君を呼ぶ世界 56
いま呑まなくて、いつ呑むッ!
頼り甲斐のある、オレにとってはこの世界で一番の友人が。だからこそ、ちょっと厄介な相手になってしまったので。
オレは笑うことで誤魔化しにかかり、それでもかわせないのでアルコールに逃げてみたりして。
まだ空が赤く染まる頃に店へ入ったというのに、気付けば窓から見える空には星が瞬いていた。周囲も、何度か客が入れ替わっていて、俺達が一番長く居座っているのかもしれない。
何やってンだろ、オレ…。
そうホンの少し頭の隅で虚しさを覚えもするけれど。
酒が入ったからか、それとも投げやり気分でか、表面上のテンションは呆れるほど高くて自分でもどうしようもない。
何より。理由はどうであれ、馬鹿話をしながらこうして友達と酒を楽しむのはとても久し振りで。
相手はリエムであって、相変わらずこの世界は異世界だけど。
アルコールで判断が鈍っているからかもしれないが、ちょっとだけ。ちょっとだけ、地球の中の小さな島国日本の人が溢れる東京の一角にいるような錯覚がオレを満たす。
「しかし、いくらなんでも物を知らなさ過ぎだ」
「そんな事はない」
「ある」
「そうかァ?」
「一体、どんな辺境の地に住んでいたというんだか。村人と接触はしていたんだろう? それとも、完璧に遮断され隔離でもされていたか?」
「隔離って、人を病原体みたいに言うなよ。せめて、深窓の姫君と言ってくれ」
「畏まりました、姫君サマ」
オレのバカ発言乗ったリエムが、酒の入った器に唇をつけたまま笑い本当にそう呼んでくる。
そして。
「ああ…。なあ、本当に姫君と言うんじゃないよな?」
「あン?」
オレは男だぞ。裸を見た奴が何を言う?
口元の笑みを不意に引っ込め、真剣に問うてくる男に向かってオレは眉を跳ね上げる。バカ言ってんじゃないよ、と。
「女に見えるか?」
「見えるかバカ、そうじゃない」
皺が寄っていたのか、リエムの手が伸ばされ、オレの眉間を軽く付いた。
「同姓婚を知らないのなら、どこかの王族だとか何だとか言うんじゃないのかって事だ」
それは箱入り息子だと、そう言いたいのか?
だけど、可愛いお姫さんなら兎も角、男が箱入りってどうなんだよ? 王族の一員がそこまで世間知らずだなんて、その国ヤバイだろ? それとも、オレならそんなバカであっても不思議ではないってか?
何だよ言ってくれるじゃないかよと、リエムのそれに喉の奥で笑いながら酒を煽り、オレはガツンとコップを机に下ろして宣言する。
姫君は撤回だ。
「言うよ、言う。言っちゃうよ。実はオレ、アンタの言う通りオーサマなんだ。だからほら、遠慮すせず敬ってくれていいぞ」
「どこの王なんだ?」
「ンー、そうだなァ。夢の国のオーサマってカンジ…?」
「疑問系で言われてもな」
「余をバカにするのか?」
「これは失礼を致しました。では王様、お詫びにご所望の品を取り寄せましょう」
空になったオレのコップを指差し言いながら、リエムが逆の手で離れた店員を呼ぶ。
「水」
「此方の食事はお口に合いませんでしたか?」
「美味かったよ。けど、もうお腹タポタポ」
「酒はまだいける口でしょう? 遠慮なさらずに」
「あ、スミマセン。お水頂けますか?」
はいはい何ですかァ〜と、もう今夜何度目になるのかマッタリやって来たオバサンに、オレは低姿勢ながらも勧めてくるリエムを無視してお願いをする。目を細めて面白そうに笑う男はそれに便乗し、新たな酒を頼んだ。
オイオイ、まだ呑む気かよ…。
「潰れても、オレは送っていってやれないぞ。自分よりもデカイ男を支えられる体力、オレにはないからな」
「存じております。それに、心配は無用です。このくらいなら呑んだうちに入りません」
「あっそう」
コレくらいって…数えていたわけじゃないから、わからないけど。結構呑んでいるだろ。オレよりも確実に呑んでいるだろ。
呑んだうちに入れろよ、バカ。そんな事言ってたら、その内にその腹筋がビール腹に変わるんだぞ。
