飛び込んできた空は明るかったが、太陽は出ていなかった。もう少ししたら頭を除かせるのだろう気配が左方向にある。もうひとつのベッド脇の窓を開けると、まだ夜の名残が覗える空が右手に見えた。もう一度、庭に面した窓に戻り確かめる。
 多分、こっちは南東で、あっちが南西。
 どうやら、オレは一番日当たりのよい部屋を頂戴したらしい。
 庭に作られた菜園を見ながら、有り難いなと心の中で感謝する。この親切に報いる為にも、マジで頑張らないと。
 決意も新たに、次にオレが取った行動は、けれどもそろりと部屋を抜け出す事だったりする。
 いや、別に疚しいからではなく、まだ起きるには早い時間であるはずだからだ。極力物音を立てずに廊下を進む。隣の部屋の前にある窓のおかげで、薄暗いながらも昨夜よりは中の様子がわかった。
 宿屋側には部屋が並んで四つあって、廊下の突き当たりのトイレの前に、二階への階段が設けられている。出入り口は見た限り、部屋の間にある廊下の先のドアと、調理場と庭を繋ぐドアと、食堂のドアで。オレは昨日潜ったドアを選らび、食堂から表へと出た。
 昨夜は時間的にも俺自身的にも余裕が無かったので、見ていても余り頭に入らなかった町並みを眺めて歩く。
 似たような建物が並ぶこの一角は、それぞれが何らかの営業を営んでいるようで。軒先にぶら下がる看板でそれを確かめながら、オレは人気のない道で早朝の散歩を暫し楽しむ。
 田舎には、田舎の良さがある。自然に触れるのは好きだ。
 だけど。やっぱりオレは、こうして建物に囲まれた街の方が性にあっている気がする。東京に比べれば建物は低いものばかりで、今は人の気配さえ薄いけれど。無機質なものに囲まれて、心のどこかが確実に落ち着いているのを感じる。
 どんどんと明るくなる空に、そろそろ戻ろうと橋の上で足を止めたオレは、ゆっくりと身体を回して360度の景色を味わう。
「……超メルヘン、って感じ」
 思わず声が零れたのは、昇る太陽を背負った王城に目を奪われたからだ。右へとカーブする川に沿った家並みを見下ろすように、王城が聳え立っている。溢れる光の中で改めて見たそれは、青系の屋根である事もあってシンデレラ城を思い出させた。
 本気で御伽噺の世界だと、あまりの乙女ちっくなそれに笑いかけ、そうでもないかと思い直す。どちらかと言えばあの夢の世界の華奢なそれよりも、モデルとなったものに近い威厳さが光の中の城にはある。
 そう言えば。名前は忘れたけどあのヨーロッパの城も、山の上に立っていたんじゃなかったっけか。いや、それは別な城だったか?
 ま、兎にも角にも、アレが王城。若き王様がいらっしゃる城。
 ここまで来たんだなと、しみじみ思う。
 だが、実際には、まだ遠い。
 それでも。
 せいぜい首を洗って待って居やがれよ、王様。事と次第によっては、一発食らわせてやるからな。
「メイ? 何をしているんだ?」
「うへッ!?」
 欄干に手をつき太陽の眩しさに目を細めながらも城を見ていたオレは、不意に間近で声を掛けられ飛び上がる。
 逃亡中の容疑者のように、何故か逃げる姿勢を取りながら振り向いたそこには、桔梗亭の料理人が立っていた。
 ……ビックリした。物騒な事を口に出していなくて良かったぜ…。
「どうした?」
「いや…、ぼんやりしていたから驚いただけ」
 おはようございますと挨拶をすると、少し怪訝な表情のままだが、エルさんは同じ言葉を返してくれた。
 生まれたばかりの光に曝され、料理人の赤髪が金色に輝く。目鼻立ちははっきりしていて、体躯も立派なもので。この人もまた御伽噺の住人みたいだよなと、先程の名残を引き摺りそんな事を思ってしまう。っていうか、オレ以外の全てがファンタジー。
 改めて。どうして自分はこんなところに居るのだろうと、唐突に呆けかけたオレはどんな顔をしたのか。
「随分早いな。寝れなかったのか?」
 そう訊いてきた男の顔は、怪訝を超えて、不安げに見えた。
 …危ない、危ない。イっちゃいかけてたか?
