君を呼ぶ世界 48
オレにとって、生まれた国とは。
家族と同等なくらい大事な、己を形成する一部分。
ギュヒと言うのは、このハギ国から数国離れた北にある大国で、軍事国家であるらしい。
元々は武器の輸出をする事でどうにか国を維持していた小国だったらしいが、何代か前の国王が戦争好きか何だったからしく、周辺諸国の侵略に乗り出したのだとか。厳しい環境の小さな国が、肥えた土地を求め他国に攻め入るのは、まあ良くある話だろう。
だが、ギュヒの目的は戦争であり、侵略に飽くような事はなく。今もなお領土を増やし続け、周囲に脅威を与えている国は、強くはあるが脆くもあるようだ。全国民を民兵としても扱い、戦う事をまず第一に考える国は、豊かな土地を手に入れようとも国土や民を増やそうとも、貧しさを補えてはいないらしい。
女将さんやエルさんに聞いたギュヒ国の実状は、かなり悲惨なものだった。何よりもまず軍が優先される生活。平民の男達は、呼び出されれば否応もなく戦場に連れて行かれる。その間、残った家族に恩給なんてものはなく、民兵を投入するほどなのだから逆に徴税が増えるほどだとか。そして、男の民兵が足りなくなれば、女や子供も戦争に借り出されるのだともいう。
ギュヒ国にとって、国民は消耗品だというわけだ。少なくなれば、隣の国から奪えばいいモノなのだ。実際、国土を広げたお陰でその駒は増え、餓えた事は無いのだろう。そんなふうに扱われる平民は、まともな生活は当然ながら送れない。課せられた税すら払えない暮らしを強いられ、戦争ではなく日々の中で命を落とす者も少なくないという。
故に、ギュヒ国から他国への亡命者は後を絶たないのだ。
いつの頃からか周辺国に難民が目立ち始め、今ではこのハギ国のようにかなり離れた国にまで逃れてくるようになったらしい。それは、当たり前だろう。隣の国で足を止めていては侵略に飲み込まれてしまい、またギュヒ国民に逆戻りだ。その力が及ばないところにまで逃げねば、安心など出来ないだろう。
けれど。
多分。遠くまで逃げ切れられるのは、国を捨てた者の中でも一握りだけ。
まだ小さい、リュフとチト。二人がこれまでどれだけ苦労してきたのか、オレには想像さえも出来ない。
きっと、母と姉も一緒にいるようだが、この逃れてきた街でも決して楽な生活はしていないのだろう。二人は自分達の事を余り語らないが、ポツポツと会話の端々に落とされる言葉でそれを察する事は難しくない。
どうやら、二人の母親は今は体調を崩しているらしく、歳の離れた姉が一家の生活を支えているようだ。その姉に、リュフとチトは神殿でこの国の事を学べと言われているようで、日中は家から追い出されるらしい。思うに、寝ている母親のことも関係しているのだろう。
ギュヒ国では当然、ギュヒ語が第一言語であるが、学校に上がると直ぐにスア語を学ぶらしい。だが、その学校に上がる前に国を出たリュフは、まだ流暢にはスア語を操れない。チトは逆にギュヒ語は殆どに近く喋れないようだが、まだ四歳なのでスア語もそれなりだ。そんな二人は、案の定というか、何と言うか。同年代から仲間外れを受けているようだ。
神殿は、他国民であろうと何であろうと拒む事はないようだけど。そこに通う者達にも、その精神が培われているとは限らない。特に子供は、違いというものに敏感だ。オレは良くわからないが、やはりギュヒ人にはギュヒ人の特徴があるようで、リュフは直ぐに虐めの対象となったよう。
それでも、リュフの性格上、そんな者に負けそうにはないのだが。彼には守るべき妹がおり、彼女の安全を思えば、神殿での勉強を渇望してはいても、悪餓鬼どもに近付くのは避けねばならない事で。
よって、二人は、様子を見て偶に神殿に通いつつも。殆どの時間を、二人で適当に過ごしているらしい。
いつでも遊びに来なさいねと、初日に女将さんが言った言葉に忠実に従い、毎日顔を出しているリュフとチト。店が忙しそうなのを察して直ぐに帰ったり、休憩時間と重なれば何時間も居たりと、滞在時間はまちまちだが。今のところ昨日までのこの五日、皆勤賞だ。今日もきっと来るのだろう。
それなのに。
可愛い兄妹に癒され和むオレに水を差すような奴がやって来た。ラナックさまさまだ。
「なんだ、まだ居たのか。懲りねぇなァ」
開口一番それか、オイ。あんたも飽きねえな、コラ。この、虐めっ子がッ!!
