君を呼ぶ世界 69
それは、オレの。
生まれた時からの、問い。
いつの間にか上がりきっていた息を整えている間に咳き込んでしまうと、背中を撫でられた。
悪い、もう大丈夫だから。喉を宥めてそう言おうと思うが、胸から込み上げるものもあり言葉が出ない。生理的なものだけではないだろう涙まで滲む。
今までも何度もこの男に救われたけれど、今がその一番だろう。有り難い、助かった。
そう、リエムの登場にオレは安堵する。だが、そんなオレとは対照的に、リエムは固い声を静かに張り上げた。
「キース王、これは一体どういう事ですか。この者が一体何をしたと仰るのです」
「リエム、お前が招いた者か」
「はい」
そうですと、ただ短く言い切ったリエムの返答に何かを考えるような間を作った後、国王である男は部下に再度退室を命じる。
「カーチ、ラム、二人とも下がれ。代わりに、スオンを呼べばいい。それなら、お前達も納得するだろう。勿論、リエムも置く」
「…それならば」
「畏まりました」
まだ何か言いたげな雰囲気だったが、頭を下げて礼を残し、男達が去った。それと入れ替わりに、先程出された兵士の一人が部屋に入ってきて、何も言わず壁際に立つ。だが、剣の柄に手をかけたままだ。
「…リエム」
ここにいるのは、一国の国王陛下と、その兵士ふたり。そして、聖獣。
明らかに、オレが異物だ。排除すべきはオレだ。リエムが来て助かったと思ったけど、リエムがオレを打ちはしないとわかっているけれど。それでもこの状況では、何も救われていないんじゃないだろうか。
第三者が入れば、この狂った男を除けられると思ったが。こいつが王様となれば話は別だろう。
「メイ、大丈夫か?」
「……ああ」
余程オレは不安げな声を出したのか。リエムが安心させるように場違いながらも笑顔を作って手を貸してくれるが、オレの体は逆に緊張で固まる。
大丈夫じゃない!何だこいつは!コレが王様かよ!なんて。熱が冷めた後では言える筈もないのだけれど。
それでも、オレは曖昧に顔を歪めつつもそれに応え、曲げていた背中を伸ばす。
「……アンタ、本当に王様か?」
床に座り込んだまま傍らに立つ男を見上げそう静かに問うと、男は表情をひとつも変えずに無言で答えたが、隣からは小さな溜息が上がった。そして、次には咎めるかのように強く名前を呼ばれる。止めろと、喋るなと。
だけど。
「…わかっているよ、オレだって」
そう、充分すぎるくらいに、わかっている。王様に無礼な態度を取ればどうなるのか、命令に従わなければどうなるのか。それは、異世界生まれの日本なんてゆるい国に生まれたオレには程遠いものだけど、想像する事は出来る。そして、それがあながち的が外れていないのだろう事も、さっきの様子を見ていればわかる。
オレの態度は、不敬罪だとか何だとかになるのだろう。罪となり、罰を与えられるのだろう。
それでも、そうわかっていても、退けやしない。
「でも、アレだけは譲れないんだ…」
自分に任せろと言うように、オレを支えている腕に力が込められたけれど。オレはリエムのそれを離し、逆に厚い肩に手を置かせてもらって立ち上がる。だが、結局、強張った足には力が上手く入らなかった。
リエムに手を借りて立ち、オレは男と向かい合う。
この国の王と。
「……アンタが王だろうと何だろうと、関係ない」
漸くきちんと見た気がするなと、意外にも小奇麗な顔をしている男だけを捉えながら、オレは宣言する。
「オレは、他人のものを無理に奪う相手に払う敬意は持ち合わせていない」
アレが聖獣で、この男が王で。オレに対して向けてきた敵意と言葉を考えれば、震え上がるような恐怖が這いずりあがってくるけれど。
オレは、それに気付かない振りをして、ただ目の前の男を睨みつける。
身体が重くて、頭が痛くて、気分が悪くて。疲れ果ててもう全てを考えたくはなかったが、それでも放棄出来ないものがひとつある。
「返せ泥棒、アレはオレのだ」
「お前のものじゃないだろう」
「オレのものだ」
「ならば、お前が生み出した珠だとでもいうのか。神子のように」
「煩いッ!何が神子だ! アレはオレのもので、神子なんて一切関係ない! ヒトの話を聞きやがれッ!!」
どうして手に入れたのかを言わないオレをやゆった時、男の目は褪めたそれのままでも、顔は嘲るように歪んで。僅かだが上がった口角に我慢出来ず、オレは手を伸ばしながらそう叫ぶ。
けれど、ホンの僅かの距離であるのに。男の胸倉を掴むはずの手を、リエムに捉えられた。
「リエム…!」
そのまま、腕を下ろさせられる。そして、掴まれる手は痛くはないのに、有無を言わさず抵抗までも封じられ押さえ込まれた。
「メイ、落ち着け」
男とオレの間に身体を滑り込ませるようにし、リエムはオレを数歩後ろへ押しやり距離を作る。離せよと訴えるが、訊いてはくれない。
こんな男でも、王なのだ。掴みかかればそれだけで、後ろで控えている兵士に切られるのかもしれない。それこそ、男自らに打たれるのかもしれない。だからリエムは、オレを押さえてくれているのだろう。
でも、それがわかっても。殴りたい衝動は収まらない。
「俺は未だ何があったのかわからないんだが…」
何故ここに?とリエムが問いかけると、男は先程と同じように獣を呼んだ。今度は、その呼び掛けに応えて聖獣が歩み寄ってくる。その口からは、オレのペンダントが垂れていた。
「返せッ!」
「それはこいつのものだろう、シグ」
男が当然のようにそれを手にするのを眼にして頭に血を上らせるオレを押さえながら、リエムが幾分か固い声を出す。
「どういう事だ」
「それを訊きたいのはこちらだ。なのに、その男は答えない。リエム、お前は知っていたか」
「…何をだ」
「これは神子の玉だ」
淡々と、ふざけた事をリエムにまで説明する男に、オレは手を伸ばす。リエムの身体が邪魔で無理だとわかっていても、せずにはいられない。
こんな男の手にサツキの石があるだなんて、不快極まりない。サツキが汚れる…!
