君を呼ぶ世界 65


 逆に、リエムがオレの世界に行ったとしたら。
 絶対太るに違いない。

 昼休みが終わる時刻だったようで、案内された鍛錬場に兵士は居たが、特に見学する動きはなかった。また後で来るかと言ったリエムがふと思い出し、「ああ、俺達も飯だな。忘れていた。遅くなったが、昼食にするか」と食堂に連れて行ってくれた。
 オレとしては食欲はあまりないので、そのまま忘れてくれていた方が良かったのだが。リエムは飯を摂らなければならないだろうし、大人しくついていく。
 だが。
「遠慮するなよ」
「全然していない。そんなに腹は空いていないんだ」
 そう言って、軽めにスープだけを選んで誤魔化してみたのだけど。
 そのスープも、全部飲みきれそうにない。
「いくらなんでも、少なすぎるだろう」
 流石にリエムが怪訝な顔をするので、無理やり口へと押し込み喉を通すが……食道でつっかえているような感じになり、やはり飲み干す事は断念する。幾らなんでもリエムの前でリバースはないだろう。みっともなさすぎる。
 減ったらまた食べるから今はいいんだよと逃げれば、食べられる時に食べておかないと駄目だと言われた。だから、今は食べられない時であるのだと胸中でツッコムが、リエムのソレは兵隊としての心得かもと思いつき、曖昧に笑って流しておく。今食べておかなければ、次はいつ食べられるかわからない。そんな状況下であったとしても、今はもうホントこれ以上はやばいのでそっとしておいて欲しい。
 そう思うが、何故かリエムは気になるようで。その後も、食後の休憩の合い間に、もっと食うようにしろだの、細過ぎだの、極めつけには「だから小さいんだよ」とまで言われた。リエムの基本はリエム自身なので、言い合いをしてもオレの負けが見えているから言い返さないが。
 それでも、だ。
 確かに細身ではあけれど、日本人の体型としては標準だし。身長だけみれば、平均よりは上なくらいだ。体重はこの世界にきて減ったと自覚出来るくらいに落ちたし、戻る事無くこのままを維持しそうな勢いだけど。それはまあ、仕方がないというものだろう。少なくとも、怒られるような欠点ではない。
 食事の量は、さほど変わっていないと思う。ただ、一人暮らしの学生が摂っていた食事なんてものは、学食を除けば外食かコンビニ弁当ばかりのもので。それに比べれば、此方での食事はカロリーは大幅ダウン。加えて、いつでもどこでもペットボトルのお茶やらジュースやらを持っていて、小腹が空けばお菓子やファーストフードを摘んでいたのを考えると、体重が落ちるのは当然。異世界に飛ばされ精神的に参らなくとも、こういう食生活を送ったのならば誰だって痩せるだろう。
 だから、別段、オレとしては危機を感じる必要は微塵もなくて。
 心配も入っているのだろうけど口煩くもあるリエムのそれを流し続けていると、食堂のおばさんがやって来て、オレとリエムの皿を下げていった。その際、ちょっとした言葉をリエムと交わしてくれたので、オレはそれに乗って話題を変える事に成功する。
「なあ、それよりもさ。王宮で働くのは、誰でも可能なのか?」
「兵士になりたいのか?」
「何でそうなるんだよ。そうじゃなくて、やっぱり王宮なんだからさ、偉い人の周りに田舎者は置けないとか何だとか、身分の低い奴は王様の顔は見られないだとか、そんなの仕来りがあるのかなと思ってさ」
「いや、別に決まりはないな」
 嗚呼そういう事かとオレの質問を納得したリエムが、あっさりとそう答える。
「その仕事をまっとう出来るのならば、そこに身分も何もないだろう」
「だったら、オレが王城で働きたいというのも可能なのか?」
「そうだな、推薦者が居て、面接で弾かれなければ大丈夫だろう。お前だったら、仕事をサボったりする心配はないのだろうしな」
 成る程。求人募集に自ら申し込むわけではなく、まずは推薦してもらわねば足掛かりを掴めないのか、と。建前として誰も弾かないけど、その推薦者が身元を保証するというのならば、結局は最初の段階で選び落としているって訳だな、と。オレの真面目振りを買ってくれているような発言をサラリと流して、オレはリエムの説明に色々と思いを馳せる。
 例えば、オレがここで働く事は可能なのだろうか?
 その推薦人に、リエムや女将さんはなれるのか?
 もしも、それがすべてクリア出来るとして。オレがこなせる仕事って何だろう?
 料理は駄目だ、考える余地もない。給仕も直ぐには無理だろう、知識が皆無すぎる。妥当なところで、掃除や洗濯などの下働きだろうけど。これって男でもOKか? 男は力仕事だといわれたら、面接で確実に落ちそうだ。
 別に、まあ、本気で転職する気はないのだけど。
 普通は前以って推薦者が「こういう子が居るんです。仕事があったら使ってやってください」みたいな事を王宮内の顔見知りに言っておいて、空きが出た時に声が掛かるのだとか。必要な時にそう言う登録者がない場合は、王宮側が周囲に声を掛け探したりするのだとか。そういうわけで、必然的に貴族の縁故者が多いだとか。