「いえいえ、充分休ませて貰いました。昨夜は街の様子も何も見れなかったので、朝の散歩でも洒落込もうかと思って」
「そうか」
「エルさんも早いですね。いつもこの時間なんですか?」
 並んで足を進めながら向けた質問に、料理人は丁寧に答えてくれる。大抵の日は、出勤は昼の開店時間より少し早い程度だそうだ。今日は、女将さんとオレの事があるので、朝早くからこうしてやって来たらしい。
「そう言えば、昨夜は悪かったな。邪険にして」
「いえ、そんな事は」
 突然の謝罪に、オレは慌てて首を振る。確かに、不親切だと思った。けれど、女将さんの不調を思えばアレが当然だろう。オレがくれば、使えるようになるまでまずは面倒を見なければならないのだから、彼女の負担が増えるのは目に見えている。とりあえず、今は追い払っておくか――と、あの時考えたのだとしても不思議ではない。
 それに。
 邪険であったのは、この人ではなくあの黒髪男だ。
「それより、昨日のあの人は? お客さんですか?」
「ああ、あいつは女将さんの…まあ、親戚だな。亡くなった旦那さんの従兄弟の子だ」
「そうだったんですか」
 成る程、身内か。
 そりゃ、心配もしまくるかと納得するオレに、けれどもエルさんは想像以上の忠告をする。
「あいつは、ずっと働き詰めの女将さんを気にしていてな。いい加減従業員を増やせねば無理がくると、知り合いにいい奴が居ないかとも探していたんだ。そんな時にお前を紹介されて、女将さんはお前を雇うと決めてなぁ。使えるかどうかもわからければ、いつ王都まで来るかもわからない奴を待つ余裕なんてないだろうとあいつは怒ったが、女将さんは聞かなくて。それで、昨日だ。予感は的中で女将さんは倒れた。その夜に、お前がやって来た。つまり、あいつとしては、お前には含むところがあったという訳だ。勿論、一方的なものだから、お前は相手にしなくていいんだが」
「はあ」
「元々、あいつは女将さん一筋というか何というか、小さい頃からの女将さんっ子だからなぁ。男が近付けば誰であれとりあえず嫉妬するんだが。まあ、そういうわけで、特にお前にはキツくあたりそうだが、気にするな。実害が出るようなら遠慮なく言え」
 エルさんの話に、一体幾つの子供の話だと呆れつつ、有り難くその言葉を頂戴する。確かに、あの黒髪はしつこそうだ。最悪なタイミングだったとしても、オレはそれを知らなかったのだから昨夜の態度は大人げがなさ過ぎるというものだろう。現に、エルさんは直ぐにその態度を改めてくれたのだし。
 さすが、女将さんラブ人間。いや、この場合は女将さんコンプレックスとでも言うべきか。あまり波風立てないよう気をつけねば。
 って。
 一応一人暮らしをしていたけれど実家には頻繁に帰っていたし、何より、毎日のように両親と連絡を取り合っていたオレが言うのもなんなんだけど。実際、お前の家族は仲が良すぎると、友人達にも呆れられていたけれど。
 それでも、他人を排除しようとした事などない。どんな理由があるにせよ、あの黒髪の態度は戴けない。そんな奴は、ブラックリストに載せられて当然だ。
 たとえそれが雇用主の親族だとしても、と。オレは躊躇いなく要注意人物リストに加えたのだけど。
 エルさんと帰った桔梗亭では、丁度女将さんが起きたところで。明るい光の中できちんと見た彼女は、確かに黒髪が執着してもおかしくない程の美人さんだった。血色の良い顔色に、昨夜は本当に体調が悪かったのだと改めて知る。
 家で食べてきたというエルさんに作ってもらい、女将さんに簡単な仕事の説明を受けながら朝食を取っていると、宿客だという小柄な爺さんが姿を見せた。一年のうち半分ほどこの宿に居て、残りの半分は各地をウロウロしているらしい。仕事は、売れない絵描き、だそうだ。
 稼ぎがないのに、何故にこの宿に留まれるのか。放浪の旅を出来るのか。
 そう突っ込みたい心を押し止めて、とりあえず「これから宜しくお願いします」とオレは頭を下げる。
 黒髪の行いを見たから、自分のそれを直すわけではないけれど。第一印象は大事だ、うん。

 そうして、桔梗亭でのオレの仕事は。
 サルのような爺さんの朝食の給仕で幕を切ったのだった。


2008/12/29
34 君を呼ぶ世界 36