君を呼ぶ世界 59
いかなる時でも。
行動の前に、まずは確認。
いつものように表通りの掃除をしていた時だった。
「あ…!」
「ン?」
近くであがった驚く声に、何だ?と顔を向けたが、別段周囲に変わった様子はなく。ただ、道のど真ん中で佇む少年だけが、目と口を大きく開けていた。どうしたのかとオレが首を傾げたところで、見られていた事に気付いたのか、ハッと表情を変え踵を返し駆け出していく。
いや、マジで。何だったんだ今の子は…。
何をそんなに驚く事があるんだかと、首を傾げたまま掃除を再開しかけ――今度はオレが「あ゙ッ!!」と声をあげる。
もしかして。今のは、アレか!? リュフ達を虐めていたアノ悪ガキのひとりか!?
それを思い付いた瞬間に、オレの体は動いていて。気付けば、街中に消えていった少年の後を追いかけていた。
「あ! おいッ!」
ちょっと待ってくれ!と、運良く見つけた少年の姿に、駆け寄りながら声を張りあげたのだが。当たり前だが、再び逃げられた。今度は通りを外れて、路地へと消える。
その姿を追いかけ、遠めに確認したそこへと飛び込むが。既にもう求める姿は無くて。でも諦めきれなくて。馴染みのない路地を勘を頼りに駆け回る。きっと、あの歳の子供ならば。追っ手の裏を掻く事なんてしないだろう。路地裏に入っても、絶対に桔梗亭の方角に戻りはしないはず。あと、直ぐに表通りにも戻らないだろう。
そうなれば、向かう範囲は限られていて。地理に詳しくない分不利であっても、短期戦で行けば足のあるオレの方が優位であるはず。
それを信じて、と言うよりも。その勢いで、箒を持ったまま狭い裏道を走りまくったオレは。
体力の限界が来るよりも前に、追い求めた少年に行き当たった。今度は声を掛けずに小さな背中を追い、少年が角を曲がったところでスパートをかける。
「…うわッ!!」
だが、駆け出しかけたところに少年が急に向きを変えて振り向いたので、掴まえる前に見付かってしまった。けれど、少年は逃げずに、数メートル先で足を止めたままゆっくり近付くオレと向かい合う。どうやら先は袋小路のようで、逃げるにはオレを突破するしかないようだ。
オレは箒を両手で横向きに持ち、じわじわと睨み付けてくる少年を奥へと追い詰めてやる。
別に、怒ってやろうとか思っていたわけではない。むしろ、悪ガキかも!と思って反射的に追いかけてきただけで、その確認以上は必要ないのだけれど。
息が上がるくらいに追いかけた結果、ちょっと脅してやろうかとの気持ちがここに来て生まれてしまったのも。逃げるくらいなのだから多少は疚しさはがあるんだろうし、少し教育してやるかと思ってしまったのも。当然といえば当然で。
「待てって言ったの聞こえたんだろ? 逃げるなんてどういう事だ、クソガキ。大人をナメるんじゃねぇーぞ」
「……」
「聞こえているのなら、返事をしろッ!」
腹の底から声を出しながら、勢いよく箒の柄を目の前に突き出してやると、少年は息を飲みながらまた一歩足を引いた。だが、驚きすぎたのか、もしかして怖かったのか。膝が笑ったように崩れ、その場に尻餅をつく。
オレを見上げてくる大きく剥いた茶色の眼は、うっすらと濡れているようで。
…う〜ん。遣りすぎたのかも…?
「……あー、いや、その…もう何もしないから、そう怖がるなよ」
っていうか、まだ別に何もやっていないんだけど。ちょっと、声を一度荒げただけだぞ? ビビり過ぎだろ、おい。
こいつ、ホントに虐めっ子なのか?と。ただの悪ガキ大将の取り巻きその1なだけなのかも? いや、この弱さなら取り巻きですらないかも…、と。目の前で固まっている子供の姿に一気に罪悪感が浮かびあがってきて、思わぬ焦りをオレは覚える。
「悪かった、ごめん」
ただ、な。オレはちょっとお前に訊きたかったんだ。どうして、オレを見て逃げたのか。もしかして、リュフ達と関係があるんじゃないのか?。
謝罪に続けて、そんな言葉をオレは用意して、喉元まで上がってきていたのだけど。
「ッ…!!!」
子供の前にしゃがみかけたところで、唐突に頭に衝撃を受けたオレの口から出たのは、声にならない叫びだった。
うぎゃぁ! なななな、何なんだッ!?
