君を呼ぶ世界 70
済まないとの言葉が何処からか聞こえた。
掠れたその声に、オレは何故か救われた気がした。
辛い。苦しい。
気持ち悪い。頭が痛い。
何だこれ? どうして、オレはこんなにもしんどいんだ…?
熱いのか寒いのかよくわからないけれど、兎に角、身体が重い。いや、肉体的なものばかりじゃなく、心も頭もを全てが重力に負けているかのように沈んでいる。
息をするのも一苦労だ。
散漫していた意識をそんな身体の不調を拾い集める事で纏め上げ、覚醒へと上り詰めようとするオレの耳に、何処からか声が響いてくる。
「――このまま、――だが、―――哀れな――」
ああ、この声…さっき聞いたような……。
「――、キルクスは――、――そうだな、しかし――」
誰だろうか、覚えはない。
何を言っているのだろう…?
ダルイ身体から意識を逸らし耳に神経を集めたところで、側に人の気配を感じた。近くにいるんだと気付いたところで、誰かの手がオレの顔に触れる。
頬へ、額へ触れた固い手が、無造作に伸びたオレの髪を掻き揚げた。
「さて、どうしたものか…」
落とされた声は、表情を見なくとも感じ取れるほどに、心痛なもので。寝起き早々にも関わらず、撫でられた指の優しさを忘れるほどの驚きを与えられ、オレは反射的に目を見開く。
けれど。
「漸く目覚めたか、偽りの神子よ」
「……」
重なった視線に、思わずひりつく喉で唾を飲み干す。
オレを間近で見下ろしていた手の持ち主は、声とは違い、そこに優しさなど全く見せていない人物だった。
「…………ァ、え…?」
思ったのと、全然違うんですけど…。なんていうか、アレだ。威厳があるというか、厳格そうというか…怖い大学教授みたいだ。威圧感…? いや、神々しい…? 兎に角、庶民な自分とは住む世界が違うと思わせる人物だ。
そんな、思わず姿勢を正してしまうような相手が。証明写真…というか、音楽室にずらりと貼られた肖像画のような静かな表情のままでオレに問い掛けてくる。
「熱があるようだが、話くらいは出来るな?」
「あ、はい…」
「ピス、手を貸してやれ」
本物の王様よりも王様っぽいんじゃないかと寝転がったまま呆けるオレに、別な男が近付いてきて手を差し伸べた。よくわからずに躊躇っているうちに、手を取られ、背中を支えられゆっくりと身体を起こされる。
側に置かれていた毛布のようなものを背中に掛けられ、壁に凭れるようにして座らされた。
「気分はどうですか? 座っていられますか?」
「あ、えっと、多分…大丈夫です」
喉が痛いので小声ながらも答えると、若い男は礼をするように頭を小さく下げ、壮年の男の後ろへと下がる。考えるまでもなく上司と部下なんだろうけど、馴れ合いは一切なさそうな二人の間の空気に感化され、オレは毛布の中で実際に背中を伸ばしてしまう。
痺れるほどでもないけれど、固い床に直接寝転がっていたからだろう、肩や腕や足が鈍い痛みを教えてきた。その中で、首を動かすのも億劫なのだが辺りを見回し、自分が居る場所を確認する。
オレよりも大きな男が二人立っていれば圧迫感を覚える、四畳半もないかもしれない程の狭い部屋だ。高い場所に明かり取りの窓があるが、それ以外は冷たいレンガに囲まれている。唯一ある出入り口も、壁と同化しているような小さなもので。新聞受け程の穴があるのは、覗き窓なのだろう。今は蓋が閉じている。
部屋の中には、人間以外にあるのは、掛けられたこの布一枚のみ。
どうやら、ここは独房のようだ。
熱か怒りか何なのかわからないけれど、意識を飛ばしてしまったオレは、あの王様に捕らえられて放り込まれたらしい。
う〜ん。リエムは、助けてくれなかったみたいだ。
だけど、自己防衛程度のアレがこんなところへ入れられる程の罪になるのならば、リエムがオレを助けようとすること事態が反逆行為になるかもしれない。だったら、一緒にここに入れられていない事を喜ぶべきか。……じゃなく。
独房なのだから、一人なのは当然だ。もしかしたら、リエムもまた何処かで捕らわれているのかもしれない。オレの独房行きを阻止しようと、無茶な事をしていたのならありえる話だ。
もしそうならば…と、オレは焦りさえも覚えて最悪な想像を仕掛ける。だけど。
「……」
よく考えれば、あのリエムがそんなヘマをするわけがないだろうと、独房にいる姿を想像出来ずにそんな結論へと行き着いてしまった。そして、それを一度思えば、何故か自信満々と言った具合に他は考えられなくて。自分のそれに、安堵さえしてしまう。
「……それで、話って…?」
自分が捕まったのは、納得いかないけれど、理解出来ないことではない。こういう事になっても不思議ではなかった。リエムにまでそのとばっちりがいっているのは気になるところだけど、あの男ならば上手くやるだろう。
そう馬鹿らしい状況だが理解出来たからか、余りにも自分が情けなくて逆に肝が据わったのか、それとも熱のせいでか。兎に角、オレは数度肩で息を吐くだけで、ストンと落ち着くことが出来た。先程のように怒り狂う気持ちは湧かない。
それはどうやら、捕まったものは仕方がないさと思えるくらいに、オレはあのイカレた王様から遠ざかった事の方に安堵しているようだ。
見た目だけかもしれないけれど、今目の前にいる二人の方が人間としてまともなのは間違いないだろう。身体の心配をしてくれたし、手を貸してくれたし。何より、あんなプッツン野郎がゴロゴロ居ても堪らないし。
良かったと、捕まった事は決して喜べないけれど、そんな事まで思いながらオレは小さく首を傾げて銀髪のロマンスグレーに問い掛ける。
「いや、その前に…偽りの神子って、ナニ?」
「そなたの事だ。このままではあの者達によって、そなたは神子召喚の犠牲となろう」
「…………意味が、よくわからないんだけど」
身体の熱で頭の中も侵されているのか、全く話が見えない。
いきなり何なのか。っていうか、このオジサンは誰なのか。
神子がどうのこうのって。まさか、あのイっちゃっている王様の第二段とか言わないよな?
