君を呼ぶ世界 47
オレは日本人です。
っで。オレとしては、常に日本語で喋っているつもりなんですが…?
神子さまにだか運命の悪戯の神さまにだかなんだかわからないが、とにかくオレが授かった翻訳機能は、本当に出来たものだ。ここは異世界だとわかっていても、つい口にしてしまう地球での日常会話。当然、日本語以外も使ってしまうし、この世界では矛盾するようなものも使ってしまう。それでも、音ではなく、フィーリングで伝わっているのか何なのか、オレが思った通りに相手に伝わる。方言だろうと、英語だろうと何でもござれだ。
逆に、伝わらないのはこの世界には全くないものだ。例えば、パソコンとかインターネットとかはまるでダメ。しかしまあ、それは当然だろう。存在しないものは翻訳できない。
そんな、棚ボタで与えられた能力は。爺さん曰く、本当に神子の影響を受けてのものならば、この世界で生きていくのに困らないだろう重宝なものだという事で。きっとこの世界の全ての言語を有しているのではないかと、オレは確かにそう爺さんに教えられていた。決して、それを忘れていたわけでもない。
だけど、あまり重要視はしていなかったのは事実だ。
何故なら、この世界主に使われているのが二種類の言語だからだ。確かに、それぞれの国や地域など、極一部で用いられている言語も幾つかあるらしいが、オレが降り立ったこの国もその周辺諸国も、スア語が公用語でそれだけ知っていれば困る事は皆無であるという話だったからだ。オレが他の言葉に触れる機会はないだろうと思い込んだとしても、それは仕方がないだろう。
実際、爺さんもそう言っていたし。
なのに何故、こんなところで、何の前振りもなく、翻訳機能の高性能ぶりを知る羽目になるのか。しかも、それを無意識で発揮してどうするんだ、オレ。
少年の胡乱な眼が痛いです。
「……オレ、ギュヒ語、使ってた…?」
片言ながらも訊けるのは、その確認。……いや、だって。喋っているのに、「ギュヒ語ってなに?」とは聞けないだろ…?
「ああ〜、その、な。オレ、たまに無意識で使っちゃうンだ。気にしないで、ね?」
「…ギュヒに行った事があるの?」
「いや、ないない。どこにあるかも知らない。オレ、最近田舎から王都に出てきたばかりで、他国になんてとてもとても」
アハハと乾いた声で笑いつつ、必至に考えて誤魔化しに掛かる。
博識な知り合いにちょこっと教わっただけだから、国の事は何も知らないよとか。オレがギュヒ語を混ぜて喋っていてもここの人は気にしないから、キミもそれに倣ってよとか。要するに、これに関しては余り突っ込まないでよと、それとなく伝えてみる。
神子の能力がここまでのものだと、きちんと把握していなかった自分もなんだけど。使う言語が変わっても感覚ひとつ変わらないこれは、なかなか危険だ。田舎者で通しているオレがどこの言葉でも喋れるというのは怪しすぎるのだから、出来るだけこれは隠さねばならない。
だけど、秘密だと言っても少年の不信を招くし。もしかしたらまた使ってしまうかもしれないし。
もう、気にしないでくれと頼むしかオレには出来ない。
そうしてこれで話しは終わりだと何気なさを装いつつ、内心納得していない少年の視線に怯えつつ、オレは裏口から厨房に顔を出しエルさんに帰宅を告げる。女将さんより一足早く帰った事とリエムに会った事を伝え、庭に居るので仕事が出来たら声をかけてくれと頼み扉を閉める。
「……オレ、いま何語だった?」
振り返り後ろに立つ少年に問えば、オレはギュヒ語で、エルさんはスア語だったとの事。
……気にするなと言っても、無理な話だ。オレだったら、根掘り葉掘り聞く状況だ。
「えっと、オレはメイって言うんだけど。名前、教えてくれるかな?」
「……ボクは、リュフ。妹は、チト」
「リュフは、ギュヒの国の人?」
「……」
名前を呼ばれたと思ったのか、庭の端から駆け寄ってくる幼子を眺めながらした質問に答えは返らなくて。
変わりに、オレの何かを探るような眼で見上げられた。
今更な質問のはずなんだけど、どうして言い淀む? オレ同様、この少年にも聞かれてはいけない事があるのだろうか…?
