君を呼ぶ世界 54
オレだって聖人君主ではないから。
人を羨むことも、妬むこともある。
男のオレから見ても、外見も中身も男前なリエム。その彼に友人知人が沢山居るのは当たり前で、それは生まれ持った気質だけのことではなく、本人の努力もあってこそのものだとわかってはいるけれど。それでも、この世界でどれだけ知り合いを作っても心許ないオレとしては、リエムを羨ましく思っても可笑しくはないだろう。
既にいいものを沢山持っているその男が、民に慕われる王様と馴染みだと知って、ほんの少しその恵まれた人生を妬ましくさえ思ったのも仕方がないはずだ。訳もわからず異世界に飛ばされたオレには、そのくらいの僻みもまた許されると思う。
だけど。結局はリエムも、強運に恵まれていようとも何であろうとも。無情な人の世に生きている事には変わりはなくて。親しい友人を亡くして心を痛めていたりするのだ。それこそ当たり前だけど、リエムはリエムで苦労をした事も不幸を味わった事もあっただろう。
少なくとも、オレに一方的に妬まれてよいほども軽い人間じゃない。それこそ、この先彼もまたオレのように、順風満帆に見えるそれを一瞬で失う羽目になるのかもしれないのだ。人生、何があるかわからない。
だから、ホント。そういう理由も理屈も全てを抜きにして単純に、悪意も無い気軽な気持ちで、オレは羨んだのである。ツーと言えばカーと言った、反射的にそう思っただけで、本気でその人生と、その立場と変わりたいと願った訳ではない。
誰にだって、感心しつつも羨んでしまう気持ちはあるだろう。己が見ているのは一部だと自覚しつつも、羨ましすぎると妬む気持ちは止められないものだろう。でも、だからって、子供ではないのだからそれを相手から奪おうとは思わないはずだ。
それなのに、オレはリエムの口から友人を亡くした事を聞いて。
何て言えばいいのかわからないけれど、少しだけ安心のようなものを胸に浮かべたような気がする。可哀相にと哀れむ事で、どこかで持っていたのかもしれない卑屈さを少し振り払ったような気がする。
何であれ、リエムが胸を痛めていることが。この完璧男もどうにも出来ない壁にぶつかったのかと思うと、今までとは違った親しみが浮かんで、勝手に仲間意識なんかを持ってしまったような気がする。
でも。それが、いけなかったのだろう。
「夕飯、食べて帰るだろう?」
少し早いが行くかと、いつの間にか夕日に染まる街中でリエムは颯爽と歩き出すのだけれど。
オレは、無理。全然、ダメ。
「メイ? どうした?」
爆弾を投下しておきながら、早くもそれを忘れたかのようなリエム。けれどその破壊力は桁外れで、マヌケにも動けなくなったオレ。
後に続かないオレを訝り、進んだ分だけ足を戻したリエムは、無邪気なほどに純真たる表情で小首を傾げるのだけれど。
「……」
「メイ」
「……いま、なんて言った…?」
「どうしたかと聞いたんだが」
本当にどうしたんだと眉を寄せて窺ってきたその顔に、この男が口にした事は事実だと確信しながらも、オレは諦め悪るくももう一度問う。
「…さっきの、あの人、エルさんの…何だって?」
顔が引きつっているかもしれないと思いながらも、真意を問い質そうとリエムから目を逸らさずオレは口にする。
「相手っていうのは、その、つまり、」
「結婚相手だが…。それがどうかしたのか? 少し前に漸く一緒になったんだが。聞いていなかったか?」
「いや、エルさんが新婚なのは知っているけど……」
「長いというか、長すぎる付き合いだったからな。新婚って感じじゃないがな、あの人らは」
目を細めて笑う男に、「へぇ、そう…」と生返事丸わかりな相槌を打つ。
「ハースさん、だっけ…」
「ああ」
「そっか…」
仕事中にも、何度も聞いた名前だ。だけど、さっきは全然思い出さなかった。
当たり前だろう。あの人は、男であったのだから。オレの中で結びつくはずどころか、掠るはずもない。
オレの様子に感じるところがあったのか。軽さは皆無の、真摯なほどに真面目な声音でリエムは答え、そうして気遣うように「どうした? 何かあったか?」と問いを重ねてきた。
「…………いや、何があったって言うか…何もないんだけど……」
嗚呼、やっぱりそうなんだ――と。
納得は出来ないけれど、事実として理解するしかないそれを目の前に突きつけられて笑うしかなくて。ハハッと喉を振るわせたオレは、誤魔化されないぞと言うように真剣なままのリエムの表情に居た堪れなくもなって。
「うわあぁーッ! やっちまったよオレッ!!」
せり上がってきた衝動をそのまま声に出して喚き、思わずその場に頭を抱えてしゃがみ込んでしまう。
驚いたリエムが数拍遅れで「オイ? 大丈夫か?」と窺ってくるが、…顔を上げられない。
リエムを羨ましがるのと同じように。オレは新婚のエルさんを、いいなと思っていた。この世界で結婚なんて微塵も考えていないくせに、それどころかここで誰かと恋愛さえもする気はないくせに、オレはそれでも浅ましくも羨んでいたのだ。それは年頃の男として単純に、彼女が居る同性を妬む気持ちでしかないのだけど。多少は卑屈さも混じっていたように思う。
それは、エルさ個人に対してではなく。そういう普通の幸せを当たり前のように手に入れているこの世界の人間を、どこかで嫉ましいと思っている部分があったからかもしれない。オレは忌み嫌われる異界人であるのにと、卑屈な部分がその幸せに過敏に反応していたのかもしれない。
だけど、これはないだろう。
リエムの亡くなった友人の事で、自分の心が狭すぎる余裕のなさを自覚した途端にこれか。更にオレに自分のバカさ加減を教えようというのかオイ。
良い事の後には悪い事があるものだとしても、これは早すぎじゃないか?