「そもそも、正直に言えばオレは何ひとつわかってはいないんだ。いきなり、変な男と獣に襲われて。訳もわからぬまま言い争って、気付いたらこんな所にいてさ」
ホントもう勘弁してくれよと、立てた膝に肘を乗せ、項垂れた頭を両腕で抱え嘆くオレ。とりあえず、本当にもう今は満腹で、これ以上は何もいらない気分だ。危機を脱したのが実感できるからこそ、心底休みたいと思う。
先程得たパーツを組み合わせれば、きっと沢山の事がわかるのだろう。だけど、今はそれを弄る気にはなれない。漸くあの王様と離れられたのだから、兎に角もう少し安堵に、平穏に浸かりたい。何より、マジでしんどいのだ。風邪の熱が上がったのだろうが、精神的なものもあるはずだ。今少しは、放っておいて欲しい。
そんなオレの疲弊具合を気付いていないわけではないのだろう。重い息を吐くオレを労わるように、男が「大丈夫か?」と聞いてきて、オレの後頭部を指で軽く撫でてくる。
「…大丈夫、です。スミマセン」
先程の、王様とは認めたくないような男のように、敵意を向けられれば反抗したくなるもので。逆に、こうして心配されれば、空元気であっても奮わねばならないと思うもの。
それで、それはどういう事なんですか?と。オレは、休みたがる自分の全てに渇を入れ、顔を上げて姿勢を正す。壁に頭を押し付けるようにして、男と視線を合わす。
「簡潔に言えば、あの者達は神子を必要としているという事だ。そして、そこに飛び込んできたそなたをこのまま利用しようとしている」
あの者って、王様だよな? 複数形なのは、その周囲も含んでいるからだろう。
そこに、リエムははいるのだろうか。
あの池で、確かにリエムは神子が欲しいと言っていたけれど…。
「…でも、オレは神子じゃないですよ」
「それは余り重要ではないだろう。神子と成る存在が居ればあの者達はいいのだからな。そして、もっと詳しく言えば。それは、神子を手中に収められなかった理由となる存在でも構わないという事だ」
「……だから、偽りの神子…で、犠牲者…と?」
よくわからないままだけど、言葉として理解出来た部分のそれを確かめると、男は深く頷いた。
「この国は神子を必要としていない。こと、王宮内の事情で言えば、不要な存在だ。故に、聖獣が降りた王とは言え、独断で召喚を行なえば責められる。王にとっては幸いにも、召喚は秘密裏に行われたまま今なお広まってはいない。だが、神官が一人犠牲になっている事もあり、よもやと疑っているものは幾人も居ろう。かくいう私、それ故に調べ上げ事実へ行き着いた一人なのだがな」
「……え? …神官が、犠牲に?」
ああ、やはりこの国で神子召喚は行なわれていたんだと。
あのふざけた男が、神子を欲したのかと。
その可能性は持ち続けていたけれど、真実として突きつけられ何を思えばいいのか咄嗟には浮かばないオレに、さらなる衝撃事実が落ちてくる。既に犠牲者はいるのだと。
「…それって、死んだって、こと?」
「将来有望な若い神官だった」
「……」
意味が、わからない。
いや、わかりたくない。
その召喚がオレに関わりがあるのかどうかは兎も角。神子召喚って、そんなに危険なものだったなんて、考えてもみなかった。異世界から拉致される側ばかりに目が向いていたけれど、神子を呼び寄せるというのは、命をかけての事なのか…?
そんな大事を、あの若い王は実行したのか。
神の子に順ずる獣が協力したのか。
神って一体、何なんだ?
2009.05.28