君を呼ぶ世界 41


 オレは虫じゃないんだと。
 そこだけでも、騎士さまは理解してくれないだろうか…?

「ごちそーさん。メイ、勘定ここへ置いておくぞ!」
「あ、はい!」
 持っていた皿を慌てて厨房に運び、オレは消える幾つかの背中を追って外へと飛び出す。
「ありがとうございました!」
 声を張り上げると、オヤジ達は振り返り手を上げてくれた。それに手を上げ、軽く振り、見送りを終え店の中へと戻る。机に置かれた小銭を確かめると、少し多かった。忘れないようにお釣りは専用の籠へ入れ、女将さんに伝えておく。
 仕事を初めて、七日目。日が経つにつれ、余裕が出来たからか、遣り甲斐と楽しさを覚えている。相変わらず客のオヤジ達はオレで遊ぶが、そのからかいも落ち着いてきたし、オレもそのノリに慣れた。ゴツイ男達に囲まれ萎縮していたのが懐かしく思うくらいに、このオヤジ達は大人だけど案外ガキなのだと悟れば、あっさりと構えが取れてしまった。
 年嵩の者としては一目置いてもいいけれど。多ければ一日二回は顔を合わす親父たちの実態は、バカな学生と余り変わらない。アレで本当に仕事が務まっているのかと心配にさえなったが、まあ、食事に足を運ぶ店で真面目である必要はない。リラックスしに、羽目を外しに来ているのだと思えば、従業員としては客を心地良くさせるべきだろう。
 仕方がない。大人気ないオヤジどもに遊ばれてやるか。
 そう、少し上から目線で、広い心をもって接すれば。仕事も案外楽しくて。
 異世界人だの何だのはなく、オレはここに馴染んでしまったようだ。
 だが。問題はまだ、残っている。
「心配せずとも、あの子は来やしないよ」
「え?」
「ラナックも、そんなに暇じゃないからね」
 そろそろ昼の営業を終えようかと言う時刻。ドアが開いたのに勢いよく振り返れば、客を見送った女将さんで。無意識に息でも吐いていたのか、オレと視線を合わせて彼女はそう言い笑った。
「メイ。構えていたら疲れるよ」
「そうだぞ。来ていない間くらい、あいつの事は忘れろ。来たら極力放っておけ」
 女将さんの言葉に続き、厨房からもそんな声が掛かる。オレは曖昧な笑みでそれらに頷き、テーブルの上の汚れた皿を集めた。
 自覚していなかったけど、オレの不安は思い切り表に出ていたらしい。恥ずかしい。
 オレの頭の上でフレッシュジュースを作った黒髪は、アレから一度もここに来ていない。だが、それを良かったと思っていたのは最初の一日くらいで、次の日から早くもオレは、今日は来るのかもと気にしているのだ。いや、ホント情けないのだけれど。
 来たからといって、上手く対応出来ないので、来訪は遠慮したい。しかし、来ないと気になる。つまり、居ても居なくても鬱陶しい奴なのだ。あの男は。
「…そんなに、頻繁に来ている訳じゃないんだ?」
 女将さんとエルさんの言葉はわかる。オレだって、ホントそう思う。けれど、相手が相手なだけに上手くはいかない。前回が前回だっただけに、次回の不安が日を経つ事に募る。今度顔を合わせたら実力行使で追い出されるんじゃないかと、気が重い。
 厨房で皿洗いを始めながら、本当に来ないのか?と、オレは料理人に念を押してみる。
「それなりに忙しいようだからな。何日も顔を見せないのが普通だ。たまに来る程度だな」
「…割合は?」
「そうだな、十日に一度くらいだな。まあ、来たらあの通り煩いから、常に居るような気になっちまっているけどよ」
「昔は入り浸っていたからねぇ。あの子が王城で働くようになって、この店も随分落ち着いたものさ」
 いつまで経っても子供だから、騒がしいったらないよ。
 最後の客を見送ってきた女将さんが、話に加わりそう言った。
 確かにあの黒髪なら、それは真実なのかもしれないけど。女将さんもエルさんも、なかなか評価が辛辣だ。そういえば、リエムも似たようなものだった。ターゲットとなっているオレとしては、一度ガツンと絞めてやってくれと思うほどに黒髪の態度を容認しているように見えていたけれど、これはアレだろう。オレが客のオヤジ達に持っているものと同じなのだろう。
 何を言っても聞き入れない困った子供に、それでも愛情をもって溜息を吐く母親みたいなものだ。つまり、あの男は色んな事を許されているけれど、オレが思うほどもあの性格は認められている訳ではないらしい。
 オレだけじゃなく、女将さんやエルさんも困っているのかなと思えば。
 何だか少し、気が晴れる。
「昔かァ。…何か、簡単に想像出来るかも。あいつなら、今とあんまり変わんないんじゃない?」
「確かに、図体がデカくなったくらいだねぇ」
