君を呼ぶ世界 39
サツキ。
オレの幸運は、お前のおかげなのかもな。
深い瞬きをしたリエムが手を遠ざけたので、オレは服を着る。布の上から、思わぬ注目を浴びたペンダントをそっと押さえ、一瞬考えたが襟元から引き出す。
指先で摘んだそれはいつもと何ら変わりはなくて。
知らない言葉に、知らないリエムの顔に驚いた心がスッと落ち着いた。
「ミタマが何かしらないけどさ。これは神子とは無関係だ。オレが家族に貰ったものだから」
何と勘違いしているのか知らないけど、残念ながらこれはそんなものじゃないよと、オレは笑いながらリエムの腕を軽く叩く。だが、リエムは暫し何かを考査するよう眉を寄せ、不意に小さく息を吐き表情を緩めた。
「物を知らないと思っていたが、ここまでとはな」
「煩ぇ、悪かったな」
笑いながらの軽口に、オレもまた笑いながら悪態を口に乗せる。
「神子が異世界からやってくるのは知っているな?」
「そこまで無知じゃねぇよ」
「なら、その神子の特徴は知っているか?」
「特徴?」
ちょっと待てよと、腕を組み記憶を辿る。
こことは別の世界で生まれ育つが、この世界に属するという神子。そんな彼らは、この世界に来た瞬間に、この世界の記憶が頭に入り込んでいるらしい。言葉を自由に操れるのもその為だとか。
だが、他には特別な力はないようで。特徴といっても、異世界生まれでありながらこの世界に関する知識が深いという以外は、普通人と同じであるようで。
むしろ、爺さんの言葉を借りるならば、それ故に面倒がられたりしている感じであった。記憶だけで力のない神子を、呼び出したにも関わらず疎んじる者も過去にはあったよう。民には今なお総じて好感を持たれているけれど。あれもなんて言うか、有名人に対するそれとあんまり変わらないような感じでもあったし、オレに言わせれば天皇陛下と変わらないようなものだ。
って。
聞かれているのは神子の立場じゃなく、彼ら自身の特徴である。
脱線しかけた思考を修正。だが、このペンダントと関わりのあるそれを思いつけるはずもなくて、オレは結局、「異世界生まれの癖に博識だ」と回答する。
その言葉を紡ぎながら、そう言えば、爺さんはあくまでも得るのは記憶であって、知識とは少し違うと言っていたよなと思い出す。だけど、旅の途中で少しずつ人々から拾い集めた情報では、あまりその違いを意識していないようであった。つまり、人伝に情報がまわるこの世界ではどんなに有名な話でも、人や場所によって多少の差は生まれると言う事だ。辺境の地に着くまで噂には尾ひれがつきまくるというもので、どこまで原形を止めているのかも怪しい。
だったら、田舎者であるとしているオレが知らなくても、間違った解答をしたとしてもおかしくとも何ともないよなと。答えた後で、そんなことを思ったのだけど。
案の定、オレの答えに、お前はこの世界の生まれなのに物知らずだなとでも思ったのか。リエムが口角を少し上げて笑った。
持った安堵と余裕はどこへ行ったのか。それは一瞬で吹き飛んだようで、嘲笑めいてさえいる男のそれに、思わずムッとしてしまう。
「何だよ。アンタまでオレを虐める気か?」
「違う、そうじゃない。試すような聞き方をしてしまった自分に呆れただけだ。悪かった」
「…別に、このくらい、全然何も悪くはないけど」
やっぱり、リエムはリエムであって。あの黒髪男とは違う。
真摯な謝罪に、オレは早々に握りかけた拳を緩める。そう、端から怒る事など何ひとつないのだ。例え、笑われたとしても。
知識が薄いのは、この男にはもう十分すぎるくらいに知られているのだから、さっさと聞けばいいだけの事である。
「っで。神子の特徴は? それと、オレのこれに何の関係があるんだよ?」
組んでいた腕を外し、オレは指先でペンダントを弾く。跳ね落ちて来たところを、もう一度。
「神子の特徴は、お前が言ったように、この世界の知識を持っていることだ。そして、あとふたつある」
「ふたつ?」
「ああ。ひとつは、身体にスミを持つこと。もうひとつは、三つのギョクを持つこと」
「スミと、ギョク」
どちらも、聞いた覚えがない。
爺さんの言い忘れか、オレが頭に詰め込まなかったのか。
与えられる情報量は膨大であり、オレはその半分も吸収出来ていないのだろうし。オレ自身に影響が出たのは、言葉の習得だけだったので、話がそこに集中したのだろうけど。神子にそんなわかりやすい特徴があるのなら、もっと教え込んで欲しかったぜ爺さん。知らなきゃ笑われて当然のような話じゃないか。
「ギョクって、…玉、だな?」
オレの言葉に、そうだとリエムは頷いた。
三つの玉。
ミタマとは、『三珠』か、と。オレは漸くそれを理解する。
だけど、オレのこれは神子のそれではない。オレの片割れの、サツキの形見だ。しかも。
確かに、サツキの石は丸いけれど。ギョクというには程遠い。どちらかと言えば、石ころよりも劣る、鈍い黒い玉だ。小さいので良く見ないとわからないけれど、綺麗な球形でもない。
そんな物を、神子の三珠か?と聞くとは。コイツはどういうつもりだと、理解した途端に怪訝な表情を作ったオレは、思わず馬鹿なことを口にしてしまう。
「じゃ、何か? リエムはオレが神子だとでも思っているのか?」
そう言って、有り得ないと自分で笑う。これをそんな貴重なギョクだと思う男以上に、冗談が過ぎるとオレは肩を竦める。
だが、そんなオレとは違い。思っていない、冗談だ、からかったんだ、と言うべきはずのリエムが眉間に皺を寄せ問い返してきた。
「…………どういう意味だ?」
どういう意味って。…本気か?
