君を呼ぶ世界 58
恵まれたオレは、それを誰かに与ることが出来るのだろうか。
軽い朝食を取り終えたところで、女将さんが食堂にやって来て。
オレを見て、「あら、潰れていなかったのかい」と、驚いた。
何ですか、それ。オレそんなにアルコールに弱そうですか? それとも、リエムと飲んだ奴は二日酔いになるというジンクスでもあるんですか?
って。それこそ、何だそれ、だ。
「どうだい、楽しかったかい?」
「はい、とても。ありがとうございました」
まるで幼稚園児に遠足の感想を聞くようだと思いながらも、微笑みながら訊ねられたそれにオレは大きく頷き昨日の感想述べる。
王宮周辺はとても賑わっていて、物も人も溢れていた。科学が発達した大都会で暮らしていたオレが言うのも可笑しなものだが、その賑やかさに飲まれ気味になり、子供のようにはしゃいでしまった。何より、間近で見た王宮が、オレの中に強い印象を残している。
遠くから眺める王城は、本物だとわかっていても、遊園地のアトラクションか何かのようで。写真や絵と変わらない、どこかただの風景のように思ってもいた。
だが。熱くもある人ごみの中、触れられるほど近くにある高い城壁の威圧さと、その向こうで一番空に近い場所で輝く城を見上げ、漸くリアルにそれを捕らえる事が出来たようだ。あそこに王が居る、働く人々が居る。それを感じると、オレの今とも繋がった場所だと本当の意味で思えた。
そう言えば。そんな王宮に、御呼ばれしたんだったっけ。
「ああ、それは良かったじゃないか。行っておいで」
リエムに、今度は王宮を案内してやると言われたんだけど、いいのかな?と。食堂の掃除を始めながら厨房に入った女将さんに窺えば、あっさりとそんな返事が来た。
いや、オレは休みの許可を求めたのではなく、その前の段階を窺ったんだけど。
「ホントに、オレなんかの許可が出るのかな?」
「リエムが申請するのなら、出ないはずがないよ」
「そう?」
「新入りだったラナックにさえ簡単に出たんだからねぇ、大丈夫さ」
「ラナックって…?」
どういう意味だ?と首を傾げれば、それを見ていたかのように厨房から笑い声が響く。
「あの子が王城で働くようになって直ぐに、私も王宮を案内して貰ったんだよ」
「え? 女将さんも入った事があるんですか!?」
「ああ、あるよ。子供の頃にも何度か、王宮に荷を卸していた両親について行って出入りしたしね。メイが思っているほども、そう敷居の高い場所じゃないよ。だけどまあ、誰もが入れるわけでもないし、機会があれば見て置いて損はないさ」
そうだよねぇ、と、女将さんはエルさんに同意を求めたようで、「ああ、行って来い」との声も届いてくる。
どうやら、エルさんも王宮内に入った事があるようだ。
「ま、立派な建物があるくらいで、別に何もないけどな」
「確かに、へぇ、凄いわねぇ、と思うくらいね」
見に行けという割にはあっさりし過ぎた感想をくれるふたりに見付からないよう、こっそりと苦笑しながら、オレはまあわからなくはないかなとも思う。修学旅行で奈良や京都へ行って、寺や神社を見て周った感想もそんなものだ。それが城であっても同様で、大概の人間は自分の生活に関係のないものに対しての興味は簡素なものだ。
けれど、それでも王様が住む場所だぞ?と、国民ならばもっと丁寧な扱いをするものじゃないか?と、そう首を傾げたく思う部分がある。だが、それも良く考えなくてみれば。例えばオレ自身、皇居見学をしたとしても、へえ〜、ふ〜ん、以上の事は思わないだろうから。まあ、ふたりの反応は妥当なのだろう。
その点で言えば、オレの方が遥かに王城に関心が在るのかも知れない。はっきり言って馴染みはなくとも、天皇さんの住処よりも、一国の王様が住む生活空間の方が興味をそそる。異世界でのそれもそうだが、日本人は兎角、外国の匂いが好きなものだ。概観が正しくヨーロピアンなアレを良く観察したいと思うのは、王様に黄色い歓声を向ける街娘たちと変わらない、ミーハー心がそこにあるのは確か。それに、一応、建築系の勉強をしている学生としては、身近にない建物の構造が気になるというのも事実。
だから、まあ。
案内してくれるというのなら、とことん見てみようじゃないか、と。
ちゃんと許可が下りればいいなァと、二人に乗せられるような形でムクムクと興味と好奇心が湧き上がっていく中、食堂の掃除を済ませ厨房へ入ると。
「メイ。アンタ、ハースのこと女だと思っていたんだってぇ?」
女将さんに、ニヤニヤ笑いでオレは迎えられた。
「そんな気はしたけど、まさか本気でそう間違っていたとはねぇ」
「は?」
なんですと?