「ええっと、じゃ。リュフは、ギュヒ語とスア語、両方喋れるの?」
「……スア語は、まだそんなに上手くは喋れない」
成る程、ギュヒ語の方が得意だと言うわけだ。だから、オレとエルさんの会話がそう聞こえたのだろう。
オレは神子の能力のお零れのお陰で、どの言葉も自由に操れる――と言うか。オレの言葉は、万人に通用する。逆も然り。だから、話す相手の言語によって、オレの言葉は勝手に代わっているというわけだ。
う〜ん。なんて、ややこしい能力なのだろう。だが、オレは誰と喋るのも困らない。それは確かに便利だ。だけど、これはちょっとというか、かなり対処し難い。オレには相手が何語を使っているのか認識の仕様がないのだから、警戒の仕様もない。
困った。本当に困った。
だが、俺にはどうする事も出来ない。
あの人もギュヒ語がわかるんだと、エルさんがオレの言葉を聞き取っていた事に感心している少年にどうしろというのか。
勘弁してくれと半泣きである内情を隠しつつ、オレは苦笑交じりに宣言する。
「基本、オレはスア語を使うから。オレがギュヒ語を使っても、無意識にポロリと出るくらいだから大目に見て。ホント気にしないでくれ」
言葉と同じく、フィーリングでどうにかならないだろうか。そんな事を思って、洗脳するように言い聞かせてみる。
…なにやってんだか、オレ。
子供相手に、馬鹿みたいだ。
だけど、あながちこれはそう的外れではないのかもしれない。オレにはその意識はなく、誰とでも問題なく喋れるのだから確かめようもないが。使用言語が相手によって代わっているというのならば、リュフにスア語を使って貰えば良いだけの事。ギュヒ語の方が得意だと言うから、俺の言葉もそう聞こえるのだろうであって、多分同じくらいに堪能ならばオレの言葉はスア語で聞こえるはずだ。臨機応変であるオレのこれは、きっと多数に従うはず。そうでなければ、第三者がいた時に会話は成り立たない。
皆がスア語を使うのだし、オレもそうしているつもりだし。何より、チトはギュヒ語を片言程度しか理解しておらず、スア語に早く慣れた方がいいからと、リュフを言いくるめてみるオレ。上手くいくかどうかはわからないが、オレが出来る対策なんてこれくらいだ。あとは、堪能ではなくてもスア語で捉えて貰えるよう、あまり難しい言葉は使わないようにするくらいか。それも、どこまで適応されるか見当もつかないんだけど。
自分でも行き当たりばったりだと思える作戦に、心中では泣きつつも、とばっちりを喰らった不憫な少年が頷くまで懇々と言い含める。何をしているの?と不思議顔の幼子の視線が堪らないが、これは手を抜けない。
そんなオレの必至さが伝わったのかどうなのか。
暫く黙りこくっていた少年は、オレの不信さに気付いていないわけでもないのだろうに、わかったと了承し頷いてくれた。
これでひと安心――ってよりも。オレ自身納得出来ない部分もあるので、罪悪感が浮かぶ。
それでも、しっくりこないまま、リュフにフッドバッグのコツを教えていると。帰ってきた女将さんが、裏庭に顔を出した。
「メイのお友達かい? おや、まあ懐かしいねぇお手玉じゃないか。ああ、ちょっと待ってな」
突然の登場に驚いたのか、兄妹揃って固まった子供にそう言い置き中へ戻った女将さんは、小さな籠を持って直ぐにまたやって来た。
「久し振りにオバサンも遊びたくなったから作ろうかねぇ」
どれがいいかと、腰掛けた長椅子に色とりどりのはぎれを並べていく。興味深げに眺めていたチトに、「お嬢ちゃんの分も作ってあげるから、オバサンの布も選んでくれないかい?」と上手く頼んでいる。だが、チトはモジモジするばかりだ。
「子供が遠慮なんてするもんじゃないよ」
「そうだぞ、チト。チトが作って貰えたら、オレもついでに作って貰えるかもしれないし」
「なんだい、メイも欲しいのかい?」
「はい、欲しいです。作って下さいお願いします」
「仕方ないねぇ。だが、布を選ぶのは女子供が先だから。アンタは一番最後だよ」
余りもので我慢しなと笑う女将さんに、わかっていますと殊勝に頷きながら、遠巻きにしているリュフも巻き込みお手玉の生地選びをする。
小さな手に合うように大きさを決めたところで、残念ながら時間が来た。食堂の開店時間を告げに来たエルさんが、そこでも遠慮する兄妹に手料理のお土産を問答無用で渡し、三人で帰る二人を見送る。
いつものように賑やかな客に揉まれつつ仕事をこなし、食堂を閉めてから女将さんと一緒にお手玉作りに取り掛かる。
「耳や尻尾なんかをつけるのは難しい?」
お手玉遊びはまだ無理だろうチトには持っているだけでも嬉しいものにした方がいいだろうと、鮮やかな布を選んで勧める女将さんを見ながら思いついた案を、オレは絵に描いて説明しながら訊いてみる。ちょっと手間だがそれをつければ、もっと可愛く出来ると思うのだが。
立体が無理なら、簡単な刺繍でもいいのだけどと。イヌ、ネコ、ヒヨコ、金魚と、思いつくままにオレが描くイメージ画を見て、女将さんは「面白いことを考えつくね」と感心してくれた。小さなぬいぐるみと変わらないようなキャラクターもののお手玉が普通にあったオレとしては、この世界でも一緒だろうと、話が通じると思い込んで提案したのだけど。
そうではなかったらしい。
「いや、オレが考えついた訳でもないんだけど…。こういうお手玉はあんまりないんだ…?」
「私は初めて知ったね。お手玉は、お手玉だから」
「まあ、余分なものがついていたら邪魔だしね。オレが見たのも置いて飾るものだったのかも」
「さて、じゃあ試しにやってみるかね」
乗り気になった女将さんが、継ぎ目はどうだ、刺繍をするならなんだと、あれこれと言いながら器用に型紙なしで布を裁っていく。オレもその向かいで、見よう見真似で作ってみる。
チト用のお手玉は小さなもので、女将さんの腕に掛かれば半時間もしない内にひとつ出来上がった。
「上出来だね」
「チト、喜びますよ」
小さな尻尾までついた派手な柄の子ウサギが、女将さんの掌で飛び跳ねている。
「お手玉をこんな風にするのは、やっぱり面白いねぇ。これなら充分売れるんじゃないかい?」
「女将さんのは商品になるだろうけど…。オレのはダメ、売れないよ」
猫を作っていたはずなのに、予定より耳が小さくなった。これなら猫じゃなく豚だ。不恰好すぎて、売り物には出来ない。それこそ、あの幼子にあげるのもどうかな出来だ。
いっそ開き直って鼻でも付けるか?と考えながら、オレは短くなった糸を捨て、針に新たな糸を通す。
小さな子供達との付き合いは、決して悪くはないけれど。
オレの秘密を、そうとは知らずに知っている少年との付き合いは。
もっと考えねばならないものなのかもしれない。
2009/03/04