君を呼ぶ世界 63


 確かに、望んではいたけれど。
 体調不良をおしてまで、見学せねばならないわけでもないんだけど。

 リエムの笑顔に、まぁいいか、と。王宮行きを納得したのも束の間。出掛ける頃には雨は止んでいたが、代わりに気温は下がっているようで。外に出て暫くも行かないうちに、オレは確実に寒さを覚えていた。
 上着を重ねてきたが、それでも寒い。出て来たのは早計だったかも。
 そうホンの少し己の軽率さに反省しつつも、今更止めておくとも言えず。逆に言えば心配を掛けるかもと思うと、ちょっとくらい無理をしても元気を見せておくかともいうもので。
 王宮に着く頃には、運動したお陰で寒さは薄らいでいたけれど。
 既にもう、疲れている。軟弱だ、オレ。
 それなのに、ここからどうやって進むかと、門を抜けたあと訊いてきたリエムが示した選択肢は、オレの場合選択の余地がないもので。
「あー、急がなくていいのなら、ゆっくり歩いていきたい気がするんだけど?」
「ああ、構わない。なら、このまま行くか」
「うん」
 馬か、馬車か、徒歩か、ならば。当然、徒歩だろう。馬は乗れないし。何より、リエムに乗せて貰うにしても荷馬車にしても、今は余計にその振動が堪えそうだし。山登りも確かにしんどいけれど、時間を言わないのならば、ひんやりとした空気を吸いながらの散歩の方が気分は爽快だ。
 風邪のダルさに侵されながらも、冬の寒空の下で佇む感覚はなんとも言えないものだ。それと同じで、今は熱もなければそこまで冷えているわけでもないけれど、緑に囲まれての涼やかさを思う存分味わう。
 どこかで火照っていた部分がスッキリしたのか、頭が冴え渡っていくような気がする。まるで雨上がりの、まさに今の天気のような自分を他人事のように認識しながら、オレは木々の遥か遠くにある明るい空を見ながら思う。
 確かに、昨日の油断が、体調を崩しかけている一番の原因だろうけど。
 この世界に来て、王都で暮らして、少しずつ堪っていっているストレスも影響しているのだと思う。体が弱ったからこそ、それらが主張し始めているのだろう。
 だから。少しばかりダルくとも。これで、明日熱が出ようとも。
 こうして、王宮に来られたのは良かった事なのかもしれない。少なくとも、リエムのお陰で気分転換が出来ているのは間違いない。
「あ、そういえばさ」
 意識しなければ坂道とは気付かないほどなだらかな道を歩く中でふと思い出し、オレは並んで歩くリエムに顔を向ける。既に結果を確信していたようなので必要ないのかもしれないけれど、一応は報告しておかないと。
「エルさんにちゃんと言ったよ。ハースさんの事、勘違いしていたってさ」
「そうか。それで、どうだった?」
「うん、リエムが言ったように大丈夫だった。笑って許してくれたよ。でもさ…」
「どうした?」
 ワザと言葉を切ったところ、案の定、リエムが軽く目を細め窺ってきた。それでも男前の顔を覗き込むようにして見やり、「逆にリエムがオレを必要以上に脅してくれていた事が判明した」と剥れてやる。
「どういう意味だ…?」
「同性婚は常識だと、一般にも広く浸透していると言ったよな? まるで、それが行なわれるのが当然のようにさ」
 でも、本当はそうではない。
 そして、そこに差別さえ存在する。
 エルさんははっきりと言ったわけではないけれど。俺なんかに対してあんなにも下手に出ていたのだから、やはり同性婚には問題があるのだろう。オレが嫌悪したとしても、仕方がないと割り切っていた。つまりは、そういう事だ。そういった扱いを甘んじて受けねばならないくらいには、全てに許容されているわけではないのだ。
 だけど。
 そうであるからこそ、オレは制度としてのこの常識を受け入れられているのだとも思う。
 リエムから同性婚は常識だと聞いた時、オレは二十三年間持ち続けた自分のそれが通用しないのかもしれない可能性を突きつけられて混乱したのだと思う。だから、エルさんの事にしてもその不安から、どうしようと焦ったのだろう。
 だが、結局は。実のところはなんて事はないものだった。まるで、異性婚が存在しないかのように感じるほど、そちらにばかり気が向いてしまっていたけれど。ただ、同性婚が広い国で許可されているというだけの事だった。それは、元居た世界と変わらないようなもので。主張と同時に差別が生まれるかもしれない、法というには粗も弱さもあるものだった。