何なんだ、このタイミングは。
自分が何であるのかも忘れ、子供のようにはしゃいだから。この世界を常に見ているという神サマの不快でも買ったのか?
「……あのさ、リエム」
反省して落ち込みかけていたところを、容赦なく蹴られて抵抗する間も何もなく落ち、地面にめり込んだ――そんな感じで道端にしゃがみこんだまま、オレは顔も上げられずに地面に語りかけるように呼びかける。
まず、根本的なところから噛み砕いていかねば。
「結婚は、男同士でも出来るのか…?」
「ああ」
「エルさんと、ハースさんも、…そうなんだな?」
「一体何だと言うんだ、メイ?」
動くような気配に少し視線を上げるのと、厚い手が頭に掛かって額を押し上げられるのは同時だった。
「どうした」
同じように腰を降ろしたリエムと間近で重なった視線に、オレの中で箍が外れる。
どうしたじゃないんだよッ!!
「オレは…! オレは、エルさんの結婚相手が男だ何て聞いていなかったんだ! だって、まさか、ホモだとは思わないだろ、普通? 思わないよな、なあ?」
いや、思うかもしれない。普通は、思うのだろう。
同性婚があると聞いたばかりなのにオレはそう言って詰め寄り、リエムが軽く目を張ったのでそれを思い出したのだけど、一度動き出した口は止まりそうにはなくて。
「別に、嫌だとか、気持ち悪いとかはない。そんなの、エルさんの自由だ。オレがとやかく言う事じゃないし、そんなのはわかっているから。だから、それはいいんだ。ハースさんが男でも何でもさ。ただ、オレが言いたいのは、彼の事とは関係ないところでの話でだな。普通は、結婚したと聞いたら、その相手は異性を浮かべるものだろ? いちいち態々、話題に上るその伴侶は男ですか?女ですか?なんて聞かないだろ?」
「……名前を聞いてわからなかったのか? 女将さんとかとの話の中では?」
「わかっていたら、オレは今ここで驚いていないし、焦っていない! 勘違いしたのは悪かったと思う。だけど、オレが間違ったのは仕方がないと思うんだ。そうだろ? なあ、リエム。そう思わないか?」
「少し落ち着け、メイ。知らなかったのなら、驚いても仕方がない。それはわかるさ」
「本当か…?」
「ああ。だが、驚くのはわかるが、何故そんなに慌てているんだ? 何かあったのか?」
リエムの指摘に、風船が萎むように萎れたオレは、尻が汚れるのも厭わず地面に座り込み項垂れる。
オレはこの世界に来て、自分の無知さを曝け出していたけれど。それでもそれは、その覚悟を持って見せていた面もあって……ここまでの失態はなかった。なかったはずだ。
「オレ、エルさんに……。 ……ハースさんのことを奥さんだとか、嫁さんだとか、普通に言ってた。…彼女とかも」
オレの常識が通用するのならば、勘違いだ。だが、そうでなければ、オレの言葉は嫌がらせの何物でもない。からかい半分羨ましさ半分のオレのそれは、悪質な嫌味でしかなかったのかもしれない。
唐突に職場にやってきた、要領の悪い部下のそれ。
知らなかったからとはいえ犯したオレの非礼は、はたして許される範囲にあるのだろうか。
「やっちまったよ…、どうしよう…」
「あまり気にするな」
呻くオレとは対照的に、何だそんな事かと言うようにリエムがあっさりと言う。
「エルは気にしていないさ。たとえお前が悪意を持ってその言葉を使ったのだとしても、気にしない」
さあ、いつまでもこんなところで座り込んでいずに行くぞ、と。オレが落としていた本を拾い上げ、オレの腕を取って立たせたリエムは、「とりあえず飯食って元気出せ」と汚れを叩くようにか、叱咤するようにかオレの尻を強く叩いた。
励ましてくれるのは嬉しいけれど。
それで気にされないのも問題じゃないか…?
2009.03.30