君を呼ぶ世界 44


 皆それぞれ、頑張っている。

 絵描きと薬売りがいつもより少し遅めの朝食を取り、昼食の弁当を持って出発したのは、エルさんが出勤してくるよりも前だった。女将さんと共に二人を見送り、オレは宿屋の掃除に取り掛かる。
 空いたばかりの二部屋を中心に掃除をし、空き部屋の窓やドアも開けて空気を入れ替える間、裏庭で汚れ物の洗濯。シーツを干したところで女将さんに声を掛けられ、食堂の手伝いに回る。と言っても、オレはまだ厨房では役に立たないので、こちらも掃除が担当だ。
 表を掃きながら、今朝は料理人が遅いなと気付く。いつもなら、もうとっくに来ている頃だ。
 店に戻ると、厨房では女将さんが動き回っていた。オレも手早く客席を整え、手助けを申し出る。
「オレに出来る事、ありますか?」
「それじゃあ、コレ炒めてもらおうかしら」
 ちょっと待ってねと、やりかけの野菜を最後まで切ってから、女将さんは鍋を用意した。野菜と油を入れ火をつけてから、オレをその前へ立たせる。とにかく混ぜろとの指示を受け、オレはお玉で鍋の中を掻き回した。その間に、女将さんは他の料理を作り始め、合い間にオレのところへきて材料を加えたり味をつけたりしていく。
 そうこうしているうちに、エルさんが飛び込んできた。遅れた詫びを済ませると、直ぐに昼食の用意に取り掛かる。
「上出来だ」
 味見をしたエルさんが合格を出し、オレの手の中から鍋を取り大皿へと盛り付けた。味付けは女将さんなので美味くて当然だと笑うと、炒め方が下手だと歯応えが悪くなるんだと返される。本職に持ち上げられるのは、嬉しいよりも恥ずかしいが強く、オレは厨房を二人に任せて宿屋に戻る。
 開けっ放していた二階を閉めて片付け、食堂に戻り暫くすると、本日一番の食事客が入ってきた。注文を取り用意している間に、新たな客がやって来る。
 そうして、いつものように賑やかな昼のピークが始まり、時間がくれば潮が引くようにスッと終わった。
「お疲れ。今朝は悪かったな」
 最後の客を見送り表の看板をひっくり返して戻ってきたところで、エルさんが労いと謝罪をくれる。
「何かあったんですか?」
「いや、ただの寝坊だ。スマン」
「いえいえ、オレは特に何もしてないンで。とにかく、何かあったのじゃなくて良かった」
「そうそう、何て言ったって新婚だからねぇ。寝坊だろうが何だろうが、大目に見ないと罰が当たるってもンだよ」
 メイもわかっているじゃないかと、女将さんが笑ってエルさんの背中を軽く叩いた。気にするな、もうこの話は終わりと言う事なのだろう。実際、遅刻をしたといっても、営業に影響が出ない程度だ。案外生真面目なエルさんの事、かなり反省はしているのだろうし、確かにこれ以上言う事でもない。
 だったら、話題を変えるのにはちょうどいいしと、オレは皿洗いを始めながら昨夜聞いた話を二人に振ってみた。
 この店に王様が通っていたのは本当なのかと。
「突然どうしたんだい?」
 オレの質問に少し目を張った女将さんは、けれども直ぐに表情を変え、「娘っ子みたいだねぇメイ」とニヤリと笑った。
「はい?」
「我が国の王様と言えば、今は若い娘子の人気の的だよ。あの子達が集まれば、彼の噂話で持ちきりだ。子供の頃どの店に通った、どこの何が好きだった。今は何が好き、最近始めた事は何だ――真偽はともかく、そんな話ばかりなのさ」
「へぇ〜、人気者なんだ」
「当たり前だよ。私も、あと、せめて十歳若かったらねぇ」
「…若かったら何だと言うんですか、女将さん」
 年頃の王様ならモテモテなんだろうけど。だけど、階級社会の中で、王様にキャーキャーいう感覚がいまいち良くわからない。アイドルみたいなものか? きっと、完全に別世界の人間として見ているからこそ騒げるんだろうなぁ。だって、階級を気にしたら、ミーハーになるのは恐れ多い相手だろうし。
 とにかく、女って逞しいなァと納得しているオレの横で、これまた女将さんの逞しい発言にエルさんが溜息交じりに突っ込んでいる。
 昨日も思ったけど。民の中での王様は、意外に壁がない。皆、普通に、知り合いを語るような気軽さで王様を話題に出している。王家出身ではないというのは、好感要素なのだろう。
 聖獣のお陰で王になったのだから、当人の資質は二の次にされているのではないかと思っていたが。
 意外に、そうでもないようだ。
「それで、メイは何を聞きたいんだ?」
「何っていうか…。昨夜ムガ爺達に、王様が王城に上がる前は普通に聖獣を連れて王都を歩いていたと聞いてさ。オレ、王様も聖獣も見た事がないし、一度見てみたいと思っているし……ま、簡単に言えばただの興味だから、女の子達と変わらないんだけど」