 そんな詳しい話を聞きながら、実際ここで働いたら王様に会えるだろうかと思ったりもしてみるが。
 流石に、どう考えようとも、いきなりオレなんかが王様の近くで働ける事はないだろう。だから、近くに行こうと思うのならば、まずは就かされたところで頑張りを見せて引き上げてもらうしかないのであろうもので。それって可能になるまで何年掛かるんだ?と考えれば、そんな感覚はなさ過ぎで想像すら出来ず、途中で放り投げるしかない。
 続かない妄想と同じく、就職出来るのだとしても全くもって何の意味もないようだ。
 何を考えているんだかと、丁寧に教えてくれるリエムには悪いが、キリのいいところで適当に話を切り上げる。
 風邪が悪化しているのだろうか。頭まで、若干沸き気味のようだ。
「そろそろ行くか」
「もう訓練は始まっているのか?」
「そうだな。今なら若い奴等が扱かれている頃だな」
 食堂を出て直ぐそこが鍛錬場で、塀をくぐれば即、熱気に包まれた。思った以上に広い場所であるにも関わらず、屈強な男達が幾人も居れば狭いほどに暑苦しい。これは熱気というよりも、男臭だ。
 走っている集団が居れば、腕立てだの腹筋だのをやっている者も居る。その中を、運動場のように開けた場所を斜めに横切るようにして、部室棟のような建物へと入る。その短い間にも、リエムは何人にも声を掛けられていた。
 屋根が付いた通路を、訓練中の兵士達を眺めながら歩く。向かっているのは、剣の稽古をしている辺りのようで、喧騒の中からも耳が金属音を捉えた。
「混ざっても仕方がないし、上から見るか?」
「上?」
「近くで見たいのなら、行ってもいいが?」
 どうする?と、どちらでもいいようなリエムに、オレは先の提案を受け入れ案内を乞う。出来たら、日陰がいいし。何より、ただの見学者が真剣な場所に紛れ込むのは気が引ける。
 リエムに連れられて上がった二階のその部屋は、どうやらこうして鍛錬場を見るために作られたようで。広い空間であるにもかかわらず、一面には窓は勿論、壁もなかった。まるでバルコニーだ。
 上司に指導を受けている一団に、個人で剣を振っている一団に、一対一で打ち合っている一団と。何グループかに分かれてそれぞれが鍛錬しているのをリエムに説明を受けながら眺めていると、指導者のような兵の声で全員がひとつの場所に集まった。
 暫くガヤガヤしていたが、少しするとふたりが中央で向かい合う。試合をするようだ。
 負けるまで戦い続け、最後に残ったのが勝者であるようで。最初は適度に入れ替わっていたが、気付けば一人がもう何人も打ち負かして残っている。リエムに聞けば、あっさりと「最後まで残るだろうな」と言う。
 男は遠目でも、そう筋肉隆々とした身体ではなくスラリとしているように見える。何より、あの中では背は低い方だ。歳も、そんなに若いようには思えないんだけどなと思っているうちに、またもやその男が一勝をあげる。
 強いなと、感心して見入っていたら。
「あ…!」
 次に挑戦した若い男がかなり粘った後、打ち込んでいったところを打ち返され、そのままドサッと崩れ落ちるように地面に倒れた。
「どうした? ああ、貧血か?」
「いや、腕か肘かが頭に当たったように見えたんだけど…」
 リエムの位置からは見えなかったのか、見ていなかったのか。オレも余り自信はないが、尻すぼみながらもそう言うと、「ちょっと見てくる」と言って心配したリエムが部屋から出て行った。
 鍛錬場では、倒れた男の周りに皆が集まっている。二階からでも良く見えない程だが、意識が飛んでいるのか動く様子もない。
 ただの脳震盪だといいのだけれど…。
 圧倒的な強さを見せ付けられたからか、必要以上に不安が湧き上がる。何もなければいいと、無事であってくれよと強く思う。
 リエムが現れ、倒れた男の側に寄る。周りの者達と何か話しているが、声までは届かない。
 そのまま運ぶ事にしたのか、何人かで男を持ち上げようとした時。気を失っていた男が気付いたようで、上半身を起こした。リエムがそれを支え、そうして、もう一人別の男が腕を取り、両脇を支えられて若い男が鍛錬場から去っていく。
 支えられながらだけど、歩けていたようだし大丈夫なのだろう。
 良かったと、ホッと息をついた時。
 オレは何故か、何も聞こえないのに何かに呼ばれたような気がした。
 何だ?と思うと同時に、声ではなく、気配だと気付く。
 誰かが、近くに居るのだ。
 そう、気付いたから。
 ただ、誰だろうかと何気なく上半身を捻るようにして振り返ったのだけど。
「え…? ――ッ!!」
 何かが向かってきたと、何だ?と思うのと同時に、後ろへと押し倒されて。オレは強かに背中を床に打ち付けていた。
 あまりにも強い衝撃に、喉が詰まる。
 だけど。
 反射的に瞑っていた目を開け、今度は完全に息が止まる。

 目の前に、獣が居た。


2009.05.11
64 君を呼ぶ世界 66