君を呼ぶ世界 50
右も左もわからずに、新しい国で奮闘するその小さな姿は。
オレと同じなのかもしれない。
エルさんに頼まれて、近くの店に酒を買いに行った帰り。
見知った人影が、前を横切った。
「おっ?」
オレが歩く広い通りを渡り路地から路地へと駆け抜けたのは、仲良くなった幼い兄妹だ。此方に気付く事も無く消えたその影に、何を急いでいるのだろうかと首を傾げかけたところで、二人が出てきた脇道から子供がわらわらと出てくる。
五人ほどの子供が騒ぎながら、オレの前を横切って行った。明らかに、誰かを追いかけている言葉を吐きながら。
「……」
大人から見たら、まあ本人達がどれほど真剣であっても、声変わり前の少年達のそれは微笑ましくもあるのだけれど。追われているのが気に掛けている子供となれば、見過ごす事も出来ない。
……だけど、なァ。
鬼ごっこであるわけもなく、二人は窮地に陥りかけているのかもしれないが。オレが出て行って首を突っ込んでもいいのだろうか? 今助けるのは簡単でも、この後の事を考えると、子供の喧嘩に大人が入り込むのもなァ…。
どうしたものかと、それでも子供達の後を追う。
追いかけるのに夢中の悪餓鬼どもはオレに気付く事無く、チトの手を引き走る為にどうしても遅いリュフを追い詰め取り囲んだ。
いや、ホントどうしたものか。
手を出されるようなら止めなきゃなと、少し離れて様子を覗おうとしていたのだけど。周囲を睨んでいたリュフがオレに気付き、一瞬驚いた後、はっきりと「メイ…ッ!」と助けを乞うように呼びかけてきた。
流石、お兄ちゃん。迷っているオレとは違う。守るべき妹の事を思えば正しい判断だ。
だけど、本人としては結構苦汁の選択なんだろうなと。リュフの表情に内心で苦笑しながら、オレは酒瓶を抱えなおし、気さくな態で歩み寄る。
「なんだ、リュフ。今日は沢山友達を連れているじゃないか」
近寄ると案の定、少年達はオレを警戒し胡乱な目を向けてきた。だが、流石にオレとて、十歳前後の子供に負ける訳もない。
「いいなァ、チト。お兄ちゃんいっぱいで。遊んでもらっているのか?」
相変わらずリュフは周囲を睨んでいるが、兄にしがみ付くチトはオレの登場に安心したのか、「…違うもん」と唇を尖らせ小声ながらも反論してくる。その頼もしい幼子の頭を撫でながら、「こいつらまだこの街に慣れていないから、宜しく頼むな」とオレは警戒中の少年達に頭を下げた。仲良くしてやってくれと。
威圧感は皆無のオレなら、下手に出れば子供とはいえ舐められるのかもと少し思っていたが。流石に大人だと判断してくれたようで、オレの言葉にバツが悪くなった少年達は、ひとりが「…行こうぜ」と周りを促すと反論も無く素直に立ち去った。
皆を引き連れた少年は、もしかしたらオレがリュフとチトと出会った場にいた子なのかも。覚えてないけれど、彼が悪餓鬼どものボスならありえる話だ。
う〜ん、顔、覚えられたか…?
「……ありがと」
完全に少年達が消えたところで、肩から力を抜いたリュフがオレの脇腹あたりを見ながら言った。目を合わせ辛いのだろう事を知っていて、意地悪なオレはしゃがんで顔を覗いてやる。
「いや。助けになったのならいいけど…、余計にややこしくしちゃったのかも。ゴメンな」
「……どうせ一緒だから」
あいつ等の虐めは変わらないと、諦めと憤りが混じったような何とも言えない声で淡々とリュフは口にするけれど。ボスくんと今日が二度目ましてであるのならば、向こうも子供なりに頭を使って大人対策をするかもしれないし。
「大丈夫かな…?」
「平気だよ。あんな奴等、どうってことないし」
「そうか、リュフは強いな。チト、頼もしい兄ちゃんだな」
強がりなのかもしれないが、少年の言葉にオレは表情を緩める。
「ま、でも。もし何か困った事やオレに出来る事があったら、言ってくれよ。な?」
不憫といえばそうなんだけど。この歳ならばこういうのも経験してナンボだし、これからのことを思えばリュフ自身が乗り切らねばならないし。喧嘩をしろとは言わないが、その意気で頑張って欲しい。
負けないでくれよとの応援のつもりで言ったオレの言葉に、リュフは曖昧ながらも頷いた。オレを頼りないと思っているのではなく、頼って迷惑ではないのかどうかの判断をしかねているようなその様子に、オレは酒瓶を足に挟み両手を伸ばす。
いや、もう、ホント。お前達はイイ子だねぇ。
可愛くて仕方がなくて兄妹の頭をグリグリ撫でていると、腕の間からリュフがじっと物言いたげな視線が。何だ?
