君を呼ぶ世界 53
隣の芝生が青く見えたとしても。
本当に青いとは限らないのだ。
桔梗亭の周りは食堂や飲み屋、そして宿屋が主だ。少し離れたところにある市場には日用雑貨なども売っているが、メインは食料品なので。本当に飾らない商店街といった感じで、行動範囲がその辺りで止まっていたオレにとっては、この繁華街は目新しいものばかりで落ち着く暇がない。
旅一座の子供たちと一緒に買い物を楽しんだ事はあったけれど。あの街の市場も王都に近いだけあって、なかなか沢山のものが揃っていたけれど。やっぱり本場は活気はもちろん規模からして違う。半日ではとてもではないが見て回れない。
工芸品店でも、宝石店でも、ペットショップでも。見るもの全てに興味を惹かれて、片っ端から店を攻めて行く。
そんなオレを制する事無く付き合い、案内をしてくれているリエム。
ごめん。騒ぎすぎだとわかっているんだけど。止まらないんだな、これが。
「次行こう、次!」
一頻り、用なんてないのに丁寧に織られた絨毯を眺めて満足したところで、リエムを促し隣の店へと移る。何を見るどこへ行くと立てていた計画はどこへ消えたのか。順番にウィンドーショッピングをこなしていくオレ。
いや、でも、マジ。ホント楽しいんだよ。
どう考えても、絶対に買わないつまらないお土産品でも、面白くて仕方がない。元居た世界でも見た事があるような子供騙しの玩具でも何でも、手に取らずにはいられない。
これはきっと、旅先マジックにオレは掛かっているのだろう。大した事はないと頭の隅でわかっていても、今まで見向きもしなかったじゃないかと気付いていても、今は何故か妙に特別に見えてしまう性質の悪い症状。流石に、衝動買いはしないし、今のオレの財力ではしたくとも出来ないのだけれど。この高揚は抑えがたい。
あの時はしゃぐラルやキィマを笑ったけれど、今のオレは彼女達と変わらない。まさに、田舎から都会に出てきた子供が、物珍しいものに齧りつき興奮しているそのもの。
だから。リエムも流石に呆れているんじゃないかと、古書店へ向かいながらちらりと斜め後ろを窺えば。
思わず戸惑うくらい、もの凄く微笑ましい表情で見られていた。
予感的中だ。
「な、何だよ?」
何となく、恥ずかしいというか、バツが悪くて。訊きながらも顔を前に戻してしまう。
「そんなにも楽しんでくれるのなら、連れて来た甲斐があるなと思ってな」
こっちも楽しくなるよと、慣れ親しんだ場所であるのにそんな事を抜かすリエムに、オレは足を止め溜息を吐く。なんか、一気に力が抜けたぞ。その顔で、なんて台詞を口にするんだこの男は。
深い意味はないとわかっていても、半分以上そう聞こえるんですが。オイ。
何て言うか。男の爽やかな色気垂れ流し、だ。気質的にそうではないのだろうから、これは天然部分のなせる技か。
「どうした?」
疲れたのかと、顔を覗き込んでくるリエムを上目遣いに見やる。
「なんか今、もの凄く、アンタに惚れられている錯覚に陥りそうになったんだけど」
「何だって?」
「リエムってさ、オンナ慣れしまくりだろ? 口説くのもあしらうのも上手いだろ?」
「突然どうした」
「いや、何て言うか、言葉がさ。時々、妙にそんな感じ」
「どんな感じなんだ?」
「同じ男でもドキッとしてしまうような恥ずかしいこと、平気で言ってくるよな。ってか、素で言うから余計になんか、甘過ぎって感じ」
男前が笑顔や優しさを無闇に振りまくのは性質が悪いぞと、本気の本気で忠告としてオレはそう言ってやる。
だけど。
オレの指摘に己を顧みていたリエムは、それを無視してまたステキな笑顔でのたまってくれた。
「無闇になんてしないさ。お前だから、俺は優しくしているんだ」
心外だなと、笑う男。これは確信的にしているのだろう。オレの照れを理解してからかっている。けれどそれ以上に、その言葉を真実だとも思わせる空気がそこにある。
「だから。そういう事は思っても、あんまり面と向かって言うなよ。オンナ相手に取って置け」
「ははは、照れるな」
「…照れさせるな」
「怒るなよ。だが、お前だってドキリとするような事を言ったりするじゃないか。お互い様だろ?」
「嘘つけ。するかよ、ンな事」
「ま、メイのそれは、色っぽさなんて皆無な、子供のような素直さ全開のそれだからなァ」
お前からの好意を感じる事はあっても、恋心を感じる事は全くないと。だから俺は困っていないからそのままでいろと。あって堪るかよな事を抜かして肩を竦めるリエムに、からかってくれるなと釘を刺すのを諦め、両手をあげる。
