君を呼ぶ世界 40
まだ、この異世界は遠いけれど。
近いものも、確かにある。
この世界には、全く関係がないけれど。
肌身離さずに持ち続け、身体の一部になっているといっても過言ではない、オレの片割れの小さな石が。偶然も、偶然で、この世界の神子さまの宝珠と同じ数で。それは模倣されて一般に広がっていて、お守りなんかにもなっていて。奇しくも、オレもちゃっかりとそのブームに乗っていたという訳で。
何だか、かなり現金だけど。サツキの石と、神子の三珠に繋がりなんてないのだとわかりつつも、この世界にまた一歩、オレは少し近付いた気がする。
自分が片割れを大切に想うように、この世界の人も神子を敬い大事にしているんだなと思うと、親近感が一気に沸く。
「一般的には綺麗な玉石で作るものだが。光もしない真っ黒な石だな、珍しい」
それに小さいな、と。オレの胸からペンダント持ち上げたリエムが、それを指先で回すようにしながら中の石に目を凝らした。
サツキの石は、一センチにも満たない。オレがペンダントを作る前は、家族それぞれでこの小さな石をひとつずつ持っていた。今にして思えば、お守り袋に入っていたとはいえ、遊び盛りの子供がよく無くさなかったものだ。
「神子の三珠じゃない。ただの石ころだ」
「家族がお前にくれたのなら、ものが何であれ三珠だろう。お前が知らなかっただけだ。大事にしろよ」
「あぁ、そうだな…」
違うんだと言いかけた口は、けれども無難な言葉を紡いだ。本当の事を言ったところでどうしようもないし、言われたリエムとて困るだろう。お守りには違いないのだしと、オレは真実を濁す。
何より。
口先だけでしかないのだろうけど。今は否定などしたくはない気持ちだった。この石は神子のギョクとは違うけれど、それでも、そうだと認めれば。サツキの存在が、彼女の生きた意味が、今よりも確かなものになるように思えて。
理不尽に巻き込まれたオレが今こうして立っているのは、オレだけの力ではないから。
「そうなのかもしれない」
だから今は…、とオレは頷き、リエムの手からそれを受け取り強く握り締める。
今までも、何度もオレはサツキを頼りにしていたけれど。もしかしたら、それは幼い頃からのただの習慣で、それこそ信仰心と変わりないような曖昧なものだったのかもしれない。この世界に来て、オレは本当の意味で、片割れを身近に感じている。語りかけている。寄りかかっている。
まるで、一緒にこの世界に飛ばされた同士のように。
オレと元の世界を繋ぐ、橋渡しのように。
助けられまくっているなと、こんなオレは情けないかなと、でもこれからもオレを支えてくれよと。オレは手の中のペンダントを指で撫でて小さく笑う。
どうした、オレ? 唐突に、センチメンタル過ぎるぞ、なあ?
気が張る中での仕事に疲れが出始めたところに、黒髪の虐め。それでも頑張らなければと奮闘したところに、オレを甘やかすようなリエムと再会。それだけでも胸が詰まるのに、片割れの存在が今まで以上に溢れてきて――参った。ホント、参ったと、オレの笑いは収まらない。
オレはオレが思う以上に、けっこうヘコタレていたようだ。
些細な事に、ここまで心が揺さ振られ、昂ぶり、そして今はとても穏やかになっている。
それもこれもこの男のお陰だなと、喉を鳴らしながら腕を叩いてやると、リエムは不可思議そうに目を細めてオレを見た。いきなり笑い出したのだから当然だろう。
「どうしたんだ?」
「いや、アンタはホント、イイ奴だなと思って」
「それで笑うのは可笑しくないか?」
本当にそう思っているのかと、呆れたように肩を動かす男に可笑しくないと返すが、確かに説得力はゼロだ。だけど、オレがこうして笑えるのはこの男のお陰であるのは確かなので信じてもらうしかない。
「少し腐りかけていたのかな。今の話を聞いて、何だか気が晴れた」
「そうか」
「なあ、リエムも神子の三珠を持っているのか?」
「ああ。これがそうだな」
そう言ってリエムが指で弾いたのは、腰に提げた剣の柄に埋め込まれた三つのとても綺麗な蒼い石。
「国によっては、神子の三珠はこの色だと決まってもいるようだが、この国は特にない。色んな石が、神子の三珠として売られている。だが、黒はないな。それしか手に入らなかったのか、それが習わしのものであったのかはわからないが、本当に珍しい」
「田舎の貧乏人に綺麗な石は買えないさ。って、オレの石はいいから。それよりさ」
「なんだ?」
「触ってみてもいい?」
指で示し訊ねたそれに了承が返ったので、オレは断りの言葉を添えて手を伸ばした。
柄に嵌る蒼い石は、思った以上に冷たくて、オレに自身の熱を教える。曇りのない玉石は見た目通りにツルリともしていて、心地良い。うん、これぞまさに宝石って感じだ。有難味が違う。
「ハギ国では青系の石が人気だな。国の色でもあるし、現王の眼も聖獣の眼も同系色だから」
「へぇ、蒼い目なんだ!」
ホワイトタイガー似の聖獣の瞳が蒼いと聞き思い浮かべるのは、当然として、あの愛らしい仔虎の姿で。そんなハズはないんだろうけど、一気に気分が跳ね上がったオレは、「見たい!会いたい! 触りてぇ!」と続けてしまい、リエムに不信を与えてしまった。
「…会いたいはわかるが、触りたいは可笑しいだろう」
「バカ、目玉じゃねーよ。本体全部。弄繰り回してみたくならないか?」
「……王をか?」
「はァ!? 聖獣の方に決まってんだろ!」
それとも何か、王様はホワイトタイガーと似たり寄ったりのラブリーキャラか? 弄繰り回したくなる和み系か?