何かが、頭皮の上で弾けたンですけどッ!?。
頭蓋骨への響きはそれ程のものではなかったが、予期していなかったそれは簡単にオレの全身へと駆け巡り、ジンと痺れる頭と激しく胸を打つ鼓動に息を詰める。
それでも。
オレの様子をつぶさに見ていたのか。今なら逃げられると踏んだらしい少年が腰を上げ横を駆け抜けるのを、オレは意識するよりも早く追いかけ、小さな体に向かって腕を伸ばした。
だけど。
「うわッ…!!」
次に降り掛かってきたのは、水だった。
オレだけではなく地面にも叩き付けられるその音が耳に響く中で、オレは漸く顔を上げ頭上を振り仰ぐ。
「まだあの子を追いかけるようなら、今度はこれをアンタの頭に落とすからね! 覚悟しなッ!!」
「……」
探すよりも早くに降ってきた声音で、オレは二階の窓から半身を乗り出し、両手で花瓶を掲げ持った女性を直ぐに見つけた。どうやら、その中身をオレはぶちまけられたらしい。
でも、なんで?
……ああ、そうか。彼女はあの子供を助けたのか…。
って…!
最低だ。濡れ鼠なのもそうだが、あの少年を虐められていると捉えられてこの有り様。最悪過ぎる…。
はあァー、と脱力し項垂れ溜息を吐いたオレの後頭部に、「大の男が、子供を虐めてんじゃないよ! 恥を知りなッ!」と、ヒートアップしたままの声が届くけれど。相手にする気力も沸かない。
誤解をさせたのはオレであるのだろうし、その点では不快な思いをさせて悪かったと思うけれど。気性の激しそうな彼女を宥めるのは無理そうだと早々に諦め、オレは退散する事にする。
けれど。
「……え?」
転がっていた箒を拾い上げたところで、それに気付いた。
視界の端に入ってきたのは、小さな布の塊で。見覚えのあるそれを手に取れば、やはりただのお手玉ではなく、耳と尻尾が付いていた。
これは間違いなく、女将さんがチト用に作ったもののひとつだ。
「あッ! ちょっと、何すンのよ! それはアタシのなんだから、返しなッ!」
「……ンなわけないだろ」
頭上から降ってくる声に、呟きで突っ込み、オレは今度はしっかりと女性を見上げ確認する。
お手玉遊びなんてやりそうにないけれど、まさか盗んだわけじゃないだろうな? チトが落として、彼女が拾ったのだろうか。
「これは、オレの知り合いの物だ」
「はァ? 何言ってんのよ!」
「間違いないよ。だから、オレが彼女に返しておく」
「嘘吐いてんじゃないよ! どういうつもりよアンタ!」
「じゃ、訊くけど。アナタはコレをどうやって手に入れたんですか? オレは、コレを作った人も、その人から受け取った子も知っている。彼女がコレをどれだけ大事にしているかも」
「……アンタ、誰よ?」
「誰と言われても…」
そう言うアナタこそ誰なんですか?と。見上げた目に、水滴が流れてきて思わず目を瞑る。花瓶の水って、そう綺麗なものじゃない。
顔に伝う水を拭い濡れた髪を振り掻き揚げていると、視界に白い何かが下りてきた。
「え…?」
何だ?と視線を上げれば、目の前に今さっきまで見上げてみていた女性が居た。
年上だと思ったが、意外に若い。二十歳にもなっていないのかもしれない。――じゃなくて。二階から飛び降りたのか? この格好で…?
突如目の前に立った彼女は、驚いた事にシーツのようなものを身体に巻きつけているだけだった。いや、ような物じゃなく、それでしかない。肩が剥き出しなのは見えていたが、ワンピースみたいな服だと思っていた。それが、どうだ。オイオイオイ。
露出度がそう高くないとは言え、物が物なので目のやり場に困るんですが…。
「アンタ、あの子とどういう関係?」
「…あの子って」
「チトよ。私の妹、知ってンでしょう?」
「……」
えっと。アナタがいうチトが、あのチトであるのならば、知ってます。知ってますけど、……ちょっと、待って。
妹って。
じゃ、妹って事は、つまり。
「……もしかして、リュフとチトの、お姉さん…?」
「そうよ。っで、そっちは?」
さっさと答えろと言うように、細い腕を組みながらあごを突き出し斜めに見てくる女性の視線に、何故か堪えられず。オレは視線を外しながら自己紹介をする。
うおぉー、本物だよ。本物のお姉さんだよ……サイアク。
「オレは、少し前にふたりと知り合って、仲良くしていて…。桔梗亭って店で働いているんだけど、リュフとチトはよく遊びに来てくれるんだ。あ、オレはメイと言います」
どうも、と。頭を軽く下げつつ、何だってオレはこんな事になっているんだかとも思う。あの兄妹の事で少年を追いかけていたら、悪い大人に間違われて。そうしてオレをやり込めてくれたのが、兄妹の歳の離れた姉とは。
嫌な偶然だ。かっこ悪い。悪すぎる。
って、悪くなったのはオレのせいじゃないんだけど。
「あら、イヤだ」
オレ今日はツイていないのか…?と。吐きたい溜息を飲み込みながらしみじみ思ったところで、眉間に皺を寄せて黙っていたお姉さんが、パッと表情を変えて声を跳ねあげさせる。
「メイって、女の人じゃなかったのね」
逆に。
女ならばオレ自身が、イヤなんですが。
2009.04.16