君を呼ぶ世界 62


 雨に霞む街は、どこの世界でも同じ匂いがするような気がする。

 この時期は毎年、嵐が訪れる。ここ数年は聖誕祭が終わった頃からで、王の誕生日がもう少し遅かったら祭りどころではないなと、嵐の後片付けをしながらいつも同じ話題を口にするらしい。今年は、始まりが少し遅かったがまだこれから幾つかやって来るだろう、というのが挨拶代わりになるようだ。
 そんな一大イベントであるかのような嵐。だが、水害さえも起こるという聞けば、流石に歓迎出来はしない。けれど。
 それでもちょっとだけ、稀に東京に直撃してくる台風にワクワクしていた子供の頃の気持ちも思い出していたオレは。客との会話で勉強したそれを実際に体感すべく、少し気を張っていたりもしたのだが。
「この分だと、昼頃には雨はあがるわね」
 朝食の席につくと、女将さんがそう言った。そうなのか…、と思いつつ、「そうですね」とオレは応える。
 昨日の雨は例年のそれとは違うただの雨だったのだろうか、嵐の合い間で雨脚が弛んだわけではなく、これで終わりらしいその判断に、内心で少し落胆する。昨日は確かに強い雨だったが、日本の台風ほどでもなく、このまま去るとは少し拍子抜けだ。
 キノサさんに嵐の話を聞いた翌日の午後から天気は悪くなり、夜には雨が降り出した。その翌日である昨日は、朝から晩までずっと雨で、食堂は開店休業状態だった。女将さんが早々にエルさんに帰宅を促したので、閑古鳥が鳴く中、屋根や地面を打つ雨音を聞きつつ、オレもまた仕事をせずに読書に勤しんでいた。
 時折女将さんと言葉を交わし、屋根や地面を打つ音に耳を済ませ、雨のカーテンに霞む町並みを眺めて。天気とは裏腹に、この世界に来て以来一番なのかもしれない、心がゆったりした一日を過ごした。
 だから、だろうか。日差しがないせいで肌寒く感じていたのに、怠惰気味にのんびりとしてしまたお陰で。
 今日になってみれば、少し喉に違和感がある。痛いというほどでもなく、咳も出ないし、鼻水も大丈夫なので、心配はいらないのだろうが。異世界に来てから幾分か体重が落ちた感じなので、元の世界のように回復するとも限らないし、用心に越したことはないのだろう。
 風邪なんて引いている暇はオレにないというのに。
 こういう時は、特に、生まれ暮らしていた場所がいかに恵まれている世界であったのか実感する。風邪気味ならばとオレがしてきた予防は、この世界にはないものばかりだ。
 朝食を取り終わった頃、雨風が強ければ休んで構わないと女将さんに言われていたエルさんが出勤してきた。
 今はもう小雨程度なのだが、昼から客が入るだろうが食材は大丈夫だろうかとエルさんが気に掛け、女将さんと確認を始める。どうやら、流石に雨脚は弱いとはいえ、市場は休みであるようだ。
 そう、それくらいに、この嵐は警戒されていたというのに。
 荒れる事もなく終わったわねと、まだ小雨が残る空を見上げながら女将さんとエルさんが話している声を聞きつつ、オレはいつものように開店準備を始める。だが、表は雨で掃除は無理だし、中も昨日から殆ど汚れていないので直ぐに終わった。雨の被害はないかなと、二人に声を掛け宿屋部分を見て回る事にする。
 雨漏りは見当たらない。風は雨ほども強くなく、窓から見える景色にも変わった様子はない。まだ少し霞む街並みを眺め、その中でも鮮やかな屋根を見下ろし、薄暗い空に視線を飛ばす。
 爺さんのところは、平気だろうか。旅一座は今どこに居るのだろう。
 いつも来るという嵐より勢力は弱かったようだが。それが嵐そのもののせいか、進路が逸れているからなのかは、この世界の情報力では数日後でしかわからないのだろう。王都は肩透かしを食らったが、どこかでは不意打ちで襲われているのかもしれない。
 彼らも無事だといいのだけど。
 同じ王都に居るとはいえ、リュフとチトも大丈夫だったのだろうか。
 そんな事を思いながら一階を確認し、外を窺えば近くならば傘もいらない程度の雨だったので、女将さんの部屋の側のドアから外に出て路地を通って裏庭へ。花々は雨に打たれて首を倒しているものもあったが、家庭菜園に被害はなさそうだ。
「…アレ?」
 厨房の扉から中へ戻ると、女将さんの笑い声と一緒に聞き覚えのある声が耳に飛び込んできた。
「リエムが来ているぞ」
「あ、やっぱり」