「違うって言ってンだろッ! 返せ!! リエムッ退けてくれ!」
「……メイ、大丈夫だ。奪いはしないから落ち着け」
「でも…!!」
リエムはそうでも、コイツはわからない。この男なら、投げ捨てるような事をしたとしてもおかしくはない。
暴れるオレと、押さえるリエムを何と思っているのか。まるで自分は無関係であるように、褪めた目で見ていた男が不意に踵を返し、少し離れた場所にあったテーブルに腰を載せた。そして、ペンダントもまたそこへ置く。
「これ程みすぼらしい三珠もない。こんなものお前が持っていても価値はないだろうに、奇特な奴だ」
「……!!」
奪った奴が何を言うか、フザケンナッ!!
そう思うが怒りが余りにも大きくて、言葉にならない。そのもどかしさがまた腹立たしくて、何をどうすればいいのかもうわからなくて、パニックを極めそうだ。
「シグ!幾らなんでも、言葉が過ぎる。それは、メイが家族に貰った大切な物だ。お前にも言ったはずだぞ、丁寧に扱え」
「…成る程。お前が話していた気に入った男というのは、ソレか」
「それは今は関係ないだろう。それより、神子の玉とはどういう事だ。その三珠が本物だと言うのか?」
「聖獣はそう感じたようだな。だが、そいつは神子じゃないとも判断した。故に、俺はそいつにこれをどうしたのかと訊いていたんだが、自分の物だとの一点張りだ。どこの田舎者だ、その男」
「ガジャリの辺りとの事だが、家族はもう祖父しかいないようだ」
そうだな、メイ?と。振り返ったリエムに、オレは半笑いで応える。
ちょっと、待てよ。何を勝手に喋るんだよ、リエム。
しかも、そいつにオレの事を話していただって?
冗談じゃない。勘弁してくれよ。
「それが、何だって言うんだよ? オレの次は、爺さんを脅してその出所を聞き出すつもりか? ――ふざけるのも大概にしろよ、なあ? …リエムまで、なんだって言うんだよッ!」
「メイ…」
「そんなに知りたきゃ、教えてやるよ! その石は、オレがきょうだいから貰ったものだ。元はあいつの物だ。そうだよ、アンタが言ったように、オレの物じゃないさ。どうだよ、これで満足かよ!?」
「そいつは今どこにいる」
「どこにもいないさ、とっくの昔に死んだよ」
「…神子が死んだというのか」
「神子じゃない! あいつは、そんなものなんかじゃない!」
「お前がどう言おうとこれは神子の玉だ。どうにかして手に入れたのでなければ、そいつが神子だったと考えて間違いない」
「メイ、どうしてお前の兄弟は亡くなったんだ?」
「さあ…、……よくわからない」
静かに問われたそれに、オレの熱が一気に冷えた。
どうして、なんて。何故なのか、俺が一番知りたい話だ。
だけど。
「お前が殺したんじゃないだろうな?」
「ッ…!」
売り言葉に買い言葉の続きであって、嫌味のひとつであったのだろうけど。
褪めた目がオレを射抜いた。その言葉が、全身を貫いて、目の前が真っ暗になる。
「メイ…?」
どうした?と。オレは余程奇妙な表情をしていたのか。心配げに覗き込んでくるリエムの向こうで、男の顔もまた怪訝そうに歪んでいた。
だから、ただの悪態だとわかったけれど。
それでも、オレの中で溢れた思いは消えない。
「……誰かが殺めたと言うのが真実ならば、さ」
もしも、本当にサツキが神子であったのならば。
そんな彼女を殺したのは――
「――犯人は間違いなく、オレなんだろうな」
自分を傷つけるかのように吐き出した言葉の余りの馬鹿さ加減に、オレはそのまま笑おうとしたのだけれど。
けれども次の瞬間には、電池が切れたように唐突に暗闇に落ちていた。
サツキの名も、呼べないままに。
2009.05.25