って言うか、変われ。今すぐ変わりやがれ。
変わったら、さぞかし面白いだろうなと。爽やか青年の顔のまま中年太りしたリエムを密かに想像して、耐え切れずにオレは噴出す。ダメだ、可笑しい。顔だけ男前って言うのは、アレだ。筋肉ムキムキなのに顔だけ普通な、ボディービル選手の逆のようで。そのミスマッチさというか、笑えてしまう違和感がオレのツボに入り込む。
「どうした、突然?」
王様ネタは満足したのか。口調を戻したリエムが窺ってくるのに、何でもないと頭を振る。
ホント、バカだオレ。何やっているんだか。
だけど、こういうのも必要だ。
というか。オレは、こういうのばかりがいいんだよなホントは。
ひとり黙々と打ち込む作業が好きで、それに集中していれば何日でも独りで居ても平気なのだが。その反動と言うか、だからこそのバランスか。人と居る時はじゃれあいバカをするのが好きだ。
それなのに。こちらに来てからは、当然だけど。悩んだり考えたりと、独りで悶々としている事の方が遥かに多い。エルさんや女将さんに救われているし、客のオヤジ達にもとりあえずは遊んでもらっているし、リュフやチトには癒されているけれど。それでも、何のシコリもなくそれらを味わっているわけではないので、どうしてもオレの中でバランスが傾いてしまうのだ。
ああ、もっと笑わなきゃなと。
指先で細長いペンダントを服の上から撫でながら、しみじみとそう思う。
慣れて来たとはいえ肩の力を抜くなんていうのは無理だけど。今日こうして休みを貰って遊んでみて。必死に歩かないと不安であっても、休む事も大事だと改めて気付く。止まらなければ見えない事もある。
止まって振り返れば、確かな絶望に追いつかれそうな気もするけれど。
それでも。
オレの場合、ちょっと見ただけで全てを見極めるほどの能力を持っているわけではなくて。ちゃんと知る為には、足を止めてでも、戻ってでも、じっくり確かめなければならない。その為にも、オレはオレ自身を、支えなければ。
適度に笑って、楽しんで。気力を持ち続けなければ、この世界を進めない。
「なあ、リエム」
「なんだ」
「ひとつ聞きたいんだけど」
「なんなりと」
「リエムは男と女、どっちが好きなわけ?」
笑っていたオレ唐突な問いに瞠目した男は、けれども次の瞬間には声を立てて笑った。「お前はまったく…」と感心よりも呆れに近い呟きをそれに混ぜる。
こういう聞き方は普通しないのかもしれない。だけど、可能性がふたつあるのならば聞かねばならない事だろう? さて、この世界では一般的にその辺の確認はどうするのだろう。
折角話が頓挫していたというのに自分でそれを戻してまでリエムの好みを知る必要があるのかと思いながら、オレは自分の無粋さを自覚しつつも真面目に問う。そんなオレを、リエムは真っ直ぐ見つめ返してくる。
答えがどちらであろうと友人をやめる事はないから、ホントただの関心なのだけど。
驚愕が抜けきらないままなので、純粋に興味だけとは言えないから……あんまり見るなよ。おい。
「俺は女性だな。愛しむのなら、華奢で柔らかい体の持ち主がいい。己とは違う性別そのものに魅力を感じる」
疚しさはないつもりだと主張するよう、居心地の悪さを多少感じながらも意地でも視線を外さずに居るオレに、リエムは真摯に答えを口に乗せる。
「だが、だからってこの先も絶対に男に手を出さないとは言い切れない。女性に対する思いは変わらずとも、同性であってさえ惹かれる人物に会うかもしれないだろう? 先の事は分からないのだから、その可能性までは否定出来ないさ」
それはお前だって同じだろう?と言われた言葉に、それでも俺は女しか選ばないよと思ったけれど。
「ああ、そうだな」
短いながらにも頷いたオレを、リエムは満足そうに見ていた。
ホントは、オレの真意を察しているのだろうに。
ああ、オレが女だったのなら。
絶対この男に惚れていたのだろうなァ。
2009.04.06