「ン? 何?」
「……言葉」
「あ、悪い。また使ってた?」
その指摘に、ギュヒ語を話していたのに気付く。と言っても、それはリュフにのみ聞こえているものなのだけど。
自分に授かった翻訳機能の性能を知って、オレは意識してこの国の言葉で話すよう心がけている。その甲斐あって、リュフにも普段はきちんとオレの言葉はスア語に聞こえているようで、時折会話の中で翻訳を頼まれる事もある。だが、それでもまだ完璧ではないようだ。
オレってダメだなと笑えば、「…昨日も使ってた」と言われた。
「え? いつ?」
「別れ際に…」
そう言われ、確かにあの時じっとりと見られていたなと思い当たる。そうか、あの視線はそう言う意味だったのか。リエムがいた手前、あの場での注意は避けてくれたのだろう。しかし、他をシャットアウトしてギュヒ語で話すわけではないので、気付くのはリュフだけでありリエムに聞かれていても何も問題はないのだけど。
オレが適当に頼んだ事を律儀に守ってくれている少年に、今更だが改めて申し訳なさが浮かぶ。リュフにとっては、オレはとても奇妙な奴であるのだろうに、なんて義理堅いのか。ホント、素直ないい子だ。良い子過ぎて困るくらいに。
しかし、それにしても。言葉が万人に通用するのは考え物だ。
オレが来訪者であり、神子の能力の一部が備わっていると知っている爺さんに、こうした事態の上手い対処法を聞いておくんだった…。
「そっか。気を付けるよ」
何処にどんな奴がいるのか分からないし、オレ自身よく分かっていない力だし。気を引き締めてもっと注意しないとなァと改めて思っていたところで。
「……メイは、ギュヒが嫌いなの?」
そんな、軽いジョブが来た。
「いや、そんな事はないけど……どうして?」
「…ギュヒ語を使いたくないようだから」
「それも、そんな事はないんだけど……」
尻すぼみになってしまう声に、説得力は皆無だと自分で気付く。当たり前だが、リュフにしてみれば、オレは確かにそんな風に見えるのだろう。偶に無意識のようにギュフ語を使うが、本当は使いたくないのだと思わせる態度。当然だ。実際、オレは喋れる事を厄介だと思っているし。
だけど。流石にこの子供の前でそれに頷くのは非道である。
「あのな、リュフ。オレはどこの言葉が良いだとか悪いだとかは思ってないよ。ただ、ここはスア語を使う国だから、スア語で話したいと思っているだけだ。それは、リュフと喋る時も同じ。だって、ギュヒ語の方がリュフとの遣り取りは便利でも、周りには何を言っているのか分からないだろう? 誰だって、隣の人が自分の知らない言葉で話しているのは面白くない」
そう思わないかと問えば、リュフにも覚えはあるのか、オレの目を見たまま深く頷いた。
「だからオレはさ、ここではスア語を使わないといけないと思うんだ。オレとリュフが今ギュヒ語で話していても、チトは不安にはならないだろう。会話に加われないから楽しくはないだろうけど、チトはリュフのことを信頼しているから、嫌な気にはならない。だけど、これがさっきの子達ならどうだ? もしかしたらお前がオレに意地悪された事を告げ口していると思うかもしれない」
「ボク、そんな事しないよ」
「そうだな。だけど、聞き取れないからわからない。わからないから不安になって、悪い事態を想像する。例えば、昨日会ったあのラナックならさ、オレがギュヒ語で誰かと喋っていたら、何かを企んでいるんじゃないかとオレへの警戒を一層強めるだろう。あいつはオレを信用していないから」
「…メイは、あの人と仲が悪いの?」
「まあ、良くはないな。でも、リュフが心配するほどでもないから」
どこか不安げな眼で問い掛けられ、オレは自分が馬鹿な例えをしてしまった事を知る。だが、昨日のアレではそんな事はないというのも白々しいので、オレは心の中で謝りながらさらりと流し話を戻す。
一方的に遣られているオレには、子供相手に言える事はない。あの男が大人な対応で、リュフの不安を解消してくれる事を望むばかりだ。
「なあ、リュフ。言葉は絶対じゃないけどさ、重要なものだよ。相手に不安を抱かせ誤解をさせない為にも、さ」
でなければ、自分が損をするのだと。流石にそんな身も蓋もない言葉を子供相手に言いはしないが、結局はそれに尽きるだろう。この少年のアイデンティティをどうこうするわけではないが、同郷人の前以外ではギュヒ語は控えるべきだ。特に、好意を持ってくれない者の前では。
「ボク、頑張ってもっとスア語を話せるようになるよ」
純粋な子供相手に、下手な処世術を教えたような気分にもなり嫌気が差しかけたところで。オレの気鬱を払うかのように、リュフはそう言ってぎこちないながらも笑顔を浮かべてくれた。
思わずその頭を引き寄せ、肩に押し付けるようにして腕で抱く。
そう、オレも。
オレも、もっと頑張らないと。
2009/03/16