 田舎者のおのぼりさんだよねと自分でツッコミ笑うと、女将さんにクシャリと髪を撫でられた。
「可愛いわねぇ、メイ」
「いや、可愛くはないです」
 改めてはっきり面と向かってそれを指摘されると、そういうつもりは微塵もなくとも、恥ずかしい。
 オレは確かに、王様を追いかけているけど。女の子達とは真逆の意味でだから、からかわないでくれ…。
 う〜ん、何だってこうなるかなァ…。オレは普通に、昨日聞いた話をただもう少し詳しく知りたいだけなのに。からかわれなきゃ、話が進まないのか…? そんなに、オレって遊び甲斐があるか?
 ないだろう。ない筈だと思いつつも、それを主張するにはオレは力不足で。
 諦めの境地に入り、女将さんのからかいを一頻り大人しく聞く。だがその甲斐あって、遊ばれた後に漸く、オレは彼女の口からも王様の情報を得る事が出来た。同時に、リエムや、ラナックの事も。
「あの子達は、昔から友達なのよ」
 女将さんが微笑んで言ったその言葉は、意外だったが、予想範囲のそれでもあった。
 王もリエムも、そしてラナックも。王立学院に同期で入学した仲らしい。王立学院というのは、その名の通り国が運営する学校だ。十代前半の将来有望な少年を受け入れる学校で、聞いた感じではエリート育成機関のよう。
 因みに。国の制度では最低限の基礎知識は誰でも教会で教われるようになってはいるが、実際にそれを利用出来るのは一部の者に限られているらしい。田舎まではそのシステムは普及しきれていないようだし、都会でも、その日の稼ぎで生活している者が多く居るという事だ。余裕がなければ、教会がどれだけ門を開けていても、学ぶ事は出来ない。
 それと同じように。難関である王立学院の試験をクリアするのは独学では難しく、入学するのは家庭教師や私立の学校に通える環境であった者が大半であるらしい。つまり、元々エリートの出自であるというわけだ。
 そんな学院で、桔梗亭の甥っ子が友達になったリエムを連れて来るようになり。そのリエムの友達だった王様もいつの頃からか足を運ぶようになったようで。「ただ、それだけなんだよ。昔の話さ」と、女将さんはさっぱり笑う。
 だけど、オレとしてはもう。
 王様の幼少期の事よりも。
「ラナックって……頭いいんだ…」
 身内である女将さんを前にしつつも、思わず本音が零してしまう。いや、でも、だって。あの黒髪、そういうキャラじゃないじゃないか。勉強なんて一番似合いそうにないんだけど…?
 ……高校、大学受験を経験した身としては、なんかちょっぴり面白くない。あの性悪虐めっ子が、エリート校にねぇ……若干悔しい気がする。クソ〜。
 ただ。そんな気持ちとは、逆に。
 リエムがそういう学校に通ったのも、お坊ちゃんであるのかもしれない事も、「あ、そうなんだ。やっぱりね」ってな感じですんなり納得出来る。それこそ王様と知り合いであるのも、「聞いてないよ…水臭いなァ」と思うよりも、「へえ、そうなんだ」と感心する方だ。
 出会ったばかりの頃、確かリエムは、王様に会った事があるか聞いたオレに、「王都に住んでいるからな」と答えていた。王様については、普通の男だと言っていた。実際には、会うどころか、友達で。普通どころか、もっと色んな顔を知っているのだろうけど。リエムと言う男は、旅先で偶然一緒になった見ず知らずの相手に、自分は王の知り合いだと晒す愚か者ではない。
 だから、リエムがオレにした秘密は。簡単に受け入れられるもので、むしろあの男の実直さを再確認出来るようなもので、何だか少し嬉しくなってしまう程なのだけど。
「ま、頭は悪くはないんだろうけど。あの性格だからなァ」
「入学しても、卒業しなきゃ意味がないってものだよ。一年もしない内にさっさと辞めてねぇ、困った子だよ」
「…ハイ?」
 エルさんと女将さんの呆れた混じりのその声に、どういう意味だ?と良く聞けば。なんとあの黒髪男は、ほぼ将来が安泰された学校に入ったというのに、そこを辞めて民間の義勇軍に入ったらしい。そうして、そこから順調に出世を重ね、今では近衛騎士様だ。
 凄いと思う。
 ホント、そう思うけど。
 根っからの日本人であるオレの感覚で言えば、ちょっと、変だ。
 ますますもって、変なヤツ。――そうオレは改めて黒髪の事を考え、ふと生まれた違和感にその正体を慌てて掴む。
 叩き上げで伸し上がったあの男が近衛騎士なのに。
 エリート校を卒業したリエムが、王城勤めとはいえ兵士って、どういうことだ?

 オレは勝手に、リエムの事を沢山居る一般兵程度にしか思っていなかったけど。
 案外、もっともっと偉いヤツなのかもしれない。


2009/02/20
43 君を呼ぶ世界 45