オレだって、美人は嫌いじゃない。
　むしろ、好きだけど。

　実を言えば。
　女将さんに旦那さんの服を借りたり貰ったりしているので。
　オレは、衣食住全てを彼女に面倒見て貰っていたりする。更に詳しく言えば、小遣い付きだ。
　オレだって多少のお金は持っているからと、お洒落までは出来なくとも必要な服くらいは自分で買うと遠慮したのだが、女将さんは「お爺さんに貰ったお金は、何かあった時の為にきちんと貯めておきなさい」と言ってオレを諭した。だったら、給料は一切要らないと条件を出したが、「メイだけ特別扱い出来ないでしょ。一緒に働くエルの立場も考えな」と怒られ、結局断りきれずに賃金を頂いていたりする。
　流石に、見習いであるのだから前任者よりも三割カットで、そこから衣食住代も引いてもらっているが。一日中桔梗亭で働いているだけのオレには余り必要なものもなく、日当は貯まる一方だ。エルさんやリエムに聞いたところによれば、オレの給料は子供の小遣いに毛が生えた程度であるらしいけど、全然全く問題ない。毛だって生えなくてもいいくらいだ。
　欲しいと思っていた本は、女将さんから借りる事が出来たし。紙やペンは、店の備品を自由に使っていいと言われているし。
　今のところ、お金が要るかなと思うのは。一度湯屋に行ってみたいな、といったぐらいのもで。自分で言うのもなんだが、この世界のオレってかなり安上がり。
　あっちの世界では、見るもの全てと言っていいくらい、片っ端から興味を持って小遣いを使い果たしていたんだけどなぁ。
　なんか、変な感じ。イイ子になっちゃってるよオレ。
「メイ聞いているのか？　もう酔ったのか？」
「酔ってないよ、オレはまだ一杯目だよ。ムガ爺こそ、大丈夫かよ？」
「心配は無用じゃ！」
　まだまだいけるぞとオレに宣言した声のまま、追加の酒を頼み、大ぶりのコップに残っていた酒をグイッと煽る。赤くなった顔はますますサルに似ていると思いながら、オレはハイテンションな絵描きの隣に座る薬売りに訊ねる。
「何杯目？」
「まだ次で五杯目だから、大丈夫」
「…なら、いいけど」
　既に飲みすぎじゃないかとオレなんかは思うが、明日から一緒に旅する薬売りが問題なしと判断しているのならば、オレから言う事は何もない。
　コップになみなみ注がれた酒を啜った爺さんの意識が机に戻った。
「それでじゃなぁ、ええっと、…どこまで話したかのゥ？」
「五年前にベイズへ入られたところまでですよ」
「ああ、そうじゃ、そうじゃ」
　良く聞いていなかった先程の反省を踏まえ、オレはご機嫌な絵描きの良く回る口を見ながら聞き役に徹していたのだけど。
「え…？」
　今、確かに、神子と聞こえた…！　神子の国、と。
「み、神子の国って、ナニ！？」
　取り留めのないような話に紛れ込んでいた言葉に引っかかり、そんなオレを置き去りにして流れた目の前のオヤジ二人の会話を、オレは慌てて呼び止める。
　これから二人が向かうベイズ国の話をしていただけなのに、何故に神子が出てくるんだよ！？
「ベイズには神子が居るのかよッ！？」
「なんだメイ、知らないのか。ベイズは芸術の国。そして、神子の国だ。こんな事は、子供でも知ってるもんだぞ」
「だから。神子の国って、何！？」
「ベイズの国民は皆美しく、まるで神子のようだとそんな呼び名が付いたんだよ」
　オレの無知をからかう絵描きに、少しムッとするが。直ぐに薬売りが説明をしてくれる。
「今でも時折、人が集まる場所に流れてくる神子降臨の噂は、多くがベイズ発でね。見目麗しい彼等を褒め称えたその言葉が、遠くの地に着く頃にはそう変わっているというわけだよ」
　重ねられる言葉をオレは噛み砕き、漸く、本当に神子がいるわけではないことに思い至る。
　なんだ、そうかと。驚いた自分がおかしくて、小さく笑いつつ力を抜きかける。けれど。