「悪かった、オレが自意識過剰でした。許して下さい」
「逃げるなよ」
「見逃がせよ。さ、気を取り直して、行こうぜ」
「お前が言うなよ」
話を振ってきたのはお前だろうと、呆れたように笑う男からそそくさと逃げるように離れ、角を曲がって表通りから逸れる。
さあ、バカ話は終わりだ。
本日一番の目的と言っても過言ではない本屋は直ぐそこにあって、なかなか広い店構えだった。店先で、重そうな本を抱えた男と擦れ違う。
「いらっしゃい」
「こんにちは。あの、旅行記みたいなのなら、どんなのがありますか?」
声を掛けてきたのは、書店員にしてはやたら筋肉隆々の男だった。この規模からするに店主だろうと思い訊ねると、「そうだなぁ」と顔や体格に似合わず親身に探してくれる。子供向けのものから、本格的な随筆まで。これはどこの国のだとか、この作者はちょっと偏っているがとか、注釈をつけながら並べてくれる本をパラパラと見ていると、漸くリエムがやって来た。
「久し振りだな」
「ご無沙汰しています」
「今日は何だ?」
「客を連れてきたんですよ」
リエムがそう言いオレを示すと、「何だお前の連れか」と店主は短い笑いを落とした。
どういう意味だ、その笑い。
そう気になって手元から顔を上げたが、二人の話しは早くも違うところに移っていた。なので、再び視線を落とすが、耳にはそれが入るのは止められない。
「さっきまでハースが来ていたぞ」
「ああ、そこで会ったよ」
「フィナのこと聞いた。急だったんだな、残念だ」
「ああ……だが、急でもないんだ。本人も前から覚悟していたからな」
「それはそれで辛かっただろう、可哀相に」
まだ若かったのにな、と。何の話をしているんだろう、先程の先客がハースなのだろうか、フィナって誰だろう。何となく耳に入る会話にそんな事を頭の隅で思いながら本を取り替えた時、店主が言ったそれで話の内容が憶測出来てしまった。
多分、フィナという人は最近亡くなったのだ。
その後もポツポツと続いた会話に、件の人物がリエムにとても近しい人であったような事を知る。
「決まったか?」
「あ……ああ、うん…」
いつの間にかオレは本ではなく、隣の男を見つめていたようで。その視線に気付いたリエムが振り向き、そう訊ねてきた。その顔に、嘆きはない。今日ではなくこの前からの事を思い出してみても、親しい人を亡くした様子は皆無だ。
勿論、会っていない日の方が遥かに多いのだけど。
贅沢は出来ないし、欲しくなればまた来ればいいだけなのだから、オレは適当な長さのある随筆集を一冊買った。内容は、砂漠の町を出発し、海を渡って島国へと行き着くまでの日々の日記だ。ちょっと見た限り、単調過ぎて面白味に掛けそうだが、この世界の事を勉強するのが目的だから、このくらい淡白な方がいいかもしれない。
店主と挨拶を交わし店を後にしながら、オレはどうしたものかと少し迷う。
亡くなったその人物に、触れるべきか、触れないでいるべきか。
店主が話題にしない限り、リエムはオレにそれを聞かさなかったのだろう。横に居ながらも、事情を知らないオレに説明しなかったのは、多分そういう事だ。きっとリエムの性格からして、嫌だとかなんだとかではなく、オレ達の間には不必要と判断しての事だろう。
だったらそれに倣い、オレも訊かなかったことにするか…?
いや、それもそれで、不自然だ。
けれど、デリケートすぎる話だ。直接説明されていないしなぁ、やっぱり…と。そう考えていたのだけれど。
表通りに戻る手前で、ばっちりと目が合って。答えを出す前に、オレは口を開いていた。
「あのさ、…友達、亡くなったんだ…?」
「ああ、この間な。昔から身体が弱い奴だったんだ、性格は強情だったんだがな」
仕方がなかったんだ。だから、お前が気に病む事じゃないぞ、と。オレはそんなに深刻そうな顔をしていたのか、リエムは言いながら片手を挙げ、指の背でオレの頬を一度軽く叩いてきた。
触れられたそこを手で擦りながらその人は幾つだったのか訊くと、「二十五だな。オレよりひとつ下だ」とさっぱりと答える。
そして。
「それより、さっき店に入る時擦れ違った奴がいただろ?」
リエムはあっさりと話を変えた。
当然、あんまり知らないのに訊くのもなんだしと、オレもそれに乗る。
だけど、さ。
そこで爆弾を落とすのはどうかと思う。
「あの人がハースだ。エルの相手」
……予感はあるけど、敢えてここは訊かせてくれ。
何の相手だ、オイ!?
2009.03.26