君を呼ぶ世界 51
今日も快晴。
お出掛け日和。
約束通り、リエムは昼のピークを終える頃に遣って来て桔梗亭で昼食を摂ってから、オレを街へと連れ出してくれた。
さて、どこへ行こうかと。のんびり歩きながら話し合い、とりあえず王都で一番賑わう場所を見に行ってみる事にする。王宮の正門近くにある、この国の特産品などの土産物屋や他国の輸入品店などが多くある、王都のメインストリートのようだ。
少し強く感じる日差しの中をリエムと並んで歩きながらも、子供とすれ違うたびにオレはそちらへ目を凝らしてしまう。
よく覚えていないし、見つけた所でどうしようもないのだけど。リュフとチトを追いかけていた子供では?と思うと、どうしてもやめられない。気になって仕方がない。
「どうした?」
振り返ってまで見知らぬ子供を見ているオレに気付いたリエムが、同じように首を回らしながら聞いてきた。
いや、何でもない。そう言おうとしたのだけれど、何となく思い直して、「実はな、」と先程も職場でした話をもう一度オレは口に乗せる。
仕事が休みで家にいた姉に、「教会で勉強してきなさい」と言って追い出されたらしい兄妹とは、あのままあの場で別れた。また明日と二人の姿が路地に消えるまで見送ってから、明日は会えないのかもと気付いたのだけれど。追いかけるほどの事でもないし、もしかしたら午前中に来て会うかもしれないし、と。
そう思って昨日は済ませたが、結局オレが出掛けるまで二人は現れなかった。悪餓鬼どもにまた追いかけられているんじゃないかと気になったが、家の場所を知らないオレにはやって来てくれないとどうしようもないので、休みを貰う礼と一緒に女将さんとエルさんに彼らが来たら宜しく頼むとお願いしておいた。昨日の事を簡単に話して、気に掛けて遣って欲しいと。
だから、大丈夫なんだろうけど。
流石に昨日の今日なので、こうして遊びに出て来たと言うのに、頭の隅から離れない。
虐められているようだとオレが事情を説明すると、まず「相当可愛がっているようだな」と苦笑したリエムは、続けて「たとえ遣り合ったとしても大丈夫だろ」と思わぬ太鼓判を押した。
「なんで?」
「妹を守る兄貴は一端の騎士だからな。守るべきものがある限り、殴られ蹴られたとしても負ける事はないさ」
妹が居ると言っていたし、自身にも覚えがあるのだろうか。口角を上げて笑い顔を作りながら、まるで何よりもの真実のようにそう言ったリエム。
だけど、さ。うん。
そうだろ?と、同意を求めてくるその笑顔には悪いけど。そういう精神面も確かに大事だけれど。オレとしては可愛い少年が殴られ蹴られるのも回避させてやりたいんだけど。
っていうか。叩かれる程度なら、まだ許容範囲だけど。殴る蹴るは、子供同士の喧嘩であっても問題だ。
「暴力はダメだろ、暴力は」
兵士が言うそれは、妙にリアルで。袋叩きされるリュフを想像してしまって顔を顰めたオレは、なんで子供の喧嘩でそんな事をとリエムを睨むのだけど。リエムは何を言っているんだとの態で、「虐められているのならある事だろう」としれっと言い切る。
いや、まあ、それはそうなのかもしれないけど。可能性が高いのはわかるけど。
相手は、まだ十歳にも満たない小さな子供達だ。まさか、と言う思いの方が強い。からかいの延長のような意地悪はわかるけれど、一方的な暴力に発展するなど考えないだろう、普通。子供だからこその残酷さはあっても、それは行き過ぎだ。
明日リュフに会った時、手を上げられた事があったのか聞いてみないと。彼の顔に青痣なんて見たら、オレは間違いなく泣くぞ。
「男なら、子供の頃の喧嘩のひとつやふたつ普通だろ。確かに、お前は無縁そうだけどな」
「いや、オレだって喧嘩をした事はあるけど」
「へえ、強いのか?」
「……口喧嘩専門です」
正確に言えば、子供の頃は癇癪を起こして、叩いたことも噛み付いたこともある。近くにあったものを相手に投げつけたこともある。だけど、リエムが口にするのはその程度のものではない。もっと生々しい喧嘩のことだ。
本気の拳で勝負なんて日本人男子はしないのが普通なんだよと。オレの答えに喉を鳴らすリエムから視線を外し、軽く頭を振りながら喉の奥で唸る。
虐めでも喧嘩でもなんでもいいから、子供は子供らしくしろ。大人の真似のような事は、もっと責任が取れるようになってからなんだぞと。溜息を吐きながらそんな事を胸中で呟き、ふと思う。
そう、大人だ。大人なのだ。
この国の子供にとって、暴力とも成り得るような他者を圧倒する力は、オレが思う以上に身近なものなのだ。
「だが、今はどうだ」
「え? 今って?」
「あいつに虐められているだろう。ああもネチネチやられたら、一発殴ってやりたいとラナックに対して思うんじゃないのか?」
経験はないが覚えはあるだろうと指摘され、件の男を思い出しオレは顔を顰める。確かにそれは的を射ている。だけど。虐められるといっても、リュフが街っ子にされるソレと、オレがあの男にされるそれは全く違うものでもある。