　つまりはそれって…と新たな疑問を持ってしまう。
「神子って美人なの？」
「そりゃ、そうだろう。神子さまだぞ」
　不細工じゃ格好もつかんだろうと、オレの真面目な疑問を爺さんは笑う。それは何を言っているんだと呆れを含んだ声音だけど、オレとしてはその定義の方が笑えてしまう。
　神子だから美人だというのは、ナンセンスだ。だって、神子が本当に神の子である尊き存在ならまだしも。神子は、ただの人の子だ。それも、この世界が嫌う異世界の血を引く人間だ。美人とは限らないだろう。
　だから。
　爺さんの言葉は、ただの、この世界の者の無責任な願望だ。勝手に異世界から呼び寄せておいて、美まで要求するとは。この世界の人はなかなか図々しいなと、それに巻き込まれたオレなんかはそう思ってしまう。
　ま、偶然にも。今までの神子が美人揃いであったのかもしれない可能性はなくはないんだけど。
「ムガ爺は、神子を見た事があるのか？」
「あるわけがないだろう」
「じゃ、美人かどうかはわからないだろ」
　だが、神子レイトは美しかったと聞いた事があるとか何とか。ぶつぶつムガ爺は言うけれど。それだって、噂の域を出ない話だ。絵描き本人が見た事がないのなら意味がないと、オレは鼻で笑って吹き飛ばしてやる。
　自分でも、拘る事ではないと頭の隅では思っているけど。心の中は、なぜかささくれていて。
　神子であるからこそ、この世界の人は実物よりも五割増しくらいでその姿を褒め称えているだけなのだろうけど。熱狂的な信者の色眼鏡だとわかるのだけど。納得したくない気持ちが強い。だって、もしも。もしも、次に現れる神子が、美しくなかったら…？　そう考えると、こんな馬鹿げた定説を切り崩してやりたくなる。
　神子は美しいなんて、固定観念が出来てしまったら。そうではない神子は、この世界でどうなるのか。異界人のように排除される事は絶対にない、とは言い切れない。
　やっぱりどう考えても馬鹿げた話だと、オレはコップの中の酒を苛立ちのまま飲み干す。
　だが。温くなったそれが喉を落ちると同時に、オレの腹の底にも重い塊がドスンと落ちた。
　オレだって。今は憤っているけれど。
　多分、きっと、この世界に来てこんな境遇に陥らなければ。理不尽とは気付かず、無責任に似たような事を思っていたはずだ。
「神の子だぞ、メイ。神に愛されし者が、人に嫌悪されるような者であるはずがないだろう。実際、神の獣はとても美しい。ワシの筆では描けないほどにな」
　ムガ爺に、オレは何を認めさせようと言うのか。
　そう自問すれば、答えられるものなんて全然なくて。
　酸素がなくなったように、心の中で踊っていた炎が一瞬にして消えさった。残ったのは、誰にもわからない、オレにしかわからない闇で。それはとても虚しくて、淋しい。
「聖獣は、見た事があるんだ？」
　折角、酒を呑んでいるのに、不味くしてどうする。
　そう意識して、努めてこの空気を変えようと、オレは新しく飛び出した単語を掬い上げた。
「ああ、あるぞ。何回もな」
「何だメイはないのか。王都に住んでいて勿体無い奴だなオイ」
　唐突に背中で上がった声に振り向くと、桔梗亭の常連客のオヤジが立っていた。
　どいつもこいつも、バカにしやがって。そう心でオレはツッコミを入れるが、それ以上に流れが変わった安堵の方が大きくて。近くから椅子を引っ張り、無理やりオレ達のテーブルにつく四十前後の男に笑いかける。
「そういうあなたも、見た事があるんだ？」
　ええっと、確かこの人の名前は……キノサ、だ。うん、そう、キノサさん。
「ああ、何度もあるぞ。最近も見たな。王の視察に時々だが一緒にこられるんだよ、あの聖獣さまは」
「視察？」
　首を傾げたオレに、キノサさんは自分の太い二の腕を叩いて笑う。