 確かに、知らないのは非常識の部類に入るのかもしれない。
 しかし、呆れられるほども、疑われるほども酷いものではないだろう。
 それこそ、リエムが言うような爺さんの話ではないけれど。同性婚を認めない人も居る。その事も、知っておくべき常識であろう。
 リエムの性格からして、あんなにも驚くのは、そしてそれを当人に指摘するのは、少し行き過ぎていたように思う。
 これが、人の揚げ足を取って喜びそうラナックならば納得出来るのだけど。
「可能であっても、そんなに大々的に広まっているわけでもないのに、ビビらせ過ぎだ。オレは本気で、エルさんに合わせる顔がないと悩んだのにさ…」
 酷いよなぁと、リエムに向かってぼやきながら、オレは俯いてやる。
 勘違いしても仕方がない程度だというのに、誤解は許されないような教え方をしてくれた男に対しての、ちょっとした仕返しだ。
「……オレを虐めて楽しいのかよ」
「メイ…」
「…趣味が悪いぞ」
「そんなつもりはなかったんだが…悪かった」
 唇を尖らせたまま、下から窺うように隣の男を見れば。やけに真面目な顔をしていて。
 オレは我慢出来ずに、「ブハッ!」と息を吐き出し笑い声を上げる。こんな事で拗ねる訳がないのに、何を騙されているんだ。女将さんの悪乗りに乗っていた男とは思えない。
「冗談だよ、冗談! リエムに教えてもらわなきゃ、オレはずっと気付かずにいたんだからさ。全然怒ってないよ。むしろ、ありがとうな」
 バシバシ側の腕を叩きながら言ってやると、リエムは困ったような笑みを浮かべた。ああ、ホント良い奴だなと、何十回目になるのだろうかオレはまたもやそう思う。こいつは良いお父さんになるんだろうなと、余計な事までしみじみ感じる。
 ふと何気なく後ろを振り返ってみると、空に薄っすらと虹が掛かっているのに気付いた。
「おい、リエム。見ろよ」
 腕を引いてその足を止めさせ、オレが虹を指し示すと、リエムは少し驚いたあと柔らかい笑みを顔に浮かべる。
「ホントに嵐はもう過ぎたんだなぁ。思ったよりあっさりだ」
「ああ。だが、アレなら大した被害は出ていないだろうし、良かったよ」
「王都は大丈夫でも、他はわからないだろ?」
「風もそう強くはなかったし、アレくらいなら強い雨と変わらない。確かにまだわからないが、いつも程も酷くはない」
 今年は遅くなったみたいだけど、その分これから続くのだろうか。それとも、今年は少なく終わるのだろうか。オレは知りもしないのに、そんな嵐の話をポツポツ交わしながらリエムと足を進める。
 街中から見て取れたように、王宮内は小さな森のようで。木々の間に綺麗に作られた道を進み、王城が建つ頂上を目指す。道は時折脇に逸れるものがあったりするけれど、まだ、多くの建物が遠い。
 半分も進んでいないよなと目測していれば。気付けばリエムが側から離れていて、「メイ、こっちだ」と木々の間から俺を呼んでいた。
 獣道のような道に足を踏み入れ、リエムの背中を追う形で進んで辿り着いたのは。小さな池がある少し開けた場所だった。
 溜池か?と思うが、東屋のような小さな建物があるのを考えれば、人工的なものか自然なものかは兎も角、本物の池であるのだろう。
 光が反射し水面が白くなっているそれを覗こうと近付くオレの前を、ひらりと蝶が横切った。
 良く見れば、周囲には他にも何匹か居る。
 蝶の種類なんてわからないが、大きさから言えばアゲハだろうか。だけど、光の中できらめく羽は羽ばたく度に、青や赤や紫と変化する。
「雨の間は、この辺りの茂みで休んでいるんだ」
 オレの視線がどこにあるのか気付いたのか。アゲハ蝶は基本黒だよな?と思い出そうと記憶を探っていると、リエムがそう声をかけてきた。
「少し遅かったか。もう少し早ければ、羽を乾かし終えて一斉に飛び立つ姿が見られたのだろうがな」
「もしかして、それか? 見せたいものって、この蝶?」
「ディゴノ蝶だ」
「ディゴノ…?」
「そう、神子ディゴの化身である蝶だ」
 ひらひらと舞う一匹の蝶を追いかけて顔を廻らすリエムにつられ、オレもまたその蝶を追いかける。
 神子の化身であるという蝶は、人間を恐れ逃げる事もなく。
 光の中で優雅に舞い踊る。
 その羽が青紫に見えるなと気付いたオレの脳に、世話になっている食堂の屋根の色が浮かぶ。

 追っていた蝶が飛んでいった緑の向こうには、円錐の蒼い屋根が光に照らされて輝いていた。


2009.05.03
62 君を呼ぶ世界 64