最後に会ったのは、まだオレがここで働き始めたばかりの頃で、あれから半月は経っているから久し振りなんだけど。このふてぶてしい顔を見ると、一瞬でその時間は消え去ってしまい、全然会っていなかった気がしない。ネチネチやられた日が昨日の事のように蘇る。
申し訳ありません、今さっき昼の営業は終了しましたので。どうぞお引取りを。
そう、言ってやろうかと、目の前に立つ黒髪男をオレは見上げ営業スマイルを顔に貼り付けたのだけど。
「ほらラナック、エルに昼飯頼んできてくれ」
後から来たリエムが入口で仁王立ちしていた男をそんな言葉で押しやり、オレに笑顔で挨拶をしてきた。
「時間外に悪いな」
「ううん、全然。いらっしゃい」
本物の笑顔に、オレも同じそれを返す。眼には眼を歯には歯を、じゃなくて。単純に嬉しい。リエム最高。
男前の爽やかな笑顔。その直前に見たモノがモノなので、心の底から癒される。
正直に言えば、リエム単独で来て欲しかったのだけど。ラナックが単独ではなかったのだから、それはこの際我慢しよう、うん。
遅めの昼食の注文が通ったらしく、厨房でエルさん相手に世間話をしている近衛騎士さまから取って付けたように飛んでくる嫌味も我慢だ。っというか、無視だ。無視。オレと癒しの時間を邪魔をさせてなるものか。
「ああ、そうだ。明後日の昼から、少し時間を取れそうなんだが。王都観光と行くか?」
「ホント!? 後で女将さんに聞いてみるよ」
「今の時間くらいで……いや、もう少し早く迎えに来れると思うが」
「じゃリエム、ここで昼飯食べろよ。忙しい時間帯はオレも居る方がいいだろうし、それで女将さんに頼んでみるよ」
「ああ、俺はその日はもう仕事はないし、メイのいいようにしろ。っで、どこへ行きたい?」
何を見たい?と訊いてくるリエムに、オレは何でも見たいんだと答える。流石にこの辺はそれなりに歩き回っているし、お使いや付き添いで、少し離れた市場なんかにも足を踏み入れているけれど。観光のように見て回った事は、実はまだない。市場や通りでちょっと気になる店を見つけても、仕事中なので歩きながら眺める程度だ。
もっと、この街を、ここでの暮らしを覗きたいし、満喫したいし。王都のあちこちを見たいし。出来るのなら、その周囲の事も知りたいし。
とりあえず、観光名所は制覇したいなとか。王都に来たのだから、王宮を出来るだけ近くで見てみたいなとか。女将さんに色々本を借りているけど、自分でも欲しいなとかなんだとか。リエムの上手い相槌に思いつくままに喋っていたら、エルさんに呼ばれた。
「メイ、ちょっと来い」
「あ、はい!」
うっ、仕事忘れていました。ごめんなさい。
働きます!と、慌てて立ち上がったのだけど、エルさんが示したのは庭へと続く扉で。
「ああ、リュフ、チト。いらっしゃい」
開けてみれば、いつものように裏からやって来た小さな兄妹がそこに居た。
エルさんに言われて二人を厨房へ招くと、見慣れぬラナックに驚いたらしく、二人揃ってオレの後ろに隠れる。
「何だ、そいつら」
「メイの客だ。ホラ、お前はこれ持って向こうへ行けラナック」
「居候の癖に、勝手な事してんじゃねぇぞ」
「……いや、あの、」
別段声を荒げているわけではないのだけど、この威圧感をどうしよう。完全に固まった子供を守らねばいけないのだろうけど、オレも逃げたい。だって、対峙しても意味なさそうだし…。
マジ、逃げてもいいよな?
「いいから、行け。リエム、自分の分取りに来い。ついでにこいつを連れて行け」
やっぱり庭へ…と、オレは早々にそんな算段をしたのだけど。エルさんがラナックを遠ざけてくれたので、子供に無様な逃亡姿を見せずに済んだ。カウンター越しに皿を受け取りラナックを呼んだリエムも、驚愕中の二人に気を使ってかこちらに構わずに戻る。
「あいつらの事が気になるなら、外で食え」
エルさんが二人を呼んだのは、おやつを与える為だったらしい。何故かオレもそのお零れに預かり、庭の長椅子に三人で並んで座り、チュロスのような形の甘いパンを齧る。
「だあれ?」
「ああ、オレの友達と、…エルさんの友達」
虐めっ子だと紹介するのは流石になァ…と思い留まり、二人が気になるらしいチトに無難な答えを返しておく。
だが。
「……兵士、だよね」
リュフの固い声に、オレは複雑な心境ながらも苦笑する。
多分だけど。この街を守る兵士達は、あまり彼らには優しくは無いのだろう。少なくとも、この子供にとってはそれだけで警戒するに値するようだ。
「うん、まあ、そんな感じ。でも、王宮勤めの出来た奴らだし。大丈夫だよ、心配ないから」
それに、さ。オレは確かに情けないくらいに弱いけど。
相手が彼らであるならば、必要な時は噛み付くよ。君達を守るよ。
言葉には出来ないけれど、そんな思いを込めて。オレは両隣の子供の頭を撫でる。
オレは、どんな状況に陥ったとしても、生まれた国を捨てる事は絶対にないだろうけど。
この小ささで、それをせざるを得なかった二人に、オレは何が出来るのだろうか。
2009/03/09