「オレは、労働員だぞ？」
　知っている。労働員というのは、簡単に言えば土方工事などする肉体労働者だ。桔梗亭に来る殆どの常連客が、この職についている。
　だけど、それが何？と。オレが更に首を傾けると、薬売りがまた助けてくれた。
「王が行政に関与しない国もあるようだが、このハギ国では王もまた、行政を担う一員なんだよ。だから、普通に国が行なう事業を見てまわる。勿論、それだけが仕事じゃないから、他の大臣達などよりは少ないし、王都から出る事も稀だけどね」
　キノサさんの仕事場にも王は見学に来るという事だよと、子供に説明するようにトルーキさんが言う。なるほど、と頷きつつも、オレはちょっと心の中で苦笑する。一応、大学生なオレなので、視察くらいなら言葉の意味はわかるってものだ。
　オレが驚いたのは、王様が街中を出歩くという事だ。民に顔を見せるのは、一般参賀の時だけかと思っていた。若い王様は、いつでも豪華な椅子に踏ん反り返って退屈を持て余しているのかと思っていた。
　本気でそんな愚王と思っていたわけではないけれど、なんとなく。オレの中では、あのメルヘンなお城に住む王様っていうのは、そんなイメージなのだ。……ホント、これじゃ、神子美人説を唱える人達に怒れないってもんだよ。ああ、オレって最低かも。
「ま、今はそういう時でしか城を出られないが。昔は、普通に王都を歩き回っていたからなぁ」
「そうじゃった、そうじゃった。聖獣が現れる前から、桔梗亭に来ていたな、懐かしい」
「王は王都の中で生まれ育った方ですからね」
「まさか、あのガキがこの国の王になるとはなぁ」
「ワシの歳になると、十年前なんていうのは昨日の事のようなもんだが。いやはや、これほどまで化けた奴は他に知らんな」
「いや、しかしな、ムガ爺。ラナックもリエムも、変わったようで変わっていない。案外、あいつも根本は変わっていないんじゃないか？」
「そりゃそうじゃ。だからこそ、ワシは安心している。ちいィとばかり気難しくて線の細いところもあったが、あやつはイイ子じゃったからのぉ」
「……あのぉ〜」
　顔が崩れるほどに垂れ下がった笑みを作っている絵描きに、その言葉に頷く面々。完全に蚊帳の外に置かれたが、このまま傍観者に徹してもいられない話にオレは恐る恐る嘴を挟む。
「聖獣だけじゃなくて、王様のことも良く知ってるんだ…？」
　しかも、桔梗亭に来ていただって？
　そこで名前を挙げるということは、あの黒髪騎士も、リエムも、一緒なのか？　お仲間なのか？
　リエムに王に付いて教えられた事が頭を回る。
　確かに、不思議ではない話だけど。だからって、オレには全然想像出来る事ではなくて。
「心配するなメイ。知らない事は少しずつ覚えていけばいいんだ」
「そうだ、ムガ爺の言う通りだ。自分の国の王の顔を知らずとも、恥じゃない。ま、王都に住んでいて知らないのは珍しいが、お前は田舎から出てきたばかりだし許容範囲だ」
「いや、そうじゃなくて…」
「今度視察がある時は、前もって教えてやる。王が来る時は見学者も多いんだ。何せ年頃の娘は皆王に夢中だからなぁ。お前、あの光景を見たら驚くぞ」
「ふぉっふぉっふぉ、メイなら娘子達に負けて押し潰されていそうだな」
「だから、さ。あの、ちょっと――オレの話を聞けーッ！」
　自分の喋りたい事ばかり勝手に喋る絵描きとマッチョに吼えるが、それさえも聞いてもらえなくて。
　この酔っ払いがッ！
　肝心なところでこれかよと、ガクリとオレはテーブルに突っ伏した。
　結局。
　私達より女将さんやエルさんに訊く方がいいよ、と。怒ったせいか、一杯だけなのに酒がまわりはじめたオレにそんなまともな助言をくれたのは、やっぱり薬売りだった。

　くそぉ〜。
　オレって、オヤジ達には勝てない運命なのか？