もし、同じように考えるならば。それは、オレが来訪者として迫害されるというもので。ラナックがもし女将さんへの好意とは関係なく、オレ自身をそう意味で攻撃してきたら、オレはどうするのだろう。
リエムの言葉に促され、それを想像してみるけれど。やっぱりそうなったとしても、暴力に訴えられたとしても、きっとオレは拳は握れないだろう。武器も持てないだろう。逃げる為に抗うだけで一杯いっぱいになるのだと思う。確信と言うよりも、それしか思い描けない。
だから。
いまオレがラナックに対して思うものも、暴力程のものじゃないのだろう。
「そりゃ、いい加減にしやがれ!って頭を叩きたくなる事もあるけどさ。我慢してるとか何だとかじゃなく、オレの中に、腹が立つから人を殴るだとか、気に入らないから痛めつけるとかいうのは余りないんだよ。だからって、今まで誰に対しても力を振るた事はないのかと言ったら、そうでもない。冗談半分で友達を叩いたり蹴ったりはしたさ、オレだって。だけど、怪我を負わすようなものは一度もない」
昔はそうでもなかったのだろうが、オレの世代はもう、暴力というものに対して免疫がない。親でも教師でも、子供に手を上げるのを善しとされない時代の中で育ったオレには、肉体に加えられる力は馴染みのないものだ。
だが、この国の人々は違う。
隣を歩くリエムの腰に下げられた剣を見て、擦れ違う体格の良い男達を見て、ここでは身近なのだと思い知る。
「第一さ。近衛騎士の男を、オレなんかがどうやったら殴れるっていうんだよ。叩こうとした瞬間、逆にやられるよ」
殴るのは嫌だけど殴られるのも嫌だと肩を竦めて苦く笑うと、「ま、あいつのアレは放っておくのが一番だからな。賢明だ」とリエムは言ってオレの背中を軽く叩いてきた。
オレがあの男でも、他の誰かでも、本気で殴ろうと思う時は。それ相応に追い詰められた時になるのだろう。
オレの拳は、リエムやラナックが持つ剣と同じだ。慣れている慣れていないもあるけれど、簡単に振るってはならない重みが確かにある。それは、弱くても何でも、これがオレの唯一の武器だからだ。簡単に使っていいものではない。
オレにとって誰かの身体に拳を叩きつけるのは、ナイフで差すのと同じ。平常心では、選択しない凶器。
極普通に日本で生活していたら考えなかっただろう事を考えて、オレはそんな結論を出す。これが正しいとか、逆が間違っているだとかはわからない。ただ、オレは誰も殴りたくないし、殴られたくないし。そういうのを見たくもないと言うのが本心なのだ。
「しかし、体術なり剣術なり、鍛えるのは悪くはないぞ。興味はないのか?」
「兵士になるわけじゃなし、必要ないよ」
「だが、お前だって良い歳した大人の男だ。それで大事なものを守れるのか?」
正門へと続く道を進むに連れ、人通りが多くなる。だが、それよりもオレの関心は、そこから離れ高い塀の向こうへと向かう。
丘と言うよりも山だと思えるその頂上に建つ王城が、午後の日差しに照らされている。
「拳も剣も握れない。そんなオレは何も守れない。――ここは、そこまでオレに厳しいのか?」
「……いや」
否定と言うよりも、驚きに言葉を詰まらせたようなその声をオレはわざと気付かない振りで拾い上げる。都合の良いように。
「うん、オレもそう思う。だからさ、大丈夫だろ?」
リエムが言った言葉は何よりもの真実だ。この国の誰もが武術に長けているわけではないだろうが、少なくとも、力も知識も何もないオレが何かを守ろうとするのならば、力を身につけるのが手っ取り早い方法だ。今のオレでは、自分自身を、この国で出会った大事な人達を守る事は出来ない。
でも。それでも。心配はあっても、不安はない。
「弱くても、どうにかなるさ。なあ、なるだろう?」
今、オレは守られる側で。そのオレが何を偉そうに言うのかと、自分でもそう思うけど。
こうしてここで立っているだけで精一杯なオレには、武器を持つ余裕はない。それがどれほど無謀で、逆に命取りであったとしてもだ。
それに、きっと。武器なんてものを持った瞬間、オレはオレを傷つけてしまいそうな気がする。そんなものは、たとえ存在に慣れても持たない方がいい。どこかで怖いと思っているほうが丁度いいものだ。
「勿論、いざとなった時は力になってくれるんだろう?」
だからこのままでイイんだ、と。ニヤリと笑って隣を振り仰げば、「全くお前は…」と呆れなのか安堵なのかわからない短い息を吐いて、リエムはそれでも頷いてくれた。普通は嘘臭く思える、その答え。だが、拒否も逃げもしないところが、この男にはとても似合っている。
流石、兵士。流石、リエム。男前。
頼りにしているよと、自分よりも少し高い位置にある厚い肩に手を置きオレは笑う。
それでも、もしもオレが敵となったのなら。
リエムは躊躇う事無く、オレにその剣を向けるのだろう。
それはきっと、絶対だ。
2009/03/19