「女将さんにへばり付いているのは相変わらずだが、アレでも随分大人になった」
 オレの問いに女将さんが肯定すると、エルさんは苦笑交じりにもフォローした。
「何と言っても、城勤めの騎士さまだからな」
「騎士さま…?」
「ああ、そうは見えないだろうが、近衛騎士だ」
「へぇ〜、そうなんだ」
 騎士なんてピンと来ないけど。近衛と言うことは、偉い人についているのだろうから、それなりにエリートなんだろうなと単純に思い、ふと気付く。
 オレって、自分が思う以上に危ない状態じゃないか…?
 リエムが帯剣していても、気にならないけれど。あいつの場合、それがいつ抜かれるとも限らない。嫌われている自覚が充分にある身としては、無視できない。彼が騎士さまなら、今以上に警戒が必要じゃないか。
 日本でも昔は、庶民は武士に不条理に切られたとしも文句は言えなかったようだし…。
「……騎士、か」
 ここに居る限り、女将さんが居る限り、命は安全なんだろうけど。オレの生活はそこまで保証されていないようだ。奴の性格だけじゃなく、その地位を持って強制排除されないとも限らない。
 勘弁しろよと、オレは心の中で嘆く。騎士であるならもっと、精神面を鍛えているべきじゃないか? アレで務まっているのか? 人の手本になるにしては掛け離れすぎている。
 兵士と騎士では、当然騎士の方が階級は上なわけで。どこの世界も、位と人間の質は比例なんてしないんだろうけど。
 リエムの方がよほどそれらしい。
 人畜無害な田舎青年をネチネチ虐める黒髪に威厳はゼロ。きっと職務中は違うのだろうけど、本質は同じ人間。そんな奴が騎士さまだと言う事は。良家の坊ちゃまか、よほど腕っ節がイイのかだろう。
 やはり警戒レベルを上げなければ。知った仲であるのだろうけど、この前のように兵士のリエムに庇ってもらうのは気がひける。相手が相手だけに、その点は全く安心出来ない。
「リエムは大丈夫だよな…?」
「リエムがどうした?」
「だってさ、軍隊っていったら上下関係厳しいだろ? 兵士が騎士に楯突くのは拙くないか?」
 オレのせいで兵士のリエムが罰を受けるのは嫌だからなと口にすると、二人は喉で笑い、大丈夫だと口を揃えって言った。
「あの二人は子供の頃からの連れだし、どちらも階級なんて気にする性格じゃないよ」
「確かに、お前に対する態度は大人気ないがな。アレでも歩兵から自分の力だけで騎士までのし上がった奴だ。バカじゃない」
「だったら、良いんだけど…」
 叩き上げらしい黒髪の実力はオレにはわからないので、二人の言葉を信じる外ない。オレにとっては最悪野郎だけど、その物差しは役に立たないらしいのだから、どうしようもない。
「面倒かけるわね、メイ」
「いや、別に…大丈夫です」
 本当に、居ても居なくても厄介だと。改めて確信しているところに、女将さんの謝罪。
「厄介だけどね、イイ子なのよ」
「はァ…」
 続いた売り込みに、そういう面もあるのだろうがオレにはなァ…と内心突っ込みつつも、そうですねとオレは頷く。身内の女将さんは兎も角、エルさんもリエムもああなのだから、嫌悪すべき人間だとはオレだって思っていない。
 だけど。
「だから、仲良くしてやって頂戴」
 宜しく頼むよと、言葉と共にバシンと背中を叩かれ、オレは洗っていた皿を滑り落としそうになり慌てる。
「おッ、女将さん!」
 危ないじゃないですかと、掴んだそれをシンクに置いて振り返ると、豪快と言える程の笑いを女将さんは残して宿へと去っていった。いつも思うが、あの細い身体でどうしてあんなでかい笑い声が出せるのだろうか。
 黙っていれば綺麗だし、性格も明るくて、実年齢より若く見えるけれど。喋り方もその気質も、下町のオバさんでしかないんだけどと、呆れのような息をオレは吐く。
 確かに、女将さんは魅力的だ。オレだって、好きか嫌いかとの二者択一ではなくとも、躊躇わずに好きだと言えるくらいに好感を持っている。
 でも、さァ。だからと言って、悪いけど。
 黒髪の惚れ具合が理解出来ない。
 子供の頃から姉のような存在であろう彼女に、周囲の虫を蹴散らす程にのめり込んでいるらしい男心がわからない。
 叔父の奥さんへの憧れを、そのまま持ち続けて大きくなったらしい男をいま一度思い浮かべ、オレは大きな溜息を吐く。
 オレが仲良くしたいと思っても、彼は拒否しているんですよ女将さん。
 無理な事、宜しく頼まないで下さいよ…トホホ。

 勘違い甚だしい黒髪と、大らか過ぎるほどの女将さん。
 血は繋がっていないらしいが、どちらもどちらであり、案外似ているのかもしれない。


2009/02/03
40 君を呼ぶ世界 42