 エルさんに教えられ顔を出すと、食堂の入口の側で女将さんとリエムが立ち話をしていた。オレに気付いたリエムが片手を挙げ、にこやかにオレの名前を呼ぶ。何だかそれが、リコやチトに呼ばれたような気にさせるもので。その微笑ましさと同時に覚えるこそばゆさにオレが顔を緩めると、振り返った女将さんが「あら、イイ感じじゃないの」とすかさずからかってきた。
「可愛く微笑んじゃって、もう、メイったら。さては、リエムを釣ったのもソレだね」
「はぁ…?」
 いきなり、どんなノリですか、それ。暇なのかよ、女将さん…。
「照れなくてもいいわよ」
「いや、照れていません。てか、微笑んでもいませんし、釣ってもいません」
「あははっ、そうだね、確かにメイは自分で糸を垂らしていそうにないねぇ。勝手にリエムが引っ掛かってきたって感じかい? だったら、メイ、しつこくて迷惑だと思ったら、ちゃんと断らないとダメだよ。リエムは言えばわかる子だから」
 何の話だ。そのノリはついて行けないし、行きたくないんだけど。
 リエムが言えばわかる子ならば。言ってもわからない代表は、ラナックだよな? それって、言外に、あの男の理不尽は諦めろという忠告か?
 って、そんな事はとりあえず置いておくとして。
 笑っていずに、何とか言えよ。喋っていたのはアンタだろうと、突然狙われたオレを助けろよと、リエムに視線で訴えれば。
「女将さん。今から俺が釣るんですから、それを知っていて邪魔しないで下さいよ」
「あら、そう言えばそうだったねぇ」
「……」
 ……そのノリ継続ですか、オイ。
 助けになっているのか?と、戒めも何のその、二言三言と続いていく妙なノリの会話に、もう口を挟まずに放っていると。オレが限界に達してその場を離れる前に、リエムが戻ってきてくれた。
 正し、飛び道具を発動してだ。
「っで、メイ。今から行ってみないか、王宮に」
「……何だって?」
 バカ話の続きのように軽く言うそれに、オレは驚くよりも不信を浮かべた顔で聞き返す。今までの流れで、何故にその誘いが来るのだか。意味がわからないぞ。
「王宮だ。女将さんは構わないというが、どうだ?」
「雨は残っているし、昼はそんなに客は入らないだろうからね。何なら、夜も構わないよ」
「いや、でも…」
 休みを貰ったのは、ついこの前だぞ? 五日しか経っていない。
「えっと…もう、入れる許可が出たんだ?」
「ああ」
「でも、だからって、急だな。オレはそんなに急がなくてもいいんだけど?」
「リエムの休みの都合もあるからねぇ。これでも、忙しい身だよ」
「だったら、別に今日じゃなくても」  王宮見学は魅力的で、そのうちしたいと思うし。王様への足掛かりを考える役に立つかもとも思うし。何より、この日々に浸かりきらずに、変化を求めるべきだともわかっているのだけれど。
 それでも、今日か? 今からなのか?
 女将さんは親切で言ってくれているんだろうけど、ホントに急過ぎて、躊躇いが抜けきらない。
「それにまだ雨でしょ」
 わざわざこんな日に、王宮見学に行かなくても。もっと天気のいい日に満喫したいんだけどなと匂わせると、リエムは「雨はもうあがるだろう。一度だけじゃなく、気に入ったのなら何度でも案内するが。今日見せたいものもある。駄目か?」と推してくる。
 引く気はなさそうなその姿勢に、これでは釣られてしまうと、負けるとわかるのだけど。
 オレに打つ手はなくて。
「女将さん、本当にいいんですか?」
「大丈夫だよ。折角リエムが張り切っているんだからね、付き合ってやりな」
 スミマセン、ありがとうございますと女将さんに頭を下げ、今度は無理を通した男に向かって首を傾げる。
「見せたいものって、何?」
 当たり前だけど。女将さんがからかって来たような、好きな子をデートに誘うような必至さはリエムにはないけれど。いつも通りの余裕を纏いながらも、何故か強い意志を持っているかのように感じられ、それに気圧されて逃げ腰になるのは罪悪感を覚えるというもので。
 良くわからないが、確かに付き合わねばと。リエムは何度も、オレの無理を可能に変えてくれたのだしと。
 了承を示して訊いたそれに、この異世界で一番の友人は、安堵を滲ませながらも爽やかに「後でな」と笑った。

 風邪気味だからと断っていれば。
 この顔はどうなっていたのだろうな。


2009.04.30
61 君を呼ぶ世界 63