絶対違うだろうに、何故にそんな発想をするんだオイ。
やっぱり、時々可笑しいよなこの男。
ま、それ以上にオレも可笑しいと思われているのだろうで、あんまり突っ込めないけれど。
「王は兎も角、聖獣は無理だろう。王は人間だが、聖獣は尊き神の獣だ。基本、人間には己を触れさせない」
「あっそ。てか、王もダメだろ。王様だぞ?」
「だが、普通の人間だ」
「普通って言ってもなぁ。いい年した男をどうしろっていうんだよ。頭でも撫でろってか?」
ありえねぇーと笑ったところに、伸びてきた手に髪を掻き回された。
「出来なくはないだろ?」
「オレだからだろ…って、オイ、コラ! 止めろよ!」
「まだ湿っているぞ」
「そのうち乾く! 止めろって!」
両手でガシガシと、他人の頭だと思って掻き回す。そんな男から逃れようと抗うが、あっさりと捕まり、いつの間にかオレの首には硬い腕が回っていた。厚い背中と腕に手を掛け頭を引き抜こうと踏ん張るが、びくともしない。
ああ、もう。こいつなら、本気で王様相手でもこういうことが出来そうだ。
「いい加減にしろよ、リエム! 掻き回すな! ハゲたらどうするんだよ!」
「ハハッ、それは大変だな」
「笑っていないで放しやがれ!」
がるる〜ッと犬のように唸ると、「ハゲたら言え、責任をとってやるよ」と笑うリエムに軽く頭を叩かれつつも、どうにか解放された。背中を伸ばし、首を回しながら「…どんな責任だよ」とオレはぼやく。
「勿論、お前が望む形でさ」
「大きく出たな。その言葉、忘れんなよ」
ハゲたら絶対アンタのところへ徴収に行くと、宣言したオレに肩を竦めながらも、リエムは「待っている」と言った。真摯にさえ感じるその返答。だけど、待たれるのは微妙。なんて返事をするのかこの男。
まるで、オレにハゲて欲しいかのようだぞオイ。
くそぉォ、お前もハゲやがれ!と。オレは余裕綽々といった感じのリエムの頭に、軽く拳を押し付ける。グリグリと手首をまわして地味な攻撃をすると、逆に頭突きを食らわされた。痛いほどではなかったけれど、その衝撃にオレが怯んでいる間に、爽やかな笑いを残してリエムが裏庭から去っていく。
続いて戻った厨房では、エルさんが夜の仕込みを再開しており、黒髪もまだ居座って皿を突付いていた。
そのどこにも、オレが性質の悪い虐めにあった名残は皆無であったのだけど。リエムが気を利かせたのかなんなのか。黒髪の背中をバシリと勢いよく叩き、「ホラ、お前も帰るぞ」とのひと言で席を立たせ、店から追い出した。
「また来る。メイ、頑張れよ」
「ああ、うん。態々ありがとな」
表まで見送り言ったオレの言葉に、リエムは優しく笑い、黒髪は顰めていた顔を更に歪めて舌打ちをしてくれた。
そんな二人の背中が町並みに消えてから戻った厨房で、オレはエルさんに、迷惑をかけた謝罪と新婚の祝いを述べた。エルさんは、リエムと同じく黒髪の事は相手にしないでいいと苦笑しつつも俺を慰め、結婚についてはあっさり「どーも」のひと言で終わらせた。どうやら、奥さんとは長い付き合いであり、今更であるような感じだ。
だが、だとしても。やっぱりそれはいいものであるのだろう。この世界に飛ばされる前日に出席した友人の結婚式でも、二人の幸せに中てられていたオレとしては羨ましい限り。こんな状況では全然そんな気にはならないが、なっていられないからこそ余計に、幸せ一杯なのだろう料理人を眩しく思う。
だから、イイなぁと。どんな奥さんなのか、どんな夫婦なのかと、オレは仕事の合間に訊ねていたのだが。
出先から戻った女将さんに、「他人の事はいいから、自分の心配をしなさいよ」とからかわれた。
「リエムやラナックと遊んでいるようじゃ、恋人は難しいのかもしれないけどねぇ」
いい歳の癖に困ったものだと、女将は遠慮なく笑ってくれる。まるで、店に来るオヤジ達のような豪快な笑い声。つられてオレも、ご尤もですと苦い笑い零すのだけど。
リエムは兎も角ですね、女将さん。
オレは黒髪とは遊んでいないし、遊びたくもないです。向こうが絡んでくるだけです。出来るのなら、あの男の手綱を少しでいいので絞めて下さい。そうしてくれたなら、オレはとても有り難いです。
それに。オレは三人の中で一番年下で、まだ若い部類に入るはず。
だから、笑うのはいいけどさ、女将さん。
貴女の甥っ子が、一番心配すべき奴だとオレは思うよ。うん。
だって。
少なくとも。
オレはそういう存在を、この世界に求めていないから。
2009/01/27