そんな気がしていたのなら、教えてくれよ!
「でも、それじゃ話が合わないこともあっただろうに。マヌケだねぇ」
「女将さん」
腹を抱える勢いの女将さんを窘めるようにエルさんが名前を呼ぶが、「まあ、知らなかったのならしょうがないけどねぇ」と言いつつ、笑う事を止めない。
ちょっと、待ってよ。これって、からかわれるネタなのか?
リエムのように疑われるよりもマシだけど。エルさんがあっさり水に流してくれたというのに、この人は何をツボに入れてくれるのか。確かにオレはマヌケだったけど……笑いすぎだぜ、コンチクショー!
顔を横向け深い溜息を落とすと、気にするなと言うようにエルさんが軽く背中を叩いてくれた。ああ、もう、重ね重ねスミマセンだ。ホント、不甲斐無くて申し訳ない。
それでも、女将さんなりのフォローを受けて、オレの失態は笑い話に変わる事が出来たのは事実。バカだとはっきり言われたお陰で、オレも気が少し楽になった部分もあったので、トータル的にはやっぱり感謝だ。
昨日からあった心のつかえが取れ客が入り始めた食堂でバリバリ働いていると、リエムと遊びに出掛けたのが知れ渡っているようで、どこへ行ったんだ?楽しかったか?王都はどうだ?などと短いながらも声を掛けられた。
なんだかオレ、オヤジ達の孫か何かのようだ。
ったく。昨夕居なかっただけなのに、そんなに寂しかったのか? そんなにオレの行動が気になるのか? てなものだ。モテるのも困る。
愛想笑いを返しつつ、腹ではそう溜息を吐いていたオレ。だけど、逆の立場になれば、オレもオヤジ達と変わらない鬱陶しさを発揮するわけで。
夕方の営業が始まった頃に、リュフとチトが顔を出した。昨日は直ぐに帰ったと聞いていたので、食堂の様子を確認して中へ招き入れる。客はまだ片手もなく、女将さんだけで充分大丈夫なので、オレは断りを入れてから兄妹と同じテーブルにそそくさとついた。
う〜ん、一日振りなだけなのに。変わらない二人の様子にホッとする。
軽いオヤツを出してやると、リュフは遠慮しつつも丁寧に、チトは喜び勇んで勢い良く口へと運ぶ。エルさんお手製の蒸しパンは、確かに美味い。だけど、誰も取らないからさ、チト。もうちょっとお兄ちゃんを見習って食え。でもまぁ、そこが可愛いんだけど。
皿では収まらず机に散らかるクズを腕を伸ばして拾ってやると、横から小さな手がやってきてリュフもオレを倣い妹の世話をする。口元にもパンクズを付けたままのチトは、男ふたりの甲斐甲斐しさに頓着しないまま「おいしいねぇ〜」と幸せそうだ。
幼子の笑顔に目を細め応えながら、オレはウザイ大人になるのかもしれないのを覚悟しつつ、それでも逃げ道を作るようさり気なく、隣の少年に問い掛ける。
「なあ、リュフ。この前の奴らだけどさ」
「……」
「叩かれたり、蹴られたりはしてないよな?」
「……大丈夫」
「怪我させられたりはしていないんだな?」
「…………うん」
オレを見ないまま頷く小さな頭に落としそうになる息を飲み込み、オレは「それならいいんだけどな」と、作られた間を気にしつつも緩く笑う。本当は、痣のひとつやふたつは作っているのかもしれない。だけど、言えないのではなく、言わないのだろうから、今はリュフの意地を見守る事にする。
だけど。今度もし、この少年が目の前で殴られているような事があったならば。余計なお世話だとしても、オレは相手の子供に手を上げてでも助けるだろう。
リュフはオレにそんな事して欲しくないだろうし、オレだって子供を叩きたくはないし、その子供だって叩かれたくはないだろう。だから、そういう事が起きない事を願うばかりだ。
少し固くなった兄と、相変わらずほんわかな妹を見ながらオレは思う。
王や国を見て、その審議をしている暇があるのならばさ、神様よ。こういう一生懸命に生きる直向な少年に、もっと運を廻らせてやってくれよ。異世界生まれのオレでさえ、こんなにも色々と恵まれているのだから、この世界で生まれのこの兄妹にはその権利があってもいいと思うのだけど。そこんとこ、どうなのよ?
なあ、神様。
貴方の決断は、どこまで正しいのだろうな。
2009.04.13