「いや、だって。これを神子の三珠かと聞いただろ? だから、オレを神子とでも思っているのかと…。それとも、神子のギョクは安価で売り買いされてでもいるのか? オレなんかでも持てるの?」
「……そんな訳がないだろう」
思いっきり、溜息を吐かれた。それはもう、肺の中全てから空気を吐き出すような、長い思い息だ。
「リエム?」
感じが悪い。オレだって、そんな訳がないと思っていたので、少々癪に触る反応だ。
そう思うが、それ以上に、だったら何故?との疑問が強くなる。
オレのこれを、どうして神子のモノだなんて訊いたんだ?
「いいか、メイ」
まるで、ダメな生徒を諭す教師のように、片手を腰に当てた男がオレの名を呼んで言った。
「神子は三つの珠を持って降臨する。それには神子だけに役立つ力が宿るだのなんだの言われているが、実際にそれらが何かを起こしたという話は残されていない。ま、神子やその力に関しての真偽は怪しいものだが、今は関係ないから置いておくとしてだな」
「怪しいって、なんだよ?」
「歴史も、伝承も、書き手に都合良く記されるものだ。あてにはならない」
話の腰を折るように訊ねた質問にきちんと答えたリエムだが、さっさと話を元に戻す。ま、オレとしても、その見解に否を唱えるつもりはないのだけれど。
「三珠は、スミ同様、神子である証みたいなものだ。故に、神子はそれを装飾品等に加工して、常に身に付けている。神子の宝玉だな。まかり間違っても安価な値段で取引などされない。いや、高価であっても同じだ」
「つまり、流通する事はないんだ?」
「ああ。例外はあるかもしれないが、俺達庶民には関わりない話だ」
「まあ、そうだろうね」
「だが、別の方法で、今は誰もが関わっている」
「はァ?」
関わるとはどういう意味だと首を傾げると、リエムはまたおもむろに手を伸ばし、オレの胸のペンダントを指先で打った。
「昔は、恐れ多いと揃った三つの玉石を持つことはなかったようだが。いつの頃からか、権力者たちの間で神子の恩恵に肖ろうと模倣を始めた。今では、神子を尊び敬う意味で民にも広がっている。それが、『神子の三珠』だ。お前がオレにくれたお守りと同じだな」
「いや、オレのあれは、そんなご大層なものじゃ…」
「神子の三珠だって、大層でも何でもない。最近では何だって、それに倣った三連の玉石ばかりだ。同じように、三珠ほどでもないが身体にスミを入れる者もいるしな」
「神子サマサマだな」
でも、そんなに広まったら、有難味が薄れるような気がする。っていうか、神子の偽者とか出ないのか?
記憶なんて外からはわからないし。三珠も隠せばわからない。その中で、唯一目立つだろうと思える刺青が一般人にも浸透するのはどうなんだよと。オレが心配する事でもないけど危機を覚えながら、そう言えばと仲良くなった三姉弟を思い出す。彼女たちのアクセサリーが頭に浮かぶ。
旅に出て何度か持った謎が、漸くここで解決されたというわけだ。すれ違う旅人も、出会った人達も、今にして思えば神子の三珠を身につけていたのだ。三連ではなく、同じ石で揃いになった三つの飾りものもあった気がする。本当に、それは民に浸透しているのだ。
そう、だから、そう言う意味で。リエムは聞いてきたのかと、オレは視線を下げ、胸で揺れるペンダントを眺める。皆がもつそれとは違う地味なこれを、確認する意味で問うてきたのだ。ただ、それだけ。
だけど。
オレにとっては、無知を曝す事態になったけれど、それだけではない。得た情報が、ゆっくり心に染み入る。
「……神子の三珠、か」
ただの偶然だし、オレはここの世界の人間ではないし、そもそも神を敬う気持ちはこれっぽっちもないのだけれど。
この世界で流行るお守りと、奇しくも共通する片割れからの贈り物。
この形ゆえに、少しは神子の恩恵があったのかもしれないと思っても、罰はあたらないよな?
今までの幸運は、だからお前のおかげでもあるのだと思っていいよな?
異界人だと害されずに今までやってこられた事実を、そんな風に考えるのはちょっと卑屈であるのかもしれないけれど。それでも、サツキの形見が思わぬ形でこの世界と繋がっているのは事実で。オレは何だかそれに、とてつもない安心を覚える。
いつだって、彼女が傍にいると思って生きてきた。実際、だからこそ、この世界に飛ばされても前に進めた。
それでも、今ほども、片割れの存在を心強いと思ったことはない。
ひとりじゃないのだと、オレはそれを信じる事が出来る。
いつもオレを守ってくれて、ありがとな、サツキ。
オレの半身が、お前で本当に良かったよ。
2009/01/19